テロリストの息子に生まれて(別題名:父から息子へ~戦火の国より~) | Que amor con amor se paga

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原題名:Kinder des Kalifats(Of Fathers and Sons)



シリア反政府勢力の1つ、サラフィ・ジハード主義のアル=ヌスラ戦線で爆弾製作班として活躍する親子に2年間密着取材したシリア人監督によるドキュメンタリー。

別題名は渋谷ユーロスペースでの公開時の題名、最初の題名は、BS世界のドキュメンタリーで放映された時の題名。

題名お察しの通り、ドイツ、アメリカ、シリア、レバノン合作フィルムでアラビア語。

監督は'77年生まれで、'11年にはじまったシリア内戦により'14年にベルリンに亡命。



リアル『戦場の秘密図書館』世代

'18年サンダンス映画祭・ワールドシネマドキュメンタリー部門グランプリ

'19年第91回アカデミー長編ドキュメンタリーノミネート作品。

予告編はこちら、あらすじ行ってみる。



'11年のシリア内戦後も収まる気配もみせない戦争の渦。

アサド政権打倒を目指し、我こそが真のイスラム教徒と信じる『サラフィ・ジハード主義』の中でも、ワシントン・ポストに最も自由なシリア軍と評されたのが『アル=ヌスラ戦線』だった。

'17年にアル・ヌスラ戦線は、4つの反政府勢力を吸収し、タハリール・アル=シャームと名乗りシリア北西部イドリブ郡を活動地にするようになる。

監督は彼らの考えに共感する戦場カメラマンという素性で売り込み、アル=ヌスラ戦線の爆弾製作班であるオサマ一家に2年間密着取材する事になった。

オサマ一家は、反体制派の爆弾製作を行うテロリストであるという事を除けば、いたって普通のイスラム人の家庭だ。

子だくさんで、妻と子供たちを愛し、息子や娘の面倒見もいい。
定時の祈りも欠かさない。
違うのは魂をテロリストに捧げた事だけ。



7人はいるであろう甥っ子姪っ子たちの名前を自慢げに語る叔父のムハンマド・オサマはヌスラ戦線結成メンバーの1人。

それぞれ子供たちにつけられた名前はムハンマド、イブラヒム、サイード、アブドラ、クサイ、フセイン、と

テロリストやイスラムの預言者の名前ばかり

緑の服を来たマルコメちゃんに至っては

この子の誕生日は世界貿易センターを襲撃した日だ。

あの日、神に子供を授けて下さいと願って6年後にこの子が生まれた


…と誇らしげに語るムハンマド。

そんな叔父を隅っこからみている少年の名を聞くと、少年は長男で12歳、名はオサマという。
オサマ・ヴィンラディンから取ったのだ。

子供たちは父親アブ・オサマが思想面で学校の校長と大ゲンカをして以来学校に行ってない。

校長なんてクソだ、お父さんの方が面白いもん。

そういいながら爆弾が落ちた廃墟で遊ぶ子供たち。
子供たちは親の真似をして戦争ごっこばかりしている。

ある日オサマが野鳥を捕まえて父の所に持ってきた、かわいいから飼いたいというのだ。

叔父ムハンマドは『野鳥は家じゃ飼えないんだ、そんな握りしめたら死んでしまう、放してあげなさい。』というがオサマは、 『弟にプレゼントするから、弟にどうさせるか決めるよ』と言ってきかなかった。

オサマの弟アイマンは無邪気に『ニイチャンがくれた鳥殺しちゃったよ』という。
しかも『お父ちゃんが殺すみたいに殺した』と言うと、オサマは『そいつはすごいな』と褒めているのだ。

叔父イブラヒムはオサマたちの父アブに何故野鳥を殺すようにいったときつく叱るがアブはこう言い返す

『(鳥を飼うことの意味のわからない)子供たちのおもちゃにされるより、殺したほうがマシだと思ったからだ』

三日もすれば子供たちは鳥を飼う事にも飽きてしまう、その時に今よりも残酷に殺してしまうだろう
そう言いたかったのだろうが、フィルムに収める監督は何も言えなかった。

アブはアイマンの弟でまだ5歳ぐらいのハッタブ=フセインにいう『鳥を殺すのは神に許されているけれど、それは食料として食べる鳥だけなんだ』

翌日オサマ、フセイン、アイマンの3人はアブの車に乗り反体制派の仲間に会いに行く。

父が地雷探知し除去し、信管を除去するまでの間、近くの壊れた戦車で遊ぶ3人。
家に帰ればくたびれて寝る。
アブの子供たちにとって父親が闘っている現場に連れて行ってもらうのは、唯一のお出かけだった。

(左から長男オサマ、三男フセイン、次男アイマン)



アブはオサマが4つの時、アイマンが3つの時に捕虜となり刑務所にはいった。

刑務所に入る時に心によぎったのはただ1つ

生きて我が子に再び逢えるだろうか?

目隠しをして釈放されたアブは、長い間家族と離れていたが『匂い』で判ったという。

自分の息子が戦士になると言えばどうする?と聞くと、今は止めるというアブ。

いずれ時がくれば容認するかもしれないが、今は幼すぎる上、人間性が出来ていないというのだった。

政府軍がしかけた地雷を掘り、信管を抜き分解し、新たに爆弾を作る様子をみて育つ子供たち。

子供たちは理科の実験で学ぶような見よう見まねでペットボトル爆弾を作り、砂場に埋め『踏んだら足が吹っ飛ぶぞ』とタチの悪い戦争ごっこを始めた。

だがその戦争ごっこも、アブが地雷で左足首から下を失う事で終わる。

自分たちの『戦争ごっこ』の浅はかさに気づき大声でなく子供たち。

アブはそんな子供たちに『メソメソするな!オレまで哀しくなる!お母さんを泣き止ませろ1』と当たり散らしたがオサマは父の枕元で最後まで、つっぷして泣いていた。

長男オサマの胸に、戦争ごっこをしていた頃の思い出がよみがえる。

父アブに廃墟の戦車の前で『父さんの仲間は殉教者なの?』と聞いた事、夏は暑くて水くみポンプを用意して、即席プールを作ってもらった事、空き地でサッカーをした事、ケンカは相手が手を出しても、手は出すなと言われた事…

オサマの中で何かが崩れた。

数日後

学校に行く政府軍側の子供たちとすれ違う気慣れない軍服姿のオサマたち。

オサマとアイマンは、元遊園地跡地で開かれた少年兵養成キャンプに行った。
軍服のサイズは5号でも余る。

『神は約束された

イスラム帝国は必ず実現することを』


世界を守るのがアルカイダと洗脳されていく子供たち。

オサマはキャンプで優秀な成績をおさめるが、集中力が足りないアイマンは行っても面白くない。
アイマンは、父アブがうるさく言わなくなったのをきっかけに学校にいくようになった。

学校の一番前の席に座って、かじりつく様に授業を聞いているアイマンが得意なのは算数
今日も先生によく出来たと褒められ上機嫌だった。

家に帰ってくると兄オサマが軍事訓練に行くから家を出て3年は戻れないと打ち明けた。

オサマはアイマンに、養成所に戻らないの?と聞く、アイマンは学校の方が楽しいよ、と兄オサマに言う。
三男のフセインは父アブと遊ぶのが楽しいさかりで、将来どうなるか判らない。

ドキュメンタリーは、監督の語りで、兄オサマはイスラム原理主義者として死の道を歩み、アイマンは学校に行きながら家族の面倒を見ていると解説し、今のシリアには、私の知っていた頃の安らかは生活はないといい締めくくっている。

ドキュメンタリーを観て思ったのが。

オサマやアイマンは日本でいうなら中学生。
テロリストの息子として生まれ片方はテロリストの道を歩み、片方はそうではない。

それでもお互いが兄弟である事には変わりないという締めくくりになっている所が良かったと思います。

…まぁ理想としては、親と同じ道は歩まない方がいいんですけどね…

TEDトークに出てくるザック・エイブラハムを彷彿とさせるドキュメンタリーでした。



ザック・エイブラハムというのは

同時多発テロの爆破犯の1人が親と言われるのですが、彼の父親もまたオサマやアイマンと同じように

テロリストであるという事をのぞいたら『ごく普通の父親』であり、ある事件をきっかけにわずか4年で世界を転覆させるテロリストになったというのですから、人間関係の誤解には気を付けなければいけないのではないでしょうか。

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