このブログ、ぬるっと始めたので笑
改めて自己紹介します宇宙人あたま
 
 
 
 
 
 

輪の中心にいたかった子ども時代

 
平成元年9月26日
(元年生まれか!!って
 担任が変わる度に言われた世代…
 
 
 
 
銀行マンの父と
専業主婦の母の
ごくごく一般的な家庭に
第一子長女として生まれる@長崎県
 
 
 
 
(よく男の子に間違われましたが、めっちゃぶりっ子。
(このポーズを可愛いと思ってて気に入ってた!

 

 

 

 

 

歌ったり、踊ったりが好きで

見てみて!とよく言っていたそうな。

注目されるのが好きだった。

工作やお絵かきも好きで、

肉のトレイとか、ゴミでなんやか作ってた。

 

 

 

 

初恋は幼稚園の時。

〇〇くーん!と呼んだら、

他の子に構っててこっちに来なかった

ので、冷めた。

暴君……

 

 

 

 

8歳の時、弟が生まれ、

ひとりっこ無双状態に終止符が打たれる。

(顔隠したけど、赤子なのにすでに顔出来上がっててクリソツです。ほぼコピペ。

 

 

 

 

ピアノの角にガムテープでタオル貼られたり

(安全対策で

勉強机に落書きされたり

お気に入りの漫画齧られたり

自分のテリトリーが荒らされること

親はそれを助けてはくれないこと

にめちゃくちゃショックを受けた。

 

 

 

 

でも兄弟ができたのは嬉しくて、

紙で人形作ってあげたり

チラシで剣を作って闘いごっこしたり

寝る前に絵本を読んであげたり

(喘息寸前になるまで笑かしていた笑笑

喜んでお相手していた。

 

 

 

 

勉強が得意で優等生。

負けず嫌いの頑張り屋。

『小さい頑張り屋さんだった』わたしはこのあいだ、ものすごく怒りを感じた。で、相手にぶつけた。引っかかったのは、「なんでできないの?」って言葉。ぐらぐらした怒りがお腹の底から湧いてきた。手…リンクameblo.jp

 

 

 

 

 

「私は優秀で、輪の中心にいるのが当然」

と思ってました。

学級委員もやったし

クラス行事も中心になって先導した。

通知表も「積極的」「社交的」と書かれてた。

 
 
 

 

小4で2回目の転校。

優等生ではなく、

オシャレ女子が

輪の中心にいて衝撃をうける。

 

 

 

 

私は優秀で、皆の中心にいるもの。

と思っていたところから、

お洒落で、みんなと同じような考え方を持っていないと輪の中心にはいられないのだ。

と思い込んだ。

 

 

 

 

小5からは「みんなの中心」じゃないとこで

創作漫画書いたりしてました。

中心のグループにくっついてゴム跳びしたり。

 

 

 

 

悪口や愚痴を言う女子会?もこの頃から覚えがある。

私はこの頃から八方美人を始めており

「何言ってるかわかんないなぁ?」って顔で

そこにいました。ずるいな。笑

 

 

 

 

 

 

 

拗ねて斜に構えていた10代

 

 

中学生ではハガレンにハマり、

オタクに目覚めました。

(オタク=二次創作まで嗜む人と解釈している)

ネットの海を徘徊していたら

二次創作に出会ってそこからずぶずぶ。

嘘ついて18禁も読んでた。笑

 

 

 

 

自分で描くことは一回やったけど

その後はそれこそ拗ねてできなかった。

(下手くそだった笑

 

 

 

 

ミステリー要素のある物語が好き。

2kmくらいの通学路を

ハリーポッター読みながら

(途中寝ながら)歩いて帰ってました。

ハリーポッター、クッソ嵩張るし重いのに笑

続きが気になりすぎるから持ち歩いてた。

 

 

 

 

成績が良かったので高校は進学校へ。

(と言っても田舎のですが…

めがねェェ…このころも髪はショートカット。

 

 

 

 

授業中はよく寝ており

 

それでも成績は上位10位以内にはいたので

 

授業聞いて、塾まで行ってるのに

私より成績悪い人のことを

すこぶるバカにしてました。(最低か。

塾のことも「同じ内容を2回聞く意味ww」と思ってた。(最低か。

 

 

 

 

 

ほんとは、

わかんないー!とか言って騒げること、

友達と塾に通うこと、

羨ましくてたまらなかった。

 

 

 

 

羨ましい。を受け入れられなくて

拗ねて、斜に構えてた10代でした。

なんかわかんないけどとにかく毎日泣いてた。

眠すぎて、しにたかったし。

 

 

 

 

 

 

 

成績、内申は良かったので

夢がないなら…と勧められた薬学部へ

(ちょうど薬学部が六年制になった頃。私は研究者育成の学科に入ったので薬剤師免許のない薬学部卒。

 

 

 

 

拗ねは継続。眠気も継続。

「連絡先交換って要ります?」

「雑談って要ります?」

しんしん状態。

仲村慎森:「それ、いります?」が口癖のひねくれ者。

画像はこちらより拝借。

 

 

 

 

 

プライド、拗ね、もあいまって

「普通」の振る舞いができなかった。

 

そんな自分も周りの人も嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

仲良くしたい

傷つきたくない・馬鹿にされたくない

の狭間で

いつも苦しかった。

 

 

 

 

 

 

 

輪に入ることに執着した20代

 

 

 

学部内では1人だけ優しい友人を得ましたが

でも寂しかった。

だから、部活にはいった。

 

 

 

 

馬術部!

(ひっっっっっしな試合中。

(ちなみに中高は美術部でした。油絵描いたりしてた。

 

 

 

 

なぜか。

 

 

・馬のお世話があるのでほぼ毎日活動がある

 →寂しくない!!

 

・お洒落で綺麗な先輩がいた

 →ダサくない!!

 

・ほぼ初心者ばかり

 →私も活躍チャンスがある!!

 (野心だけはある。行動が伴わない。笑

 

・あと運動して痩せたかった!

 (だが逆に部活辞めた頃に痩せた笑

 

 

 

馬が好きラブラブ

生き物が好きラブラブ

という気持ちは微塵もなく

ただただ私なりの打算で選んだ。

 

 

 

 

 

ファミレスや厩舎で駄弁ったり

飲み会したり

海に遊びに行ったり

楽しかったことはたくさん。

 

 

 

 

 

それが普通だから

という理由で、大学院へ進学。

入った研究室は人員が多く賑やかでした。

(体内時計をメインにした研究室。

私はひたすら病気のモデルマウスを作ってた。

腎臓病のマウスを作れます……。

 

 

 

 

それが普通だから

という理由で、製薬会社へ就職。

就活はべそべそしたけど割と良いところへ。

また同期が多く、よく遊んだ。

(最初入ったのは特許を扱う部署。

他社特許の無効化など

論理で殴るのは面白かった。(言い方

 

 

 

 

友人に恵まれていた。

同期に恵まれていた。

 

 

 

 

だけど

メールやLINEの返信が遅いだけで

嫌われたのでは!?と気が狂いそうだった。

私抜きで遊びや飲み会がなされてると知ると

寂しさで潰れそうだった。

 

 

 

 

大学からは「優秀」じゃなくなった。

馬術も上達しなかった。

研究もただ言われるまま手を動かすだけ。

会社でも同期の方が上司に気に入られてた。

劣等感に苛まれた。

いわゆる"優等生"でしかない、

馬鹿なんだと思った。

 

 

 

 

苦しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

息苦しさからの脱却を試みたこの5年

 

 

だから息苦しさからの脱却を試みた。

 

 

 

 

それがこの5年。

 

 

 

 

 

 

 

自分の器の小ささ

地雷の多さを諦めたら

アプリで出会った人とするっと結婚

 

 

 

 

気分屋の上司も

その上司をみんなで嫌う風潮も嫌、

という気持ちに降参したらするっと異動。

 

 

 

 

でも実験の仕事は合わなくて、

仕事変えて欲しいと言ってみたら

するっと好きなタイプの仕事に。

 

 

 

 

眠い、だるい、で休みまくってたら

コロナの時に真っ先に在宅勤務に。

 

 

 

 

そうこうしてたら

自分ビジネスという

会社員以外の選択肢が現れた。

 

 

 

 

根性なしで

空気読めなくて

器ちっさくて短気で

平々凡々でしかない

 

 

 

そんな自分に

降参し、許し始めたら

どんどん現実が変わっていった。

 

 

 

 

 作:みゆき先生

 


 

 自作

 

 

 



「この私」でいかに楽しく生きられるだろ?

どれだけ「この私」を楽しめるだろ?

 

 

 



「こんな私」のままでも

幸せに豊かに生きていく秘訣

 

 

 



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