いやあ、実に面白かった。
映画をたくさん見て育ってきた私ですが、東宝で長年社長を務めた松岡功さんのことをほとんど知らなかった。
松岡修造さんのお父さん、というレベルでしか松岡功さんを知らなかったことを悔やみました。時々しか買わない日経新聞を必死で毎日読みました。王貞治さん以来です、こんなに熱狂したのは。f^_^;)
まず、松岡功さんが関西のボンボンであり、阪急の創始者である小林一三さんの末裔であることを初めて知りました。松岡さんの父上は功さんを養子に出されたんですね。
ボンボンの松岡さんは、テニス三昧の学生生活を送り、試験なしで甲南大に入ってから、まったく勉強もしないで、プロのテニス選手並みの活躍をされた方なんです。これも知らなかった。
月の中盤からいよいよ東宝の話になります。
松岡さんが東宝に入社した年あたりをピークに、日本の映画産業は衰退します。それは、東京五輪を境にテレビが普及したからですが、驚いたことに映画館の観客動員数が減少しても映画会社は黒字で、むしろ利益を年々上昇させていた。その理由に驚きます。
入場料を値上げしてきたから。
だ、そうです。
ここに経済性を感じます。
東宝、松竹、東映あたりの会社は、自社の直営店を持っているのでコストがかからない。ただし、それまで毎週二本立てで番組を変えていたのが、月1になり、「日本沈没」の頃からようやく一本立ての邦画ロードショーが始まったそうです。
黒澤明監督の作品についても書いていて、まずはたまたまイタリアで見たマカロニウェスタン映画が「用心棒」とそっくりだったという有名なエピソード。これは東和の川喜田長政さん(鎌倉の自宅にダーリンと行ったなぁ)が交渉にあたって著作権を勝ち取ったようです。そして「影武者」事件。勝新太郎さんが黒澤明監督と衝突して降板した事件ですね。社長の松岡功さんは勝新太郎さんからホテルに呼び出されて、長時間交渉したみたいです。知られざる話です。
この他、バブル期の投資離れとか、一等地の映画館の建て替えや、社長職を突然譲ったときのエピソードなど、多彩な内容で興奮しました。
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