──この駅で降りたって改札を抜けて駅前に出たことは、記憶にあるだけでも3回はあるはずなのであるが…、実はこの街の駅前の光景がどんなだったか、あまり記憶に残ってないのである──なので、今回この街を取り上げるにあたって、あちこちのネットで街並みの画像をあさってみたのだが、ご多分にもれず駅舎は改装されてるし、繁華街風景も妙に新し目で小ぎれいである…。僕が数回降り立ったのはいずれももう20年以上前であり、その時点でも決して出来たての新興繁華街ではない、いくらか年季のはいった印象であったから、あきらかに街はお色直しされている。さて、今回ちゃんと記事として成り立つのかな、なんて不安を抱えながらも、とりあえず進めていきます── 愛知県豊橋市──東海道新幹線の停車駅であり、三河地区の中心都市として古くから栄えていた街である。当然駅前には広い道路沿いにオフィスビルや商業ビルが並び、人通りも多いという、大きな都市の駅前にありがちの光景が広がっている(この“ありがち”という点が特にこれといった印象を僕の中で薄めているのだろうけど)。当然駅もかなり大きい。新幹線併設駅であるということもあるが、駅舎は高く広く聳え立ち、ロータリーから伸びて行く道路沿いのビル群れを見下ろしてる感じである── 初めてここに降り立った時は夜も更けていたが、週末だけあって繁華街は賑わってたように見えた。その夜は駅前のサウナで1泊。翌朝トイレの洗面所で歯を磨いてたら掃除のおばちゃんに「そんなクサイとこで磨かんでも、こっちの洗面所つかやええがな」と笑いながら声かけられたことを覚えており、わりと気さくな街なんだな、という印象を持ったのだった──この時の旅程は飯田線で天竜峡を経て松本方面へ抜けるというものだった。飯田線のトータルな沿線風景と豊橋の開けっぷりとのギャップがまた印象的だったのを覚えている。 2度目は名古屋で地元の仲間と遊ぶために向かう途中での寄り道下車。ぶらついてる最中に駅前の大通りで市内に住んでる当時の創作仲間♀にそっくりな人が通り過ぎるのを見かけた。翌日名古屋で逢う予定のメンバーとも共通の知り合いで、その数ヵ月後くらいに別のきっかけでその仲間♀と個人的やり取りが始まり、名古屋のメンバーと完全に縁が切れてる現在でも年賀状のみのやり取りが細々と続いている相手だが、この時点ではまだ顔見知り程度でさほど親しくはなかったし、向こうも会社の事務服姿だったので声をかけるのは遠慮しといた──この時はそのまま東海道の在来線で蒲郡とかで途中下車しながら名古屋へ。 3度目も名古屋での仲間との集まりがらみの途中下車だったと思うが、この時は豊橋から名鉄で名古屋方面に向かったのだった。この時のことはほとんど覚えてないが、少なくともその時点で豊橋から名鉄が出てたかどうかうろ覚えだったから、名鉄の乗り場を捜し歩いたはずである──ほとんど迷わずにすぐ見つかったように記憶してるから駅構内をあちこち歩きまわったりはおそらくしてないだろうけど…。 ──てな感じで、少なくとも3回降り立ち、うち一度は宿泊して従業員さんの人柄に触れ、別の機会には知り合いとニアミスしたりと、街にまつわる個人的エピソードも複数ある豊橋の街なのに、街自体には漠然と大きな街だなという程度の印象しかないのである。今回あらためてネットで街の風景をあさってみるまで、路面電車があったり地下街があったりしたことも全く忘れていたが、そう言われてみれば下に降りて歩いたような記憶もうっすらと…、というレベルである。3回とも駅前を大きくはずれて散策はしてないから住宅街とかの様子もわかりません。なんかもったいないよね。せめて駅裏、新幹線ホーム側くらいは散策しときたかったな、なんて今になって思ったりしてます── |
明日から始まる初場所の番付、先場所幕尻で大きく負け越したその力士の四股名は十両の真ん中あたりにある──しかし、その力士は初場所の土俵には上がらない。初場所だけでなく、次の春場所にも出場しない、というか春場所の番付にはその力士の四股名はない──昨年12月15日付でその力士の引退届が相撲協会に提出されており、すでに引退が成立している力士である。届けの提出時点ですでに初場所の番付編成会議は終わっており、初場所の地位が決まっていたため、番付上は名前が残っているのである…。 栃乃若…、春日野部屋師匠の現役時代の四股名(栃乃和歌)から読みをもらったその力士は高校相撲での実績を携えて鳴り物入りで角界に入門した時から将来を大きく期待されており、実際その後の出世もかなり順調であった。上述の四股名をつけられたことからも師匠の期待のほどがうかがえよう──十両入りしてからも一気に番付を駆け上り、あっという間に新入幕。この僕も久しぶりに期待できる力士が現れたな、と思ったものであるが…、その後はどうにも伸び悩み、怪我を何度もしては十両と幕内を往復し、だんだん本人的にもモチベーションが失せてしまった、というようなことを記者会見では語っていたらしいが── しかし、詳しく踏み込んだところまでの言及は本人からもなかったし、師匠も「彼の意志に気が回らなかった自分の落ち度」を繰り返すばかりで、ここに至るまでの詳しい話し合いのやりとりについては何も語らず、聞いた側にとっては最後まで真相はわからないままだった、という印象が拭えなかった──いずれにせよ、将来を嘱望された有望力士は、三賞も三役も未経験のまま大成することなく、不完全燃焼の印象のみを残して26歳の若さで角界から去ることになったのだった。 ──今から思えば新入幕の時にケチがついた感じがあるよな…。4年前の初場所で好成績を上げて、翌春場所での新入幕が確定的となり、地元(兵庫県)にニシキを飾るカタチで幕内力士として凱旋するはずが、例の八百長事件のために春場所が中止となり、地元凱旋ならず、もちろん地元で予定されていた新入幕披露パーティも中止。結局新入幕場所は5月の技量審査場所で、テレビ中継もないままの新入幕場所となってしまった。今思えばこれがケチのつき始めだったような気がする。新入幕前と後での相撲っぷりの極端な違いを思うと、あれは間違いなく分水嶺だったよな…。 かつては期待された若手幕内力士がこんなカタチで突然に謎の引退(当時は廃業)をしてしまうことは意外とちょくちょくあったようである昭和30年代あたりは豊ノ海、先代逆鉾、沢光など、平成以降だと力桜がそうであるが──それらはたいていは本人の素行だったり師匠との確執が原因である場合がほとんどだった。今回の栃乃若の場合も、記者会見での両者のあまりの歯切れの悪さを考えると、何かその手の問題があったのだろうかと勘繰ってしまうのだが…、でも栃乃若のあの感じからしてそんな破天荒で粗暴な振る舞いはしそうにないし、春日野親方もまた横暴な感じは決してない。それだけに今回のこの引退劇は非常に謎なのである──まさか数年後に週刊誌で爆弾告発なんてないだろうな…。 ともかくも、栃乃若は引退後は親方として相撲協会には残らないとのことで、今後についても「角界での経験を今後に生かしたいと思います」と言うのみであることからも、現時点で次の進路は決まってない模様。2人の雰囲気からしてマネージャーとして部屋に残るとかもまずなかろうし…。まあ「ご多幸をお祈りします、頑張ってください」としか言いようはないけれど、晩年の土俵や記者会見での覇気のなさを思うと…、一般社会での彼の社会人としての今後がいささか心配な気はしないでもない── |
総合診療科という医療部門をご存知だろうか? 医療における診療科のひとつで、特定の臓器や疾患に限定せずに多角的に診療を行う部門であり、外来初診の症状のみの患者に対して迅速かつ適切に診断をつける科である──患者の症状の原因がどこにあるのか、すなわち何科の領分なのか、まずそこから見極めなければ、そこで間違ってしまうとその後の治療が的外れになってしまうわけだ。腰に湿布を貼っても膵臓炎は好転しないし、風邪薬を処方されて毎日服用しても上顎洞癌はどんどん進行するわけだ。 昨年、僕が鼠径ヘルニアにかかった時、数ヶ月前からの下腹部片側の異様なふくらみと鈍痛を、部位の位置からして膀胱か尿管、あるいは前立腺だろうかと思っていたのだが、胃への鈍痛を併発するに至って胃腸系の障害かと思うようになった。なので病院へ行くにあたって、受診するとしたら泌尿器科か内科かのどちらかだと思って近所の総合病院に出向いたのだが、窓口で症状を伝えると即座に外科に回されたというわけだ──直近に胃が痛んだことで内科かも、と思ったので総合病院へ行ったのだが、下腹部のふくらみだけだったら街の泌尿器科医院へ行ってるところである。そして泌尿器周りの的外れな治療を続けてるうちに…、なんてことにあるいはなってたかも知れない。 こちらやこちらでも書いたが、内科であれ歯科であれ、自分の専門領分の範囲で診断をつけようとする傾向があるし、当の患者自身がその方面の症状だと思ってそれらの科を受診にくるわけだから、どうしてもミスリードというものは発生してしまう。結果としてそれが命取りになってしまう場合だってあるのでは、最初に受診する科を間違えてしまうと取り返しがつかないではないか…。 そう考えれば、総合診療科という存在はある意味福音かも知れない。少なくとも上述のような的外れ治療の可能性はグッと減るし、死なずにすんだはずの患者が生命を落とすような事態もかなり減ることだろう──しかし、現在総合診療科がおかれている病院はわずかである。しかもそのほとんどが大学病院内に設置されている。ひと通り各科がそろっているわけで、そこの総合診療科で何科の専門領域かの当たりがついたら、結局は同じ大学病院のその科で治療を受けることになるわけであり…、つまりは自分とこの大学病院のために設けられている面は否定できないだろう…。 いずれにせよ、現状、総合診療科で診断をつけた患者が、近所の専門の街医者を受診することはないだろうから、零細の開業医はますますやりにくくなるだろうな──そう考えると、総合診療科にはどんどん増えてほしいとは思いながらも、どんどん増えて困る人たちも出てくるのはフクザツではある。総合診療なんて、個人開業ではできないだろうしな…。 |
先日報じられた“ナッツリターン事件”はいろいろと庶民感覚からは信じられないポイントが満載である──大韓航空の女副社長(大韓航空の持株会社の財閥グループ代表の娘)が、機内でマカダミアナッツを袋ごと提供されたことに「サービスがなってない!」などとブチ切れてチーフパーサーを機内から出すよう要求、これを受けて離陸準備に入っていた同機は搭乗ゲートに戻ることを余儀なくされて、チーフパーサー不在で20分遅れで離陸、という経緯で、さらにその後関係者を懐柔して事実を隠蔽するように迫ってたことなどが海外メディアで報道されてから問題が大きくなり、女副社長は辞任したがそれで収まるはずもなく、検察や行政も処分の方向で動いてるなど、多方面で大騒ぎとなっている。 このニュースを見るまで不勉強にして失念してたのだが…、韓国には現在も財閥が存在して経済を牛耳ってるわけなのですね。日本では軍国日本を推進した象徴とされ、戦後すぐGHQの命令によって解体されて消滅した財閥が──そういえば、韓国は現在でも徴兵制をしいてましたっけ…。あと、これも今回調べて初めて知ったんですが、学校で使う教科書もこれまた日本では終戦とともになくなった国定教科書(国家の全権により占有的に編集発行された教科書)なんだそうですね──なんか、戦後なくなった軍国日本時代の制度が、あれもこれも今現在の韓国に普通に存在してますね。 その“国家が編集権を占有する”国定教科書を用いて授業をしている韓国の首都であるソウル市内のすべての中学高校に『親日人名辞典』を配布する案がソウル市議会で先日通過したらしい。「学校図書館に備えつけ教師が親日派を正しい知識で教え、民族正統性を正す趣旨。検討後に小学校への拡大も考える」「教師が購入を申し込んでも校長が受け入れない事例が多かった。教育庁が一括配布するなら教師と学生が一緒に見て親日という誤りを繰り返さないよう省察する機会を持てる」などと関係者はコメントしてるらしい──戦前の軍国日本の「鬼畜米英撃滅」を彷彿とさせますな…。日本に好意的なやつは非国民だ、ってか? 一方、北朝鮮はアメリカになんか噛みついてるらしい。この国はある意味いつものことで今さら感もあるけど、今回は外交や政策がらみではなくコメディの娯楽映画に対して──偉大なる金正恩第一書記を揶揄する内容の映画であることが許せないと、映画会社にサイバーテロを仕掛けた(北朝鮮側は事実無根を訴えてるが言い分が見え透きすぎてる)ことにより、映画会社は封切り中止に追い込まれたという──表現の世界に対して国家体制にそぐわない思想を統制して弾圧って、それ何ていう蟹工船? 戦前軍国日本でもさすがによその国にまでそれを(国家対国家として)押し付けたりはしてないぞ。 このサイバー攻撃を受けてオバマ大統領は北朝鮮を“テロ支援国家”への再指定を検討してるらしい。それに対して北朝鮮はさらに語気を荒げて反発しているが、さすがに「9.11を思い出せ」は挑発としても度を越してるだろう。てかその9.11の時もそうだったがアメリカはテロには徹底的に報復するぞ。アメリカを本気にさせて敵に回して一体どうするつもりなのだろう。進め一億火の玉だ、ってか? 韓国も北朝鮮も、やってることがことごとく戦前の軍国日本とやらと変わらないんですけど…。一体どの口で反日を訴えてるんだ──日本が“いつか来た道”を南北いずれの国も現在進行形で歩いてるわけなんですが、今現在どちらの国でも軍靴の足音が鳴り響いてるわけなんですが…、日本の左方面の皆さん、なぜそっち方面には何も言わないの? 逆に彼らの「おまえが言うな」な言い分を鵜呑みにして一緒になって自国を責めるようなことばかりしてるのはなぜ? ねえ、どうして??? |
年末の紅白に椎名林檎が3年ぶり2度目の出場を果たす。この人の楽曲で描かれる世界観は基本的にはあまりNHK向きではないように思えるのだが、意外とNHKに起用されることが多いみたいだ。前回の紅白初出場時の曲『カーネーション』は同名の朝ドラ(それについてはこちらもご参照を)のテーマ曲だったし、今回の紅白でほぼ間違いなく歌われるであろう『NIPPON』はワールドカップ中継のテーマソングである── で、この『NIPPON』という曲なのだが…、その歌詞内容について一部週刊誌やコメンテーターから「日本代表のチームカラーを「混じり気無い」との表現が『純血性』を強調してる」「『死』が特攻隊を思わせる」「『日本の応援歌』と言うが意味深な歌詞をはためく国旗の下で歌われてしまうと…」「過剰で、TPOをわきまえてないフレーズでワールドカップ中継のテーマとしてふさわしくない」「サッカーは民族と文化の混在のシンボルなのに」「某チームの一部サポーターが掲げた『ジャパニーズ・オンリー』という横断幕が大批判されたばかりで、サッカーのカルチャーを全くわかってない」などなど、おおよそ彼女の一貫したアーティスト世界をまるで理解せず一面的に偏った見方での批判がかなりメディアによせられ、それに対して本人が「当事国の方々が過去を踏まえて問うなら耳を傾けるべき話もあるかもだが、日本人から右寄り云々とのは心外。揚げ足を取られたと思うほかない」「死は生と同じく平等に与えられるもので、いざという局面で死の匂いを感じさせる瞬間は日常にもある。死をも辞さないほどの誇りや後のことまで考えられないという決死の覚悟を写し取っただけ」「最前線で戦う方だけにわかる『死んでもいいから突破したい』はどんな分野にでもある。苦しむんじゃなく楽しもうという気を出せば成功するだろうと思った」と反論を語ったりと、おおよそ音楽とはかけ離れたところで話題(ごく一部のイッちゃってる系の人の間だけだと思うけどねw)になったようだ。 ずいぶん前にもさだまさしが反戦歌のつもりの『防人のうた』が真逆の意味に曲解されて右翼のレッテルを貼られたことがあったが、あれはこの曲が映画『二〇三高地』の主題歌になったことでミスリードされた面もあったかも知れない。しかし今回の『NIPPON』は一体何によってミスリードされたのだろう? しいて言えば偏向したイデオロギーによって、ではないか? …ったく、J-POPソングさえもイデオロギーで聴く人種がこんなにもたくさんいるってことにマジ驚きである。アルバム『無罪モラトリアム』や『勝訴ストリップ』から始まる彼女の一連の楽曲世界を聴いてから出直してこいよ──今回の紅白で、おそらくはバックに日の丸でも映しだす演出で歌われるであろうこの曲を聴いた(イッちゃってる系の)人たちによって、上述のアホな議論が再燃しないことを願わずにいられない。 それにしても、たかがJ-POPソングを聴くのに、そういう人種の監視までせにゃならんとは…。 |
先月、長野県北部で発生した地震は、フォッサマグナ(糸魚川・静岡構造線)上にある活断層の一部が動いたことによるもので、マグニチュードは6.7、最大震度は長野市北部と小谷村の震度6弱である。その中でも最も大きな被害が報じられてるのが白馬村なのだが、しかしその白馬村の震度は5強だという── マグニチュードというのは地震の規模の単位で、どのくらいのエネルギーでその地震が起きたのかを表す基準である。それに対して震度というのはその地震による被害の度合いの単位であり、建物がどのくらい破壊されたのか、屋内の設置物がどれだけ崩れたのかを表す基準である──なので、被害が最も大きかった地区イコール必ずしも最も地震が強かった地区ではないのはその通りである。しかし、震度とは上述の通り被害の度合いを表す単位である。最大震度を観測した地域よりも震度が低い地域の方が被害が大きいだなんてこと、あるの? 現在の震度分類は0から7まである。以前は6までだったのだが、1948年の福井地震の際にこれまでの震度6の範囲を超える被害が出たことにより新たに震度7が設けられ、1995年の阪神・淡路大震災の時に震度5と6がそれぞれ“弱”と“強”に分割されて現在に至るわけである。で、震度5強と6弱の境目はというと──木造住宅の中でも耐震性の低い住宅は倒壊するものがある。耐震性の高い住宅でも壁や柱が破損するものがある、というのが6弱で、耐震性の低い住宅では壁や柱が破壊するものがある(全部ではない)のが5強である。倒壊する木造家屋が出るか否かというのが5強と6弱の境界線と考えてよいだろう。で、今回の白馬村の被害状況であるが、家屋及び倉庫の全半壊が100戸を超えているという──これで震度5強止まりなの? いくら何でもそんなことはないでしょうよ。 実は気象庁の発表する震度というのは、その地区に設置された地震計が指した震度を元にその地区の震度が発表されているのだ。あくまでも地震計が設置されているその場所の震度。それでその自治体全体の震度にされてしまうのは、あまり合理的ではないような──さらに言うと上述の通り震度とは被害の度合いの単位であるから、そもそも計器の数値でピンポイント的に測定できるようなものではないのである。今回の地震も活断層の真上あたりにあるエリアが被害が最も大きかったわけで、その地区のピンポイント震度は実質7にはなるのではないかというコメンテーターもいたようである。 ともすると僕らは、ニュースの地震情報の「○○市は震度いくつ」なる情報で一喜一憂しがちであるが、こうしてみるとそういう情報は断じてアテにならないわけである。被害状況が正確に把握されるまではいたずらに各地の震度を発表するのはどうなのかな? って気がしてしまうのですが── |
この12月1日付で松ヶ根親方(元大関若嶋津)と二所ノ関親方(元幕内玉力道)が名跡を交換し、松ヶ根部屋は二所ノ関部屋となった。そう、横綱大鵬をはじめ数々の名力士を輩出した名門部屋で、昨年の閉鎖後も一門にその名をとどめていた名跡である。部屋の再興は大鵬の遺言であり、それが実現することになったわけだから、やはり喜ばしいというべきなのだろうか── 旧松ヶ根部屋の新生二所ノ関部屋所属の力士は現在10人前後で、関取は松鳳山1人。それ以前の過去に幕内力士は4人誕生しているが、いずれも平幕下位を数場所務めただけで大成することなく終わっている。松鳳山も闘士あふれる相撲で上位を沸かせてはいるが、もうひとつ大成し切れてない感じである。年齢と体力を考えても現在がピークのような気がする。下の方にすぐに関取になれそうな有望力士は今のところ見当たらないから、名門の本家になったはいいが、この先がかなり大変なのではなかろうか、という気がする── 旧松ヶ根部屋は師匠が所属していた二子山部屋(現貴乃花部屋)から分岐した部屋で、その二子山部屋は創始者の元横綱初代若乃花が花籠部屋から分岐した部屋である。それがもう50年以上前のこと。で、初代若乃花は花籠部屋の力士として土俵に上がってたわけだから、花籠部屋が二所ノ関部屋から分かれたのはさらに前ということになる。年月もそうだし、部屋としても分家の分家の分家、曾孫であるから、一門内とはいえかつての二所ノ関部屋とのつながりはかなり薄まってるのではなかろうか。佐渡ヶ嶽部屋や片男波部屋のように直接の分家部屋もまだ残ってる(大嶽部屋もそうだけど、こちらは現在一門から離脱している)し── て言うか、一門本家の部屋にそんなにこだわるのであれば、消滅した後でこんなふうに名跡交換などで既存の部屋の看板を掛け替えるようなことになる前に、閉鎖前の本家部屋を何とかてこ入れしようとかは考えなかったのだろうか? 旧二所ノ関部屋が結局閉鎖したのは昨年のことだが、その10年以上前、大善(現富士ヶ根親方)の引退以降関取が途絶えてたばかりか、三段目以下の3人しか力士がいない状態が何年も続いてたのである。その大善も長らく1人関取だったけど、幕内力士としてはさほどパッとしないままだった──部屋閉鎖の20年以上前からその状態。当時いくつもあった一門の部屋たちは、本家の凋落ぶりをどう思って見てたの? ──で、そうこうするうち結局部屋は閉鎖されてしまった。大鵬が再興を願う遺言を残して逝った直後、実に数ヵ月後に二所ノ関の名跡を取得した玉力道は片男波の部屋付き力士で、関取経験場所数の関係で分家独立の資格はない。遺言に背くカタチで状況は推移していき、しかし一門名は二所ノ関のままだったのである──そういう一連の流れを考え合わせると、今回の旧松ヶ根親方の名跡変更のニュースも手放しで喜べないのである。単に体面だけでカタチ上部屋を復活したのか? という印象をどうにもぬぐえないし、上述の通りの弟子の状況で将来性が安泰とは言い難いのもあって、いろいろ不安なのである。そして、一門の他部屋の今までの対応を考えても、そんな状況の中で何も手を打たれずにまた…、な未来が見え隠れしてしまって── 松鳳山の年齢を考えると力士でいられるのはあと4~5年だろうか。師匠の定年は7年後で、現在の部屋付き親方はいずれもその前に定年退職するから、松鳳山が時期二所ノ関親方=一門の総帥になることはほぼ間違いなかろう。引退してせいぜい1~2年で、である。そうなった暁に、一門の他親方衆は、ちゃんとサポートして、一丸となって一門を盛りたてて行けるのか? その辺、非常に不安ですよ。 だからさ、他の一門でもことごとく本家が凋落してる状況なわけで、もはや一門制度にこだわる考え方も見直すべきなのではないかな。公益法人として新たなスタート切ったことだし── |
来年春、北陸新幹線が金沢まで開通する。それにともない並行在来線はJRの経営から切り離され、第三セクター鉄道として生まれ変わる。その運営会社は沿線各県ごとに分割され、石川県エリアはIRいしかわ鉄道という新会社の路線となる。金沢までは暫定開業であり、北陸新幹線はその後福井県の敦賀まで伸びる予定である。そのタイミングで並行在来線の金沢以西の石川県内もこの新会社へ移管される見込み──ということは、石川県の新幹線以外のJR路線って、七尾線の全長60キロ弱のみになってしまうのか?。新幹線にしても駅は金沢、小松、加賀温泉の3つのみの予定であるから、僕のような『いつ街』フリークな旅人にとっては訪れにくい県になってしまうな…。 そんな、実質石川県内唯一の“地元”JR路線になってしまう見込みの七尾線最大の都市は、やはり線名にもなってる七尾市であろう。その代表駅が七尾駅。路線自体は隣駅の和倉温泉駅が終点で、その先穴水はのと鉄道になってしまうわけだが、これも移管前まではその先、廃止された輪島まで伸びる路線の中間あたりに位置する、文字通り路線の中心駅と呼べるロケーションであった──ただ、駅前風景に中心街としての面影があるかというと…、なのですが。 能登方面のどん詰まりまで行くことを試みながらも結局果たせずじまいになってしまったことはずいぶん前の宇出津の時に書いたが、七尾駅に降り立ったのは、能登を目指したその時の旅程の中の途中下車であった。石川県の中ではそれなりに名の知れた都市(相撲ヲタの僕的には横綱輪島を始め、幕内力士を多く輩出した街として印象づいている)だし、せっかくだから見ときたいなと思っての途中下車である(途中の宇野気駅付近に当時お手紙のやり取りのあった創作仲間の女性が住んでたけど、その人が主婦だったこともありそっちでは降りようとは考えなかった)。 主要駅で市の玄関駅とはいえ、他路線との接続駅ではなく、駅自体の規模は決して大きくはない。駅舎もそれなりで、よくある田舎町の駅という感じである。つまり、それまでローカル路線の小さな委託駅や無人駅の風景に馴らされた身には久々に大きな駅に着いたなと感じさせられはするが、駅舎はコンクリート造りの2階建てで小ぢんまりした感じの、駅としての必要十分な機能に、売店など多少の商業施設が付加されたくらいの感じであった。とりあえずお昼も近いし、駅舎内に合った軽食喫茶(wikiによればこれも昨年に閉店してしまったらしい)にて軽く腹ごしらえすることに── サンドイッチだったかナポリタンだったか忘れたが、とにかくそんな感じの軽食を摂りながら窓の外の駅前ロータリーを眺める。バスやタクシーはそこそこ乗り付けているし、人もそれなりには歩いている。ロータリーの向こう側にはそれなりに銀行やら店舗ビルやらの商業施設も見られる。決して寂れてはいない、街としてそこそこの体裁は保たれてるように見えた。ただ、そのたたずまいはエリアの拠点都市というよりは郊外の衛星都市のノリに近い印象で、金沢の通勤圏とはちょっと言えないくらいの距離の場所で独立性のある街のたたずまいとしては「ん?」という印象なのは否めない。 この時は、とにかく能登の奥の方に早く向かおうとばかり考えてて、駅周辺から少し離れたところまで散策して歩こうとはしなかった。ほとんど駅舎を離れないまま七尾を後にしたんじゃないかな? せっかく改札抜けたのにもったいなかったなぁ…。ちょっと足伸ばせば七尾湾から日本海を拝めたのに。その後の能登への旅程が見事に空振りだったことと併せて、実に惜しまれる── |
よく、ネットの掲示板やらブログのコメ欄なんかで見かけるのが表題のセリフ。主な意味は「くらだんことネットに書いてUPしてんじゃねえよ」てとこだろうか。まあ「くだらん」にもいろいろ種類は合って、ホントに毒にも薬にもならない、つまりは何の影響力もないもの、単にネタやギャグとして全然面白くないもの、そもそもその場の話の流れに全く関係ないもの、あるいはちょっとムカついたり神経を逆なでされたりするようなものなどいろいろある。ま、要は「人に読ませる価値のないもの」ということであろう── 実際、こう猫もシャクシも個人ブログを開設して自分情報発信するようになった昨今、話題としての面白味も文体としての面白味もない駄文ばかりが並んでるブログも少なくないわけで、正直「こんな何でもないことばかり書いてるんだったらブログで全世界に発信する意味ないんじゃね?」なんて思うことも少なくないし、読む気もしない。考えることは僕だけではなくみな同じで、誰にも読まれずに閑古鳥が鳴いてる個人ブログ、あちこちにありませんか(←これって思いっきりブーメランだwww)? 中には「自分の気持ちの整理が目的であって誰かに読まれることはあまり想定してないんですよ」などと平然とおっしゃるブロガーさんもいらっしゃったりして、それだったらネットにUPしても仕方ないだろ、なんて思ってしまったりするわけだ。単なる自分だけのための日記のつもりなら、チラシの裏とは言わないが市販の日記帳とか、パソコンでもオフラインで自分のディスクの中だけとかでこっそり書いてればいいのではないかと── 問題は、表題のセリフに込められた、相手の文章がくだらないかくだらなくないかの判定は多分に個人の主観によって決まるものであり、そのセリフを言う者にとって以上でも以下でもないことである。僕が読んでくだらないと思う文章でも、誰かにとって面白いってことは十分あり得るし、想定した読者が1人だけだったとしても、その人が音信不通でどこか知らないところで目に触れることを期待してとかいうのであれば、文章自体が万人にとってくだらないとしてもそれを書いてUPする行為は決して無価値ではないだろう。くだらない(と自分個人は感じる)ブログをくだらない(と自分個人は感じる)という理由だけでネット上からの抹殺を望むというのは、人としての恥ずかしさや罪深さは、くだらないブログを書くことの比ではないように思うのだがいかがでしょうか── ちなみに、家で新聞取ってればわかることだし、そうでなくても郵便受けを覗いたり街で配られてるのを手にとったりしてればわかることなんだけど…、最近は裏面が白紙のチラシって、ほとんどないんですよね──「チラシの裏にでも書いてろ」などという現状不認識な書き込みを見るたび、つい「もしかしてこの人はヒキコモリなのかも…?」なんて思ってしまうんです。そのこととチラシの裏レベルのブログ書くこととでは、どっちがより恥ずかしいことかについて、一度じっくりと吟味してみてもいいかも知れませんね。 |
当サイト『ポエグラ』コーナーは、創作同人時代に僕が作った数々の詩作品やドラマシナリオ作品を公開するコーナーであるが…、実質的に10年以上前から詩もシナリオも書いてはおらず、創作活動というものがほぼ停止状態になっている。その理由はいろいろあるけれどあまりここでごちゃごちゃは書かない。いずれにせよ、現在の僕は詩の書き方もすっかり忘れてしまった感じで、今「何かウチのサークルの会誌に書いてください」などとオファーもらったとしても、正直作品のアイディアが浮かぶ気がしないのが正直なところ── で、そうなると『ポエグラ』コーナーを更新しようにもネタがないのである。実際、昨年まで4年くらい更新が停止されてた時期があったし。過去のサークル参加作品や個人詩集収録作品はほぼ出尽くしてしまった。さて今後コーナーの更新をどうしようか…。 ──そう思い立ったところで「いやいや、詩集収録のトーク文章に未発表のものがたくさんあるではないか」と思い立った。今までもわずかに数編くらいUPはしてたけど、あくまで詩作品のおまけというか、ちょっと一息的な位置づけだったのと、それに加えてエッセイトークはこのサイトの他コーナーでさんざんやってるから『ポエグラ』でまで…、てのもあってこちらではあまり力を入れずに未発表のまま手をつけてなかったのだ。「しばらくこれらのUPでしのごうか…」なんて思いながら先日来連続してこのようなトーク文章をUPしている。 トークの組み立て方や話の進め方は基本的に現在のこのサイト各コーナー記事のそれと大差はない。この当時のこれらトークが現在のこのサイトのスタイルの原点と言えるかも知れない。この当時のものはトークのためのトークではなく、詩集に収録された詩作品への導入やつなぎの意味合いも込めてるので、僕の中ではこれらも論説とかではなく創作作品としてカテゴライズされている。現在のサイト記事にはそうした創作的なカラーはかなり薄まっており、ここを“創作サイト”と称するのはどうかという気がして『よろず文章読み物サイト』と称してるわけなのですが…、でも原点には創作があるのは間違いないわけで、創作としての要素をこのサイトからはずすことは今までも、そして今後もできないだろうし、そうするつもりもない── そんなわけで、しばらく『ポエグラ』コーナーはエッセイトークのUPでつないでいきます──しかし、当時の詩集収録トークたちを読み返してみると、現在のサイトでのコーナー分けではほとんどがこの『ノンセク』にカテゴライズされる内容だよな…。しきりにこのコーナーのネタに苦労してる話を今までも書いてるが、焼き直してここに新記事としてUPすることも出来たんだ、と今気づいてしまった──もう遅いかw とりあえず、エッセイトークも出し尽くしてしまったら、その後の『ポエグラ』コーナーをどうしようか──もちろん継続するという前提である。また詩作にトライしてみるかな? 若い頃とは違う作品世界が広がるかも。 |