遺産300億?!アラン・ドロンの遺産はギリシャ神話の悲劇か | Que amor con amor se paga

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アラン・ドロンが、今月18日お亡くなりになりました。
享年88歳。

...とはいっても昨今のメディア『85杉たドロンの写真を出し杉(涙)』
若い頃の写真up



'98年に『ハーフ・ア・チャンス』で引退宣言→4年後、TVミニシリーズ『ファビオ・モンタル』であっさり復活(唖然)

…この辺りまではビジュアル的に『許せる範囲』だったのですが、その後はどうなんだよqqqqq


'17年に事実上の引退

'19年5月19日、第72回カンヌ国際映画祭で名誉パルム・ドールを受け取った直後、脳卒中。

それから残された子供…とはいっても年齢バラバラ、

今年アラカンで、ナタリー・パルテルミーの息子・アンソニー・ドロンと、
オランダ人モデル、ロザリー・ファン・ブレーメンの娘・33歳のアヌーシュカ、29歳の息子アラン・ファビアンは息子娘として認知しているそうな。

がっ!

ギリシャ神話の悲劇よろしく○んだ後に、揉め事ボロボロ遺してるのがドロン。

遺産は娘5割、残りの5割を息子同士折半しろというのだから、息子に全然愛がないというか、息子にライバル心でもあったのか、と思う。



末息子アラン・ファビアン(写真)は、母親がドロンに殴られて肋骨8本折る大けがをしていたのを目の当たりにし
『いつも嵐過ぎ去るのを待つしかなかった』といい
ドロンの3番目の恋人ミレーユ・ダルクは、ドロンは息子の顔を見ると不機嫌になるから、ドロンが目が覚める前に長男アントニーを連れて朝の散歩に出かけていたという。

4歳で両親が離婚した後、食肉製造業に里親に出され、親に全然構って貰えなかったというドロンは、海軍に入隊。

、当時の仏領インドシナ(現ヴェトナム)へ派兵されたが、 ジープを盗み軍法会議にかけられた後、除隊。
裸足でパリまで帰ってきた。

後々まで黒い噂が流れたのも、映画に足を踏み入れたのも、'50年代に売春宿やギャングに囲まれ暮らしていたからだった。

ドロンは生前遮二無二に働いても 働けど幸せの意味が判らない、自分は独り



とグチって往年の女優マレーネ・ディートリッヒに『だからロミー・シュナイダーのキャリアを駄目にする真似ができるのよ』と公然の場で罵られた話がある。

…が、肝心のロミーや、ロミー亡き後、ドロンと付き合っていたミレーユ・ダルクも亡くなった後、ドロンの前に現れたのが、ヒロミ・ロランさんという日本人女性。
ドロンの子供たちによれば 『ただのお世話係』だったはずが、彼女が『ドロンとは30年以上恋人同士だった、ドロンは、私はひとりぼっちだ』と電話で助けを求めていたとメディアに訴えたことから、事態急変

今まで揉めていたドロンの息子、娘はヒロミさんを遺産相続だけでなく、ドロンに関わる全ての事から追い出そうと躍起になりはじめた。
そのヒロミさんもドロンからのパワハラはメディアで告発してるのだから

…もとはといえば、ドロンが撒いた種であり、子供に罪はない。

ロミー・シュナイダーとドロンが'63年に破局に追いやられたのはドイツ人歌手ニコがドロンの息子・アリ・ブーローニュを産んだからだった。

ニコは『ファクトリーガール』にも出てきます。

息子で写真家のアリの写真がこちら、部分的にドロンに似ていなくもない。
'21年ごろまで『ドロンの息子』だと告訴し続けていたのだけど却下されている。



ヘロイン中毒で育児放棄するようになったニコからドロンを預かり、ドロンの母親がアリを育てていたのだけど、そういうのもドロン本人としては許せなかったんだろうな。
最期は薬物中毒で車椅子になり、死後何日も経った状態で発見されたという報われない事実。

ドロンと言えば、邸宅から所持許可のない拳銃72丁を押収、3000発以上の弾薬や射撃場も発見という情報があるのだけど。
そりゃぁなぁ~あれだけ暗黒街と繋がっていれば…足をあらいました、 ではすまされない。

ロミーと婚約中にロミーが『ストーカーに悩まされているの』とドロンに相談したら、ドロンが『判った』と言って

その数日後にストーカーが池に浮いて殺されてるか??

ないないないqqqqq

遺産の一件で揉めるのも、ドロン自身が、 荒れた幼年期、思春期をすごした為に、エゴが巨大なのに不安定になってしまった結果では、と思います。

歳が孫ほど離れた娘のアヌーシュカは可愛いけど、息子は自分から全てを奪う存在だった

…ライバル視してた+処置ナシな人生の最大の落ち度ではないでしょうか。



娘はカワイイけど、愛人+息子+元妻は要らないという昭和な男感を○んでも非難されているドロン様。
イケメンとはいえ罪は免れない。

時代の流れにのってあれだけの業績を残したのに、映画の流れが米国ハリウッド娯楽映画に代わると、昭和な生き方をしてきたツケを払わされるかの様に、作品は売れなくなり、配給会社からそっぽむかれてしまったドロン様。

'80年代に某クルーズの『ミッション・インポッシブル』が上映されてたら、ドロンのキャリア変わったかもなぁ(しみじみ)

『アラン・ドロンに逢いに行こうツアー』つーのか?
アレ、何度か誘われたことあるんだけど、引退間際のあのツアーは中国人が 大半で日本人でフランス語、英語喋れる人が殆んど居なかったからというので、ゲンナリ…したのを思い出した…
ドロン様亡き後は、 流石にこのツアーはなくなると思うけど

ドロンには残された愛犬ベルジアン・シェパードのルーボが居たのですが、

『人間信じられないから犬を信じる』ぐらいの可愛がりぶりだったそうで(涙)

私が先に○ぬなら、安楽死させて棺の中に一緒に埋葬してくれと頼んでいたのですが、 動物愛護団体から非難の声があがり(当たり前)、'24年8月20日

ドロンの遺族がルーボ君を引き取ることになったのだそうな。