バックコーラスの歌姫たち('13年12月テアトル梅田) | Que amor con amor se paga

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原題名:Twenty Feet From Stardom


映画『ストリート・オブ・ファイヤー』のサントラの殆どはメインキャストではなく、
吹き替えだ。

その半分は、この映画の主役ともいえる『バックコーラスの女神』たちである


自分たちの歌声が、違う人間の歌や、架空のユニットとしてリリースされる。

それを彼女たちは、どの様に受け止めてきたのだろうか?


本年度の締めは、バックコーラスの女神たちのドキュメンタリーにしたいと思います。

予告編はこちら、あらすじいってみる






たった数歩の距離なのに、そこに行くまでは勇気だけでなく、運、実力、何もかもが
そろっていなければいけない。

ブルース・スクリングスティーンは、バックコーラスとセンターで歌う歌手との違いに
ついて語る、はたまたスティングは

この世は公平ではない、特にこの業界はと、実力はあってもセンターに立てない
バックコーラスの女神たちの要因をしりつくしたかの様に言う。


だからといって歌姫たちが業界に何も働きかけてこなかったのか、そうではない。

歌は私たちを否定しないから

彼女たちに共通するのは、歌だけは自分を認めてくれる唯一のものだからというもの


楽譜を読んで平面的にメインヴォーカルの添え物の様に歌う、白人コーラスと対照的に、
魂を吹き込んだのが、黒人の彼女たちだった。


バックコーラスの歌姫たちの多くは、黒人牧師の娘ながら、信仰に縛られることなく、
ゴスペルを愛し、聖歌隊で物心ついた頃から歌っていた。

歌うことは神に祝福される事。

'60年代に3人組で活躍したブロッサムズはプレスリーやシナトラのバックコーラスとして
レコーディングに傘下した。


ブロッサムスが、今も仲がよく、当時も3人一緒だったのに対し、単独行動だった女神も居た。

ブロッサムスのメンバーの一人・ダーレン・ラブが、プロデューサーに紹介した、メリー・クレイトンがそうだった。


メリーは、レイ・チャールズのバックコーラス『レイレッツ』に入り、早々と頭角を現す。

しかしありあまる才能で、人を楽しませる事をレイに見抜かれたものの、正直にアドバイスをきけないでいた

'69年に、ローリング・ストーンズとのコラボで『ギミー・シェルター』で入れた強烈なバックコーラスは、依頼主の
ミック・ジャガーの度胆を抜く事に。

ミックとしては、臨月と知らず黒人の彼女に軽く依頼したつもりが、歌詞の過激な内容に反発したメリーから
強烈なブローを喰らったという感じだった。

上昇気流にのったメリーは、ソロデビューし、アレサ・フランクリンの再来と言われたほどの歌唱力だったが、同じタイプの歌手を2人も求めなかったこの時代、
次第におちぶれていく。

その時はじめてレイのアドバイスを思い出すのだった。


メリーだけが、ショービジネスの世界に翻弄されたのではない

才能があるから、バックコーラスからソロにならないかと、唆されたのではなかった。
この時代少しでも才能があれば、プロデューサーは、先のことを考えずに目先の売り上げだけを考え
その様な口約束をしたものだった。


アイク&ティナ・ターナーのバックコーラス『アイケッツ』のメンバーとして、キャリアを
スタートさせた、クラウディア・リニアは、現在スペイン語講師で、現役の頃の面影はない

かつてはセクシーな衣装に身を包み、動くフィギュアとも言われ、パワフルに踊り、
ミック・ジャガーとデヴィット・ボウイの両方に曲を捧げられた程の歌姫が何故?

仲間たちが、どんなに一時期落ちぶれても、歌うことを諦めなかった様を観て、自分も
しがみつけばよかったのではないかと、クラウディアはふと頭をよぎるらしい、だが、音楽を
否定することはないという。


現在エルトン・ジョンのバック・コーラスをつとめるタダ・ヴェガも、ジャクソン5でさえも
そのやり方に翻弄されつづけた、モータウンのビジネスに翻弄された。


音楽が好きなだけ、ただ歌いつづけたい、だがこの業界はそれすらも時に
ゆるしてくれない事がある



彼女らのさきがけでもあるダーレン・ラブは、名プロデューサーのフィル・スペクターに
振り回された

自分の名前でソロデビューするはずが、別人名義でレコードはリリースされたのだ

フィルは、ビートルズをプロデュースする程の大物になり、態度も横柄になり、
かつての様に、どんな新人にも才能が平等にあるという見方をする人間ではなくなっていた

ダーレンは、金の亡者になったスペクターの元を去り、NYで家政婦の仕事をすることに。

ある日、仕事先でラジオから自分がかつて歌っていた『ジングルベル』が聞こえていた

まだ自分の曲が世の中から消えたわけではない

それは彼女に唯一残された復活のチャンスだった。

それから彼女は映画の端役などを引き受け、業界に復活するチャンスをつかむ様になる。


こうした彼女たちの後を追う世代で、生き方として一線を画すのがリサ・フィッシャーだ

'80年代からセッション歌手として活躍する彼女は、一時期グラミー賞も受賞する程のソロ活動をし、
'89年からつとめたローリング・ストーンズでのセッションシンガーとしての活躍ぶりは、
セクシーでパワフルそのものだった。

これはメリーが最初に歌ったというローリング・ストーンズの『Gimme shelter』なのだけど、この頃は、リサ・フィッシャーが
ローリング・ストーンズのセッションメンバーだったので、バックコーラスをつとめている





が、今の彼女は、セッションをつとめる歌手から絶大な信頼を得つつも、プライベートを
確保することが一番大事だという。

歌うこととは分かち合うこと、競うものじゃない。
時々別の力は働くのをみると、頭が痛くなりそう



セッション歌手は、その時代によって誰が一番だとか、優れているとか、そういうものじゃない。


彼女の世代から、もう1つ若い世代なのが、ジュディス・ヒル

『This is it』で『I can't stop lovin you』のセッション歌手に選ばれたのが彼女

マイケルの追悼式で『Heal the World』を歌った時は、何がなんだか判らなかったという

他の世代と違い、これを機会にソロを目指す彼女は、セッションは、ソロになるための勉強だという


バックシンガーは、縦横の人間関係のつながりがあるそうで、一人にインタビューすると3人そしてまた3人と
ひろがっていくそうなので、結果的にこの映画でインタビューしたのは、50人ちかくにのぼったそうだ。


その中で、顔を出してもいい人、何回も頻繁に名前が出てくる人などをフィルムに出している。

ここに名前は出てこないが、声だけきけば『ああ、この人の声は』という人もいるかもしれない。

『スリラー』のバックコーラスから『アバター』の怪獣の声まで、バックコーラスの仕事は様々だ。

しかし近年リミックスや録音技術の向上で、バックコーラスの仕事が激減しているのも確か


他の人の声を引き立てることで、キャリアを積み重ねるのは、ある意味無償の奉仕かもしれない

名声に一番近い場所で仕事をし、名声までとどかず、落とし穴も見ている人たち

メリーは、『スウィート・ホーム・アラバマ』のバックコーラスを引き受けるべきかどうか、
年はなれた恋人に相談したのだそうだ、自分ではどうしても納得のいかない依頼だったから

黒人の自分がどうして白人の象徴であり、まだ公民権運動のおさまらない米国でこの曲を歌う必要があるのかと

恋人は怒りおさまらない彼女に答えたそうだ、いつか判る日がくると

それは、メリーが、人種差別を気にしなくていい時がくるといいたかったのかもしれない事なのか、
それとも彼女が歌うことで、黒人の地位や名誉を奮い立たせることになるのか、それとも
両方なのか、どちらかは判らない。

彼女らは、歌う歌も選べなかったという事実だった。



映画は、インタビューにも出てくる、ルー・リードが歌う『ワイド・サイドを歩け』で
始まり、バックコーラスが強調される形でチューニングされていく。

人生のワイルド・サイドを歩き続けてきたバックコーラスの歌姫たち

センターで歌う歌手より歌唱力があり、
歌を愛してやまない彼女たちの多くは
センターには立たない、諦めた人も居る


それは運なのだろうか、何かの力なのだろうかと。


映画の中に出てきた歌姫の一人、ジュディス・ヒルが最初にきいたマイケルの曲は
『マン・イン・ザ・ミラー』なんだそうだ。

鏡の中の自分から変えていかないと全ては始まらない

サビの歌詞は、そう繰返されている


バックコーラスの歌姫たちは、鏡の中の自分を見つめなおして今があるのだろうか。

そう思える映画だった