シューマンズ・バーブック(原題名:Shuman's '18年5月 テアトル梅田) | Que amor con amor se paga

Que amor con amor se paga

映画・本などのネタバレメインのブログです
日常で気になったコトや動画も載せてます。

世界を放浪し、自由に生きてきた、伝説のバーデンダー・チャールズ・シューマン。

独ミュンヘンにある、35年以上不動の人気を誇るトップバー『シューマンズ・バー』のオーナーが、成功も名声も手にした今、原点を探す旅に出るドキュメンタリー。

バー界のレジェンドであるシューマンが、世界トップ10に入るバーを巡るというコピーだったので、
バー好きが観る映画になるのかな~と思ったのですが、それよりも人生哲学映画になってます。

バーデンダーという職業を選んだからこそ、お客様との距離の取り方とか、

サービス業で、あまり同業者同士の付き合いがない人や、付き合いに偏りを感じる人に、オススメかもしれませぬ。

そんなワケで、予告編はこちら、あらすじいってみる。



時は、'91年。
1冊の本が欧米のバー業界に衝撃を与えた。

装丁は聖書の様にシンプル。
中のイラストはモノクロの印刷で、派手な色を一切排除したカクテル本『シューマンズ・バーブック』が上梓されたからだ。

そこには500種類を超えるカクテルのレシピが、ベーシック、クラッシック、ニューウェーブ全て網羅されていた。

欧米のバーデンダーは、競う様に買い、擦り切れるまで読んだという。

著者は、チャールズ・シューマン。

'82年に、独ミュンヘンに食事もできるバー『シューマンズ・バー』を、オープンし、現在本店も含めミュンヘン市内に4店舗展開している。

'13年にオープンした4店目『シューマンズ・レ・フルール・デュ・マル(悪の華)』は、日本の昔ながらのバーを意識し、照明を落とし内装にこだわり、本店の2階に作った。
シューマンの試みは成功し、'17年に開かれたミクソロジー・バー・アワードで、この店は優勝した。

店のレシピ本の装丁を手掛ける事になった独在住のグラフィックデザイナーのギュンダー・マッタイは『出版社の意向とまったく違うことばかりだった。』と当時を振り返る。

マッタイ曰く、それまでのカクテルレシピ本は、装丁が派手で、色も幼稚園の絵本に使うようなビビットカラーしか使えなかったというのだ。

中身は色を排してモノクロにして聖書の様な装丁にするのは、斬新な試みだった。
それが逆にバーデンダーたちの心を掴んだのだろうと、マッタイは振り返る。

シューマンは、1941年9月生まれの76歳。
今も現役でカウンターに立つ。

体を鍛え、身だしなみを整える事を忘れない彼は、スーツを着こなし、バーデンダーであると同時に、ヨウジ・ヤマモト、Hugo Bossなどでモデルも勤めていた事がある。

彼が『シューマンズ・バー』をオープンするに至ったのは、'80年代当時、欧州ではホテルの中しかバーがなかったからだという。

何故ホテルの中にしかバーがないのだろう?食事ができるバーが他にもあってもいいのではないのだろうか?

イタリアやスペインで、レストラン、ビアガーデン経営で腕を磨いたシューマンは、母国に帰国後、政治とジャーナリズムを大学で学びながら、夜はバーデンダーとして働きつつ、ふとこんな疑問にぶちあたった。
それが自分の店を持つきっかけになったのだという。

シューマンズの目論見は当たり、店は大盛況。
店は世界中に知られるところとなった。

そんな彼が、今回まず尋ねるのは、NYのバー。

ウェストウッドヴィレッジにある『Employees Only』

'04年に『美味いカクテルを追及するぞ』と集まった5人の男性が始めた店だという。

シューマンが、ふらりと店に現れた途端、従業員一同大騒ぎ『シューマンズだぜ!ヒャッハー!』
そんな彼らに『ここはイケメン揃いだな!』とシューマン。

店の名前は『誰が店長でもない』というそうで。
が、店の調理師さんみたいな制服、見習いと、一人前では違う。

店に入ってしばらくは『在庫管理係』に回されるこの店。
在庫管理時代に、酒の名前、カクテルの作り方、お客さんの名前云々をバッチリ覚えてから、カウンターに立つこと、なんだそうな。

次に出てきたのは、'16年に、The World's 50 Best Barsのトップに輝いた店、The Dead Rabbit

スコットランドで製造される300種類以上もある、オリジナルビターが、カウンターにズラ~っと並んでいる所が圧巻なお店。
タバスコの容器に入った漢方薬みたいな感じ(爆)。

『そんなに沢山あんのに、どこに何があるのか、覚えられるの?』とシューマンに聞かれたオーナーのジャック・マッカリーは、『どこに何が置いてあるかわかってるから大丈夫』と、ヒョイヒョイと、タバスコみたいな形のビターを適当に入れてパンチを作って、なぜかコーヒーカップで差し出した(爆)。

ちなみに『カンでビターの場所が判る』のは、彼を含めて店で数人しかいないらしい(滝汗)。

その他にも、NYでは『ブラッディマリー』発祥の地になった『キング・コール・バー』や、ハワイ出身の女性オーナーさんがやっている店が、出てきたりしたのだけど。

…この辺りは、オーナーの話があまり面白くなかったので、正直寝オチしかかっていた…。

でもって、これらの話の合間に挟まれているのが、お酒やカクテルの話。

シューマンは、カクテルが何故、いつごろ作られたのか、2人のカクテル専門家に話を劇中で聞いている。

一人は、NYカクテル史専門家・テッド・ハイ。

彼曰く、ジョージ・ワシントンの時代までは、カクテルを作るのに必要な果物を保存する冷却技術や、氷を作る技術が確立されていなかったから、カクテルらしきものはなかったのでは、というのだ。
カクテルが出来るまでは、お酒もぬるい室温のまま飲まなきゃいけなかったというのが、このオッサンの話。

もう一つは、カクテルが出来た背景には、ベースになる蒸留酒のクオリティが低かったってのもあるんじゃないの?
という説。

これはジャーナリストの、デヴィット・ウォドリッチ、ググったら出てきた。
古風なモジャの人。
劇中ではベルリンの『ヴェルゲエンゲル』で取材に応じている。
いかにも古風ですよ~というバーで。

うむむ、ウォドリッチの方が正しいのか、テッドの方が正しいのか、ドッチーモなのか。

テッドのルックスが、5分丈パンツに、ヨレT、路上でウ〇コすわりして雑談まじりに『カクテルってどうやったかな~』とシューマンに話してるので、情報の信憑性疑いそう(涙)。

まぁ、どっちもなんだろうなぁと。NY Timesに寄稿してるというメガネヒゲジャーナリスト・ロバート・シモンソンは、シューマンがいたからこそ、カクテルの評価があがったと、うまくまとめた。

ダイキリのベースになるラム『ハバナ・クラブ』の製造者、アスベル・モラレスカを訪ねるシーンもよかった。

ハバナ・クラブは、ヘミングウェイが毎日の様に通ったというバーで、ダイキリ発祥の店『エル・フロリディータ』にラムを卸している。

モラレスカは、畑にシューマンを招き、最初の一滴を畑に垂らしてこう言う。

『最初の一滴は、先祖に捧げるのさ。
この酒を巡って、ありとあらゆる人々が争いを繰り広げてきたからね。』

これはベンアフの映画『夜に生きる』の後半部分でラム酒の密造密売を巡ってマフィアが争う場面がありましたね。

ダイキリ発祥の店+ヘミングウェイが通ったというので知名度Upした『エル・フロリディータ』も映画に出てくるのだけど。

毎日ダイキリは600杯~900杯は作ってる

…というオーナーのアレハンドロさんの言葉通り、この店で出されるダイキリは、

ラム酒+砂糖+ライムジューズ+氷をミキサーで、ガシャガシャガシャ~と、プロテインシェイクみたいに混ぜて、ホイ、どうぞっ!…という(汗)
味もしゃしゃりもないもの(涙)

なんつーの?
『本場』というネームバリューに甘えてねぇ?

アレハンドロさんは、シューマンが来たときには、さすがにミキサーじゃダメだろうというので、自分でダイキリ作って差し出したのだけど、店の状況をウソつくわけにもいかず(涙)

テーブルでは、大人一人がダイキリを頼んで、残りの3人がポカリ飲んでいるという、『行く意味ねーじゃん』的はモノがあった…。

『エル・フロリディータ』が、店のネームバリューに甘えて、もてなしや味がガタオチになってるのに対し、お客のあしらい、お客との距離の取り方、サービスの在り方について参考になるのが

『シューマンズ・バー』の本店や、ロックフェラーセンター65階にある『ザ・レインボーホール』、ホテル・リッツにある『バー・ヘミングウェイ』の話。

お客様とバーデンターは、アカの他人同士なワケなのよ。

週6日通おうが、週1回顔を出そうが、本来ならば扱いは同じでなければいけないし、店に顔を出す客も、それをわきまえていかなくちゃいけない。



客の中には、身内扱いして~だの、早く行ったほうが得ダヨネ~だの、特別にみて欲しいの~と、どこの下衆サイトに書いてあったような印象操作を試みるわけなのだ。

相手は客商売のプロなのに(涙)

普段から人なんざ見飽きてるだろうセレブでも、そんな人居ますよ(涙)と語った+そんな輩に対する処方箋を語ったのが、この3つのバー。

『ザ・レインボーホール』は、マイケル・ジャクソンやエリザベス・テーラーが通ったバーなのだけど、
セレブが通った理由は、『あの人〇〇ヨ~!キャー!』と入店した途端、叫ばれて集られて、くつろげない、というコトがない様にしてるからだと思う。

そんな店でも『困った客』は来るもので、元チーフバーテンダーで『キング・オブ・カクテル』と呼ばれた、ティル・デグロフは、シューマンに、困った客の代表格として、俳優のロック・ハドソンを挙げた。
ずいぶん昔の俳優さんなのだけど。
御一行様(おつきゾロゾロ)で来たらしい。

お付き連れてきて威張りたいタイプというのは、他の客の迷惑になる。
ハドソンは、この時『VIPルームってないの?』と聞いたそうなのだ。
この時点で『偉そうだなぁ』なんだけど。

デグロフはどうしたか『VIPルームありますよ~』と言って、屋上まで案内して、バケツみたいなピッチャーに氷とお酒とブチこんで適当なカクテル作って持って行ったらしい。

要するに、特別扱いしてほしいだの、なんだかんだ言っても自分が一番有利になりたいという面倒な人は、それなりの事をこっちもさせて頂きますよ、という事なのだ。

『バーヘミングウェイ』は、パリのホテル・リッツにあるバー。

日本人で冬場にダウン着たままリッツに入ろうとして、ホテルマンに呼び止められたって人がいたらしいけれど、そ、そりゃぁそうでしょうよ(涙)

最近の他のアジアの人を笑えないほど、日本人ってどうして、あの格好でホテルのロビーを横切れるのか(爆)と思うような恰好で歩いてません??
どこのホテルのロビーでも、その恰好で歩けると思うなよって人多杉なんですよ(涙)
妙な形で旅慣れした人の弊害だと思います(涙)。

話を戻す。

『バーヘミングウェイ』のチーフ・バーデンダーのコリン・フィールド氏は、ヘミングウェイの最初の奥さんの息子さんジョン(バンビ)・ヘミングウェイが、長い間ホテルのお客さんと逢おうとしなかった話をシューマンに語ってます。
まぁ、それがこのバーが、長々と店じまいしていた理由の一つでもあるんでしょうが。

ヘミングウェイ所縁のバーで、ホテル・リッツにあり、過去様々な文化人の交流の場になったとなれば、観光客が、ドドドーと押し寄せてくると思うのですよ。
『エル・フロリディータ』なんて、観光客が押し寄せてくるのを、そのままにしてたら、マジかよ…というぐらい質が地の底に落ちたワケで。

ヘミングウェイの息子・ジョンは、そんな形にしてまでバーを再開させるのが嫌だったのだそうです。
再開するきっかけになったのは、ロビーでヘミングウェイの事を話していた知識人の集まりの所に、偶然を装ってジョンがサプライズで出てきた事。
そうした意味ある交流の場にするのだったら、バーを開いてもいいですよ、という事だったんでしょうねぇ。

そうしてバーは、再開されるのですが、ジョンが最後に話した有名人が、ポール・ニューマンだったという事もフィールド氏は話していました。

ジョンが亡くなったのが’00年なので、ニューマンは 『メッセージ・イン・ア・ボトル』の撮影が終わった後ぐらいだったかもしれませんね。

お客との距離は、なかなかと取り辛いと語るのは『シューマンズ・バー』本店のバーテンダー、コスタ・コンタンスと、マキス・キルコス。
二人ともシューマンスの半分ぐらいの年齢なのだけど、シューマンズにはかなわない、でもここで働けば世界中で通じると信じて毎日ワクワクしながら働いているという。
そんな彼らは、オーナーのシューマンの様に

親しみを保ちつつ、同時に、人間としての距離感を大事にするというのは、至難の業

…だと考えているらしい

それは独ミュンヘンは人口150万人と小さな町で、その中にシューマンズは支店も含めて4店舗ある。

週に6日通う客もいれば、4店舗ハシゴする客もいる。
彼、彼女らの心境はもはや『お得意様』だ
それだけではない
『シューマンズ』以外の世界で有名なバーをハシゴした人の中には、お得意様顔をする客もいるだろう。

そうした客の中の多くは、タメ口もいれば、ハグしてくる人もいる。

その客らと、どう距離をとるかが問題だ。


…と、シューマンズのバーテンダーは語っている。

が、その答えは実は、日本の有名なバーが持っていた。

シューマンズは、バーテンダーの人生概念という答えを引き出すために、東京・銀座に向かう…

以下ネタバレです。
つーても、大半書いてしまいましたが(爆)

シューマンズは、日本のバーではいたって当たり前の『チャージ料』ってなんでなんだろう…と思い銀座を訪ねるワケなのです。

日本のバーなのだから、神戸や京都にもシューマンに訪ねてほしい店はあるのですが(涙)
そこまで情報が行き届かないんでしょうねぇ。

最初は『ハイ・ファイブ』の上野氏。

ネイティブ比率の高いこのお店、一間しかない狭いお店なのだけど、上野氏が、できる限り簡単な英語を使って自分の言葉でシューマンに伝えているシーンがよかったです。

英語は伝わらないと意味がないので。

が!次のだな、『スタァ・バー・ギンザ』の岸さんについている通訳の女の子の通訳の酷さが気になる(激怒)

あのさぁ~、他の単語は出てこないワケ??
岸さんの豊富な知識と、貴方の英語のマズさのギャップが、すんげぇ気になるんですけど(怒)
しかもどもってるし。
岸さん、他に通訳の子はいなかったのかしら…涙出てきそうになったわ…。

岸さんのシーンは、あの透明度高い氷をどうやって作り出すかという説明。
『Dancyu』にも特集で出ていた岸さんが使う氷は、氷屋さんから仕入れたものを、いったん緩めて(表面温度を上げる)それから切るというもの。

映画には、'15年で46歳で夭折した『ミルク・アンド・ハニー』のサーシャ・ペトラスキーも出てくるのだけど
彼は『氷が悪ければ最高のカクテルは作れない』と劇中のインタブーで言っていた。

『ミルク~』は、俗に言われる潜り酒場で、電話予約なしに入れない+電話番号も誰もがしってるワケでなく『紹介者なしではダメ』という『いちげんさんお断り』のお店。

シューマンだからこそ入れた+生前のペトラスキーをカメラに収めることができたのだと思う。
ペトラスキーは、シューマンバーブックを、表紙が取れるまで読んだと言っていた。

次は『テンダー』の上田さん。

18年前にNYに生き、NYのバーが計量もせず、いい加減にカクテルを作っていたことにショックをうけ、自分のレシピをネット上に載せて英訳した人。

銀座の他のバーがヒマラヤだとすれば、『テンダー』はエベレストというぐら別格で、襟を正して入らないといけないバー。

『シェイクもステアも、目的は冷やしながら混ぜる事。
同じ目的のためになぜ2つの方法があるのか、その意義は何なのか。
突き詰めるためにも両者の違いを際立たせようと思ったのです。』

映画ではサラ~っと流されてしまってるのだけど(涙)
上田さんをはじめとした、銀座の名バーテンダーの要素だけを映画にすると、 『二郎は鮨の夢を見る』みたいに長い一作品できるかもしれない、うん。

シューマンズがバーブックを作ったときに、欧米人は『しまった!』と思ったそうだけど、岸さんや上田さんは安心したそうな。
今まで自分たちがやってきたことが正しかったと世界中に照明されたのだから、これほど嬉しいことはなかったという。

シューマンズは、映画を見る限り、今はなきOMOTESANDO KOFEEをはじめとしたコーヒー店やブティック、屋台、あちこち好奇心の赴くまま、 日本を回っていたんだろうなと思う。

映画のラストは、日本カクテル文化振興会が主催する『バー・ショー』で締めくくられています。

各酒造メーカーのブースから新商品の案内が出ていたり、有名バーテンダーが招へいされいたりと、華やかなイベントです。

そのあとエンディングで、砂浜に寝そべったシューマンズが映し出されるワケなんですよね。

映画の最後の最後の方で出てくるんですが、実はシューマンズは、人嫌いなワケなんですよ。

この職業で致命傷なんじゃないの?と言われそうなんですが。

毎日毎日、私が僕がって客を真正面から相手にしてたら嫌いになりません??

こりゃ、判るような気がする。

バーテンダーだけじゃなく、サービス業って、キャラクターや人柄という前に、まず仕事ありきなんですよ。
お客様に評価してもらうだけでなく、 その心に寄り添い、よいものだと認めてもらう。

シューマンは、大切なのは逃した客だと言います。
今目の前で『ステキですね~』とか言ってる客のことじゃあないんですよ。

文句言ってくれる客が、何も言わなくなって、去っていった日が最後だという事なのです。

シューマンが体を鍛えているのも理由があって、いくら著名になってもポール・ボギュースみたいな長生きはしたくないというワケなんですね。

ポール・ボギュースは、91歳でなくなり晩年まで活躍しましたが、パーキンソン病を患っていたので、周りの人間関係もよくなかったそうなのです。

そうなるまでに終活をしたいというのが本音かもしれないのでしょうが、そうもいかない、というのがシューマンなのかもしれません。