ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣('17年7月 シネ・リーブル梅田) | Que amor con amor se paga

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英ロイヤルバレエ団の『史上最年少のプリンシパル』であり、バレエ界の異端児とも呼ばれたセルゲイ・ポルーニンのドキュメンタリー

『神の贈り物』と呼ばれる肉体美と完璧な技、しなやかな感情表現で観客を魅了し続けた早熟の天才は何故、孤独と苦悩を味わいつづけなければいけなかったのか

『ヌレエフの再来』と謳われていたにも関わらず、人気のピークで退団。
『宙を舞う堕天使』と揶揄された天才が、どうやって自分自身を取り戻していったのか。

…なんつーか、スタジオレッスン楽しい人向けの映画じゃぁないっすねぇ…(汗)
試写会+今回、二回みてそう思っただよ(爆)

この映画を知ってるIRに聞いたら、万人向けじゃぁないよね~と言われたから、あ~そりゃ、たのしー、って人向けじゃぁないよな、と。
個人的には好きなんすがね

予告編はこちら、あらすじいってみる



セルゲイは、'89年ウクライナ・ヘルソンに生まれた。

生まれつき股関節が柔らかかったセルゲイを見て母ガリーナは息子を4歳から地元の体操教室に通わせた。
体操教室で楽しそうにジャンプし、めきめきと頭角を現す息子をみて、ガリーナは、

この子は、体操よりもバレェが向いているかもしれない

…と思い、キエフ国立バレェに入学させる。

が、共産圏の家族にお金はない。
体操教室に通わせていた頃も、帰りの交通費を節約してたほどだった。

セルゲイがキエフ国立バレエ団に通うと決まった途端、ガリーナはセルゲイと共にキエフに移住、セルゲイの父・ウラジミールはポルトガルに庭師として出稼ぎに、祖母はギリシャまで老夫婦の介護をしに出稼ぎをして、セルゲイの学費を送った。

セルゲイは親族の期待を裏切るわけにもいかず、誰よりも練習し、気が付けばキエフ国立バレエ団でも指折りの実力を誇る様になっていた。

だが、母ガリーナは、このままではセルゲイの才能がもったいないと思い、'03年にセルゲイを英ロイヤルバレエスクールのオーディションに連れていく。
ヌレエフ財団からの後押しもあり、合格すれば奨学金で入る事が出来るのだ。

1000人以上の応募者の中から10~13人しか毎年選ばれない、エリートばかりの集まりのロイヤルバレェ。
諦めかけた頃、セルゲイの元に合格通知が届くが、ガリーナは、英語が全く喋れないセルゲイを置いて去らなくてはいけない事になってしまった。

セルゲイを経済的に支える事で団結していた一家は、彼がロイヤルバレエに入学する事で一家離散してしまう。

入学一年後に両親は離婚、それはセルゲイの後の人生に暗い影を落とし、彼はバレエ団に所属している間、一度も家族を自分の出演する舞台に呼ぶことはなかった。

心の闇を隠しながらセルゲイは、普段は冷静に振る舞い、練習をこなし、周囲の同級生、指導員がその実力に目を見張る中、飛び級を繰り返し、在学中に数々の賞を受賞し、バレエスクールを卒業。

卒業し、ロイヤルバレエ団入団一年でファースト・ソリストに任命されたが、この時にはすでにプリンシパルになる実力があったという。

だが、史上最年少プリンシパルになっても、セルゲイは家族や周囲の人々、自分が愛した人から投資して貰った恩を返す事が出来ない社会的地位の低さに愕然とする。

契約は更新制、労働ビザは、ロイヤルで働く事を条件に降りていて、自分の実力を正式に評価したものではない
週6日踊っても故郷に帰る飛行機代すら出ない。バレエ団の近所にアパートすら借りれない。
旅行もゆるされず、テレビ出演も禁止。
ケガをすれば退団となり、国外退去は免れない…

ロイヤルバレェ団に在籍する、殆どのバレェダンサーは、裕福な家庭出身で、両親はそろっていて当たり前。
舞台には両親だけでなく親族も見に来て祝福してくれる。

皆の当たり前は、僕の当たり前じゃない

説明しても気付かないだろうから、というそぶりで、セルゲイは、長い間、親友の同級生を相手にしても、いかにも、ふつうの家族がいて幸せだという風に振る舞っていたという。
後に、『Take me to Church』を振りつける事となった、セルゲイの同級の黒人ダンサー、ジェイド・ヘイル・クリストフィは、セルゲイを気晴らしにクラブに連れて行って夜通し遊んだ事もあったが、コカイン、タトゥーとエスカレートしていく、セルゲイを見て、 彼が自分たちより突き抜けた天才であると同時に、深い心の傷と闇にさいなまれているのでは、と考えるようになったという。

事実、セルゲイはロイヤルを退団するまでに、自身のツイッターで、いかにもバカ騒ぎしています、今から舞台ですと、サービス心旺盛なり、ハイテンションぶりを発揮してるので、ファンはもちろん、関係者も彼の本心は気付かなかったのではないかと、ジェイドは語っている。

バレェダンサーに生活習慣の節制と食事制限は必要だが、彼は3日食べたいだけ食べて、2日食べない、半日寝てるということもザラだった。

にも関わらず、彼の才能はますます磨きがかかり、

チケットを2年分予約するという狂気のおっかけまで現れた(唖然呆然)

全ての舞台はスタンディングオベーションの嵐に包まれた。

完璧な舞台をこなし、ファンへの対応も王子様並。

だが肉体的にも精神的にも限界に来た彼は、ロイヤルバレェ団から、ある日突然去る事になる…

以下ネタバレです

映画は話題となった動画『Take Me To Church』の冒頭部分だけ映し出され、その後、ロイヤルバレェ退団直前、人気絶頂のセルゲイが楽屋にいる姿が映し出される。

体はタトゥーをびっしりと刻んであるのだけど、メイクさんに濃い目のドーランを塗ってかくして貰い、米国から取り寄せた、危なそうなアンプル飲んで、舞台に上がる。

スマドラ飲んで、痛み止めを飲んで、どんだけ薬漬けで舞台にたってるんだと、まだ若いのに。

そこから、彼の母ガリーナさんや、セルゲイのナレーションも交え、ガリーナさんの撮ったホームビデオや写真を交え、ドキュメンタリーが始まっていく。

…という出だしです。

踊る事が好きだった田舎の無邪気な少年が、世界的に有名なバレェダンサーになる事で、常に良い子の仮面をかぶらないと自分は愛されないのだろうか?という壁にぶちあたるのは、うんうん、そうなんだよ、と。

母親は、母親で、ロイヤルやめて失意の思いで故郷に帰ってきた息子に、アンタに皆期待かけていたんだから、私のやった事は間違ってない、みたいなコトいうし、ムカつくな~(激怒)と思った、正直。

お前の夢押し付けてるんじゃねーよ…例え息子が世界有数のバレェダンサーになったとしてもだよ、フツーにみたら、この間20超えたばかりの息子じゃねぇ?世界で一人のお前の息子だろうがよ。セルゲイも折角帰ってきたのにオカンしか逢えないし、オカンこれかよ…(ゲンナリ)というので、すぐにモスクワに行ってしまう。

'13年に、モスクワに移住したセルゲイは、ロシアの人気番組『ビックバレェ』で『ディアナとアクティオン』のアクティオンを踊り優勝。

今までの肩書を捨ててチャレンジしたロシアで、セルゲイは国立モスクワ音楽劇場・芸術監督イーゴリ・ゼレンスキーに見出され以後、彼を芸術の父とあがめるようになる。

ロイヤルバレエ時代は、華やかな役を回される事が多かったセルゲイなのだけど、ここでは『スパルタカス』みたいな雄々しい役もやってるわけで。

ゼレンスキーのもとで様々な事にチャレンジし、目の肥えたロシアの観客の前で踊る事はセルゲイにとって刺激になったものの

3年で踊る事の意味を見いだせなくなってしまい、引退しようと思うようになる。

それで彼が踊ったのが『Take Me to Church』

これはもう踊らない、引退するつもりで踊ったという。



セルゲイの同級生ジェイドが振り付けたもので、撮影に4か月かかったしろもの。

撮影当時セルゲイは、これが終わったら演技学校に行くつもりだったので、頭を空っぽにし、今までのしがらみを全て捨てて踊ったらしい。

そして感情が赴くまま踊ると、捨て去ろうとした事が次々頭に浮かび、哀しくなったというのだ。

彼が人生の新しい一歩を踏み出すチャンスを得たのは、このラストダンスだけではなかった。

『Take~』の動画を見た子供たちが、セルゲイの踊りを一生懸命マネして踊ろうとする姿が、Youtubeにアップされている姿だった。

今まで好かれようと、周囲にあわせて無理していた。バッドボーイの自分のままでも、受け入れてくれる人が世界中にこんなに居る

セルゲイは、子供たちが自分の動画を見て踊る姿を見て、ゼレンスキーに『ギャラは要らない、もう一度踊りたい』と申し出、モスクワ音楽劇場のゲストダンサーとして出演する事になった。

彼は、自分が踊りたいという思いだけなら、もうとっくの昔にバレェを辞めているという。

バレェダンサーは常に誰かが誰かのポジジョンを狙う熾烈な争いに巻き込まれ、高度なコリオを覚えるのに精一杯で、人間としての鍛錬、人間性を深める事、感情表現を豊かにすると言った、バレエダンサーが重要視するべき要素がおざなりにされている。

それでは、観客にいい舞台を提供できるわけもないし、身の上を補償されていなければ、技量を磨くこともままならない。

何よりも、どこか国際的に大きなバレェ団に属していなければ、労働ビザがおりないという不条理に自分が晒されたセルゲイは、若い世代の育成に力を入れているだけでなく、彼らが活動を続ける上での、身の上の補償をするべく活動をしているという。

『ファースト・ポジション~』にも貧しい国から奨学金で来る生徒の話が出ていたし。

映画はセルゲイが、自分の手掛けた最初のプロジェクトをロンドンのサドラーズウェルズ劇場で行い、両親と祖母をはじめて招待する所で終わる。

この映画、元々、ヌレエフの伝記の映画化権を持っているプロデューサーのガブリエル・ターナーが、バレエダンサーを探してた'12年に、電撃引退したセルゲイと出逢ったことがきっかけで作ることになったのだそうです。

が、彼自身警戒心も強く、当時は監督だけでなく周囲の人々にも心を閉ざし、映画化は難航したのだとか。当然ですよねぇ
メディアは勝手な事、書きまくる中で、貴方の半生映画にしませんか?なんてプロデューサー現れたら、いくら事情知らないったって、お前空気嫁って事です。

映画を観て判ったのが、セルゲイ自身、今やってる事や人間関係を全て壊さないと、前に進む事が出来ない性分じゃないかと。

これはかなり苦しいもので、自分がなりたい姿になる為に、そこに行き着くまでに、人の何倍もエネルギーは居るだろうし、孤独感にさいなまれると思う。

私自身、天才に、ほど遠いけれど、壊さないと前に進めないので(涙)それは、判る。

反対に、ブログやインスタで気軽にシェア~いいよね~イイネ何十個!ってヤツは正直いってワカラン。

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…ってのは正反対

セルゲイが、一番つらかった時代を支えていたのって、誰なんだろうなぁ…と考えたんだけど。

あれだけ沢山のファンや、舞台関係者に支えられながら、彼が心の内を明かしたのはバレェの先生と同級生の一部だけだったんじゃないかなぁ…と思うのだ。

本当の友達は、ボコボコ量産するものじゃぁなくて、少数精鋭でいいという事を教えてくれた映画でもありました。

しっかし、セルゲイ

故郷の雪道を、真っ裸で走ったらダメよ(涙)