ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館 -35ページ目

ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館

春原圭による、よろず文章読み物ブログです。読んでくれた皆様との忌憚ない意見交換を重視したいと考えておりますのでよろしく。









 小学校のグラウンド内で放課後にサッカーをしてた生徒の男児がゴールに向けて蹴ったボールがフェンスを越えて学校の外の道路にまで飛び出してしまい、そこをたまたまバイクで通りがかった80代の男性がボールをよけようとして転倒して足を骨折。この時の寝たきり生活の影響かこの男性はその後認知症を発症、1年半後に誤嚥性肺炎で死亡した──という事故の経緯を読んで、さて、これって誰にどのくらいの割合で、どのような種類の責任がある、とあなたは考えるだろうか…。亡くなった80代男性の遺族が損害賠償を求める訴訟を起こしたのは事故の3年後、男性が亡くなってからでも2年後である。で、訴えられたのは小学生の男児、であるが相手は児童であるから、両親の監督義務違反ということで、争う相手は生徒の両親であった。請求額は50,000,000円である。その判決が先日最高裁で出された──原告の請求を棄却、両親には賠償責任なしという判決である。
 まず、生徒がボールを蹴ったのは学校の校庭、普通ゴールに向かってサッカーボールを蹴ったのである。もちろんそれが学校のフェンスを越えて公道に出ることは普通は想定しない。どのくらいの勢いでそれが飛び出して来たのか分からないが、小学生の足で、バイクがパニクって転倒してしまうほどの弾丸ライナーになるとは思えない。てか、学校や公園の前を走行する際に飛び出しやらボールが飛んでくる可能性を想定するのは、普通に教習所で教わる"かも知れない運転"の範疇である。転倒骨折はともかく、その後の認知症の発症は直接関係があるのか疑問だし、少なくとも家族のケアである程度回避できたのではなかろうか。その後の誤嚥性肺炎もしかりである。原因をどんどん遡って大元の原因にすべての結果責任をかぶせるというのはいかがなものだろうか…、というのが一般的な感覚で、上記の最高裁判決は至極当たり前と思えるが──
 しかし、1審も2審も、金額こそ減額されてるものの、遺族の訴え通りに親の責任を認めた判決が出されてるのである。実は過去この種の、親の監督責任が争点になった裁判では、ことごとく親の側が敗訴しており、今回のような親の全面勝訴というのは前代未聞なのだそうだ。上述のように子供に責任を問うこと自体に疑問があり、なおかつ両親のいない場所しかも学校の中で起きたことに関して、責任を両親に求めること自体スジが2本も3本も違うだろ、という感覚と法廷の論理は違うものなのだそうだ──これでは両親は常に子供の学校についていって校庭でサッカーするのを止めなければならなくなってしまう。遺族だって人の親なのだろうに、そんなふうに自分だったら、と置き換えて考えたりとかしなかったのだろうか?
 いろんな意味でおかしいことだらけで、原告側の主張にはきな臭さすら感じてしまうのだが…、でも最高裁がマトモな常識感覚をもっててよかった──上告審で高裁判決が覆ること、てかその前に法廷が開かれること自体が少ないことであり、被告の両親側の弁護士の間でも上告断念を勧める声もあったらしいが、諦めないでホントによかったと言えるだろう──とはいえ事故から11年を経過して、当時の小学生男児は現在では20代の青年。青春前期をこんな裁判で責められながら過ごしたことは、果たして取り返しはつくのか…。
 今回の判決が、親の責任を争点とする裁判において今後判例となるのか、単なる例外中の例外で終わってしまうのか…、それ次第では若い夫婦はますます安心して子供を持てなくなってしまう──わかる? この一件って、昨今の少子化問題を左右する問題なのですよ。こんなべらぼうな言いがかりで何千万もの賠償金を払うのがデフォルトなのでは、子育てなんてリスキーなこと出来るわけがないではないか。少子化対策に取り組んでる政治家及び各種団体の皆さん、今回の最高裁判決が例外的なものに決してならないよう、そちらにも目を光らせてもらいたいものです。

 









 日本人にとって、料理に最も欠かせない調味料と言えば、何といっても醤油であろう。煮物や照り焼きなどを作る時に食材に塗ったり煮鍋に入れたりするだけでなく、漬物やおひたしに直接かけたり小皿にワサビやショウガをといて刺身や寿司をつけたりと、使う料理の種類も使い方のバリエーションも幅広い。ラーメンのスープにせよ、蕎麦やうどんの麺つゆにせよ、日本で普通に生活してて醤油の味に触れずに過ごすことはかなり難しいのではないだろうか──
 みなさんご存知の通り、醤油には濃口と淡口がある。見た目にもわかる通り濃口の方が色が濃くて黒っぽいし、淡口は色が薄い。濃口淡口という字面からも口当たり=味の濃淡も見た目の色の通りだと、多くの人は最初は思ってしまうのではなかろうか? よく言われるのがうどんのだしで、関西の人は関東のうどんつゆは濃すぎて飲めへんわといい、関東の人も関西風うどんのだしは薄味だと思ってるっぽい。健康ブームで減塩志向が高まってる昨今、塩分を控えたくて淡口醤油を使おうだなんて考えちゃう人も出てきたりするのだろうか──?
 …ここまで呼んで「知ってるよそれくらい」なんて言う人もかなりいることだろうし、そういう人には解説するまでもないことであるが…、実は淡口醤油の方が塩分は多くて塩辛いのである──淡口醤油はもともと京料理など素材の見た目の色を生かすために醤油で食材が染まってしまうのを極力避けたくて豆の含有率を下げて作る醤油である。原材料の豆の含有率が下がれば相対的に塩の含有率が上がるわけで、同じ量の醤油であれば、普通に濃口より淡口の方が塩辛い。ほうれん草のおひたしとかにいつもかけてるのと同じ調子で淡口醤油をかけて食べると、かえって塩分を余計に摂取してしまうことになるのである…。なので淡口醤油を使う時はいつもの濃口よりもさらに使用量を控えなければ、煮物などで淡口醤油を加えても鍋の中の色が変わらなくて加えた気がしないとばかりに追加投入などしようものなら──
 なんてことは多くの人、特に西日本の人はよくわかってるはずなのに、上述のうどんのだしの件ではむしろ関西人の方が「濃すぎる」という文句が多いような気がするのは、やはり見た目のどす黒さが影響してるのだろうか。塩分濃度はともかくも、豆などの原材料の味は濃いのは間違いない。同じ行程で作る味噌などで考えてみれば、材料に使う豆の味って結構クセがあるものなのである。みそ汁に対して醤油で作ったお吸い物を澄まし汁と呼ぶように、豆の味は調味料としては"濁り"というのが関西料理的な感覚なのだろう。その感覚を見た目のあの色は間違いなく助長しているはずだ。やはり淡口醤油は薄味なのである。塩分以外は全部──
 しかし濃口がデフォルトの関東人は、これも見た目に左右されて、かつ塩分以外の豆の味が薄いのが頼りなく感じられて、淡口を必要以上にかけ過ぎてしまう危険が──醤油の濃口淡口という呼称は、単にややこしいだけではすまない、健康に関わる問題だと思うのだが、変更することは不可能なのだろうか?

 









 今春もきっちり花粉症になった僕は例年通り点鼻薬のお世話になっている。この点鼻薬、効いてる間は鼻が気持ちいいくらいよく通るのだが、薬が切れると再び鼻詰まりがぶり返してくる。日に何回も点鼻はできないし、長期連用もよくないので、我慢できる限りはなるべく我慢するようにしてるのだが、そうすると鼻呼吸が全く不可能になってしまうので、口呼吸を余儀なくされてしまう。まだインフルエンザも完全に収束していない、空気も乾燥してるこの時期に口呼吸でノドに直接乾いた冷気を当てることになるわけだ──
 先月の後半あたりのこと。ノドに違和感を感じてはいたのだが、上述の通り口呼吸で乾燥したせいだと思ってそのままにしていた。もちろん鼻水やくしゃみもこの季節の定番だし何も疑問には思わない。そんな調子で放置してたら、数日後にノドと鼻の奥が痛くなり始め、やがて熱もぐんぐん上がってついに38度を超えてしまったのだった──完全に風邪だ。それもここ数年ないくらいの重症である。病院に行って5日分の薬をもらって仕事を2日連休し、その間は食事の時以外はほとんど布団の中で寝て過ごしたのだった。この時念のためインフルエンザの検査もしてもらったが、幸いそちらは陰性だった…。
 花粉症になったら、まずくしゃみ鼻水鼻づまりは当たり前だから、風邪のせいだとはなかなか思わない。鼻づまりで口呼吸してれば乾燥してノドはおかしくなるから、これも風邪のせいだとなかなか気づかない。そんなわけで風邪をこじらせてしまったわけなのだが…、口呼吸してれば当然食事中も呼吸しながらだから、誤嚥を引き起こしやすくむせて咳込んだりもするわけで、肺炎や気管支炎を誘発しかねないし、涙目をこすりすぎれば眼の角膜を傷つけて失明の恐れもある。こちらにも書いた通り腰痛持ちにとってはくしゃみや咳の刺激で悪化させる要因になるし、虫歯も口呼吸しながらだと誤嚥を誘発してしまう。花粉症自体も他の病気を誘発する可能性があるが、誘発されたその症状が花粉症とタッグを組みまた別の症状を誘発してしまう──まさに"花粉症は万病の元"と言えるだろう。
 また、花粉症だと思ってたら全然別の病気だったというパターンも多いだろう。上述の風邪くらいならまだいいが、蓄膿症だったとか、あるいは上顎洞癌だったりしたら致命的になってしまう。しかし元々花粉症持ちで例年通りの症状全開シーズン中だったりすると、いつもの症状が別の病気である可能性をなかなか疑ったりはしない。結果、みすみす重症化してしまい、最悪死に至ってしまうという…。花粉症持ちの我々はその辺よく注意を払って、いつもの症状と何か違うな、と少しでも思った時は万一のことを疑ってみるべきだろう。
 それにしても上述の病院受診時に内科のお医者さんからは「くしゃみ鼻水やノドの痛みに気づきませんでしたか?」なんて普通に訊かれてしまった。3月真っ只中のスギ花粉絶賛飛散中のその時期に相手が花粉症持ちの可能性を失念してたのだろうか? つくづく医師の先生方って他科管轄の病気には無頓着だな…

 









 この駅に僕が降り立ったのは小学校5年生の秋、修学旅行で訪れたのである。この駅はもちろん、この街、いやこの県に足を踏み入れたのも、後にも先にもこの1回だけ。小学生の幼い頃で記憶も思いっきり薄いところに持ってきて、上述の通り学校行事だったから駅および駅前で滞留したり付近を散策したりなどはしていないし、またこの駅もご多分にもれず当時の駅舎および駅近辺の風景は現在のそれとはかなり違っている──なので、今回の記事内容は、いつもにも増して街の現状とのギャップが大きいと思われるが…、でも書く。
 僕の通った小学校は私立だったので、学校行事が一般の公立小学校とは段違いでグレードが高かった。同じ広島市内の公立小学校の修学旅行は県内かせいぜい同じ中国地方の近場に1泊2日くらいなものであるが。僕の行った小学校の修学旅行は3泊4日で、行き先も南九州である──その、初日の目的地が今回取り上げる宮崎市であった。当時は新幹線開通前で、広島発の在来線特急列車で約10時間の長旅である。ちょうど3ヵ月前の夏休み、これも学校行事の臨海学校で行った山口県光市の室積海岸が、その時点で僕の行ったことのある西の果て。それを一気に更新である。下関から関門トンネルを越えて初めて九州に到達、小倉から行橋過ぎて別府~大分~延岡と次々南下していき、すっかり陽も暮れた頃に僕たち5年生一行は、先生の引率で宮崎駅に降り立った──
 現在の宮崎駅は外壁のデザインも個性的で大きな駅ビルになっているが、何十年も前のその当時の宮崎駅は実に小さな駅舎で、現在はもちろん、その当時としても県庁所在地駅の駅舎としては最小クラスに近かったのではなかっただろうか? その日の宿泊先は駅からほど近い場所だったと思うが、記憶は定かではない。ただ夜も遅いことだし、チェックイン後の部屋割すませてからその日の夕食はそこで食べたはずだから、駅からは決して遠くはなかったはずである。もちろんその夜は駅から出てすぐに団体で宿に直行だし、すっかり暗くなってたから街の様子は全く覚えていない。市内の様子をそれなりに見たのは翌日のことである。
 この日は平和台公園(最近ちょろっと物議を醸しかけた『八紘一宇』の塔が聳え立つ場所)の後、日南海岸へ行き青島で"鬼の洗濯板"を見た後こどもの国で遊ぶ、という行程であったが、そこへ向かう宮崎交通のバスの車窓から見る宮崎市の街並みは、道路も広いし繁華街もまとまってて、人通りもそれなりに賑わっており、県都の街並みとしては他と比べても遜色はない感じがした。そして現在もそうであるが、道路の至る所で見られるフェニックスの並木が印象的なのはこの当時も同様であった。街としてはかなり大きい印象である。それだけに当時の駅舎のショボさがよけい際立つような気もしたのだが…。でもそれも現在の駅舎なら見劣りはしないことだろう。ネット上の画像で見る現在の宮崎駅及び駅前風景はかなりイメージはよさそうである。残念ながら今後再び訪れる機会はないかも知れないが──
 宮崎市街のフェニックスといい、日南海岸と言い、宮崎=南国という、余所者の一般的な印象は、この時ただ一度訪問しただけの僕にとってもその通りなものである。訪れたのが秋であるため暑さは感じなかったけれど、いろんな意味で陽のイメージの強い街であった──修学旅行2日目の宿泊地は別府だったので、列車に乗るために再び宮崎駅を訪れてるはずなのだが…、その時の駅の印象ってどうだっただろうか…? 何しろ子供の頃の遥か昔の記憶なのでほとんど定かではない。
 ──学校行事とはいえ小学生の分際で広島から宮崎まで旅行という贅沢をさせてもらったのも遥か昔。当時とは全然違うであろう今現在の宮崎を見て感じたい気持ちは強いものの、関東に定住するようになった今となっては、宮崎はあまりに遠すぎる…。

 









 かつてあったような『エンタの神様』や『レッドカーペット』みたいな若いお笑い芸人のネタ見せ番組をテレビであまり見かけなくなったためか、最近の旬の芸人やネタになかなかついて行けなくなってきている。それらを初めて見るのはたいていはワイドショーとかで「今若い人の間で人気急上昇中の…」という芸能ニュースである。すでに人気急上昇してる芸人やネタをワイドショーのこま切れVTRでコメンテーターの論評付きで知る、という感じであるから、若い子たちの認知度とは大きくずれているのは否めないだろう──
 そのパターンで「ラッスンゴレライ…」の8.6秒バズーカを知るのとほぼ同時期あたりに、僕はクマムシというコンビを知った。こちらもやはり芸能ニュースで、ネタを部分的に見て、である──コントのシチュエーションの流れの中で唐突にストーリーとも本人のルックスともミスマッチなアイドル風の歌を歌い始める、というのが持ちネタであるが、その歌のサビの部分の「♪あったかいんだからぁ~」というメロディとフレーズが妙に印象に残る気がするのは誰も同じなようで「あったかいんだからぁ~」はおそらく「ラッスンゴレライ」と並んで今年の流行語大賞の最有力候補ではないだろうか…。
 その『あったかいんだからぁ』が最近CDリリースされ、セールス的にも地味ながらそこそこ好順位につけてるようである。曲はラジオでフルコーラス聴いたが、おそらくは元々コントのネタ用に部分的にしか作ってなかった曲にメロディを付け足して尺を整えたのであろう、全体的な曲の流れとしてはつぎはぎパッチワーク的な印象は否めず、またお笑い芸人的なネタっぽい箇所(「Yes!」とか、ススススス摩擦で指先…、とか)なんかもあったりして、楽曲的にはどうしても「惜しい」気がしてしまう。まあ、そのへんはCDリリース自体が余技で企画モノ扱いなのだろうから、仕方ないのかも知れない…。
 とはいえ、芸人ネタ発祥であっても、たとえば『もしかしてだけど』(どぶろっく)なんかは楽曲としてカタチが整ってるし、『あったかいんだからぁ』ももう少し曲として練れるようにも思えたのである。歌詞世界のコンセプトそのものは悪くないし、メロディ的にも印象に残りやすいし、ちゃんとしたアレンジャーが手がければ結構な佳曲になったのではないか?
 ともあれ、次回はお笑いのネタから離れて、クマムシの正統派な歌を聴いてみたい気もする。テツandトモも正統派演歌CDを出しているし、はなわも正統派な曲に対応できる。過去にもお笑い出身の歌手は何組もいる──Youtubeなどで何度も繰り返し再生してネタが見られる分、最近のお笑い芸人は飽きられるのも早い。彼らのブレイク期間も以前の一発屋たちよりもさらに短いのではなかろうか? 完全に過去の人として消えてしまう前に、音楽の方に新たな活路を求めるという方法もあるかもよ。

 

 ドイツのジャーマンウィングス旅客機がフランス南東部で墜落した事件(これは事故ではなく事件と呼ぶべきだろう)は、副操縦士が機長を締め出して操縦桿を握り、意図的に飛行機を墜落させた可能性が大というか、ほぼそうであろうと結論付けられようとしている。この副操縦士は鬱病で、医師から搭乗不可と診断されていたことを隠していたことや、今回の搭乗前に、恋人に今回の事件をほのめかずメッセージを残していることなどが次々と明らかになっている──いずれにせよ、この事件によって多数の乗客乗員全員が非業の死を遂げたのは間違いない。  ここは防犯・防災・事故防止テーマの『ヒヤリハ』コーナーなので、この記事もその観点から書かねばならないのだが…、実際に乗客乗員としてこんな飛行機に乗り合わせてしまったのでは防犯も防災もヘッタクレもない。助かることはほぼ不可能であろう。となるとそういう危険性のある人間の搭乗を未然に防ぐには、という観点での予防になろうか──飛行機に限らず自動車であっても、運転負荷の病気を会社に隠して勤務した結果大事故、という例が過去何度も報じられている。運転適性、飛行機ならば操縦適性というものを、会社側は正確に把握し、不適格な者の搭乗を阻止させるべきであろう。その可能性につながる情報については、社内での認知を徹底すべきだ。…と言いたいところではあるが──しかし!  かつて、年賀状の季節が近づくと社員の住所録が全社員に配られたものである。毎年、それを見て上司や同僚への年賀状の宛名書きをしたものである。しかし昨今、そのようなものが社内で配られることはなくなった。年賀状の風習が廃れてきたから? そうではなく、個人情報保護の観点からである。住所や電話番号はもちろん、家族構成や前歴なども、社内の人間に対してさえ"個人情報"として遮断されてしまう。犯歴や病歴など、本人にとって黒歴史だったり社内の立場に関わったりするようなことならなおのこと守りたがるだろう、本人も、会社側も。特に鬱病なんて、昔ほどではないにせよ、あまり人聞きのいいものではない状況ってのが間違いなくあるから、不用意にもらすことはできないだろう──  しかしながら保護される個人情報の中には、そんなことまで隠蔽しなければならないのか? と思えるようなことも少なくない。保護すべきところは保護すべきだけど、ちょっと程度問題なのではないだろうか? 今回のジャーマンウィングス旅客機墜落のような大事件は極端な例としても、もっと小さな事故とか横領とか文書偽造とか"個人情報保護"を盾に遮断されずに共有されてれば防げてたのでは? と思える事件がいくつもあるように思えてならないのだが──個人情報と人の生命とどっちが大事なの? ってのは決してオーバーではない、十分現実的な話だと思うんですけどねぇ。  








 大塚家具の会長と社長の"父娘喧嘩"は先日の株主総会の結果、当初報じられた父である会長有利という予想に反して、娘である社長の方に軍配が上がったようである──僕的にはこのイザコザがメディアで報じられ始めた当初から理は断然社長(娘)の方にあると思っていたし、今回の結果は全く持って当然である、という認識なのであるが…。
 大塚家具は46年前に会社設立。創業者である父が長らく社長を務めていたが、会員制にて高価格の家具をセット販売という当初よりの形態が行き詰まり赤字に転落し経営難が続く。そんな中、交代して社長の座についた娘はIKEAやニトリに対抗すべくフリーの客相手の低価格販売へと舵を切り、結果業績は回復。しかし従来の業態にこだわる父は娘の経営方針が気に入らず、社長を解任して再び自ら社長の座につくが業績は再び赤字に転落。すぐにまた娘が社長復帰して再び黒字転換。しかし未練がましい父は娘の社長解任すべく、役員に根回しする一方でマスコミの前でも会社の状況についてコメント、当然娘側も同様の反撃、という状況がメディアで報じられてきてたわけである──
 上述の通り、父の方針は当初はよかったかもしれないが今の時代のニーズには合わないものであることは在任末期の業績が証明する通りであり、娘の方針の方が消費者のニーズをつかんでることもこれもまた就任後の業績回復からも明らかなのである。そういう売上実績に加えて、報じられる双方のコメントを聞いてみても、娘の方が消費者など外部に目を向けてるのに対し、父の方は「古い社員はついて行けない」などと身内それも昔からの身内の方ばかりを向いてる気がして、正直「父ちゃんちょっと見苦しいよ」という印象を禁じ得なかった。実際、株主や役員の根回しひとつとっても、父が社内人脈メインなのに対して娘の方は外部の支持を集めてる感じだったし──
 大塚家具は上場会社であり、当然社外の株主も何人もいる。上場してるということは、その会社は経営陣だけのものではなく、公共性を持っているということである。当然、経営者側としてはそういった社外の株主の方にも目を向けるべきなのは言うまでもない。しがらみにとらわれない社外株主にとって、実際に利益を上げている娘の経営方針と、赤字に転落した父の旧態依然とした経営方針のどちらが支持されるかは言わずもがな。営利企業にとっては売上を出して利益を上げることが至上命題。儲けることが会社存続の大前提なのである。そして株主とは、その会社が産み出す利益に対して期待して投資する存在なのである。支持されるべきは当然娘の方であろう──冒頭の繰り返しになるが、今回の結果は至極当然なのである。
 ──しかし、これが未上場の会社であったら、あるいは違う結果になってたかも知れない。創業者である父にはもちろん創業当初から培ってきた社内人脈と言うものがあり、社内取締役の多くはそうした人脈であろうから、株式非公開で身内だけの会社だったら、娘の方には勝ち目はなかったかも…。まあ、もしそうなったとしても娘の方は新たに起業して成功できそうな気がするが──いずれにせよ父が牛耳ってたら会社には将来はなかったであろうことは間違いない。
 とはいえ今回の"父娘喧嘩"が傍目には見苦しいものであったことは確か。外部の株主の中にも幻滅してる人は少なくはなかろう。娘の経営する今後の体制が安泰とは到底考えられない。社長として、しっかり引き締めて行かねばならないだろう──そりゃそうと、息子も大塚家具の経営陣に名を連ねてるはずんだけど、一連のこの騒動の中ではまるで存在感がなかったねw

 









 このサイトの各コーナー記事を読んでいただくと何となくおわかりかとは思いますが、僕は結構最近のアイドルの曲を聴いたりしてます。AKBやももクロなどの知名度が高いグループだけでなく、まだまだこれからのユニットとか地方で活動するローカルアイドルとか、路上や屋外の特設ステージでのイベントなんかに出くわすと立ち止まってチェックしたりもしてます──
 現在活動してるアイドルの子たちはほぼみな僕とは親娘年齢差がある(実は現役のアイドルの中には高校時代の同級生の娘さんもいたりする。FB内の元同級生のコミュニティは彼女のプッシュで盛り上がっている)というのにいい年齢してアイドル──なんて思うでしょうが…、実は10代かそこらの若い頃よりもむしろ中年過ぎた今の方が、アイドルの女の子たちを可愛いと思えるんですよね──
 小学生の頃、山口百恵や桜田淳子、麻丘めぐみや浅田美代子など、アイドルの人たちは"あこがれのお姉さん"だった。やがて松田聖子や河合奈保子、柏原芳恵や中森明菜など、同世代のアイドルが次々登場するが、こっちも思春期でもあり、可愛いというよりも、いろんな意味でモヤモヤとする存在だった──おニャン子の登場で身近な感じが一気に増してきてからもそれは変わらず、この当時のアイドルの中の何人かの方には、その節は少なからずお世話になりましたw
 それがモー娘。が出てくるあたりになってくると、次第に現役アイドルとの年齢差も開いてきて、また僕自身もさほどモヤモヤする年齢でもなくなってきて、当然のように彼女たちはそういう対象からも外れてくる。それと前後して大人数アイドルが次々と登場し始め、現在のAKBグループの一時代につながるわけだ──上述の通り彼女たちはほぼみな僕とは親娘年齢差。彼女たちを見る僕の眼は、父親目線、もしくは部活の顧問の目線(これも以前に書いたかもだけど僕は元教員志望である)と言えるかもしれない。
 なので、例えばイベントとかで出番を終えたアイドルの子がゼイゼイ息してたりすると「可愛い」とか「頑張って」とかより先に「おい大丈夫か、あまり無理すんな」と思ってしまうし、膝小僧にすり傷とかみつけてしまうと絆創膏でも渡してやろうかなんて思ってしまう…、特に夏場なんかは熱中症まで心配になってしまう…、そんな感じで彼女たちを見てたりする──若い頃より今の方がアイドルが可愛い、と言ったが、その"可愛い"の意味そのものが当時と現在とでは全然違ってたりするわけで──
 さて、この先僕がさらに年齢を重ねて、主力アイドルたちが孫世代とかになった時、僕は彼女たちをどのように見ているだろうか、まあそれなりに応援はしてるような気はするけれど──てかそんなことよりも早くリアル娘やリアル孫娘を持てよ、ってその前にまず嫁さんかw

 









 先月初め、市内の無料大腸癌検診を受けてきた──と言っても、受けたというほど大がかりなものではない。事前予約の上で最寄りの指定病院へ行き、問診の後で軽く腹部の触診をしたら便検査キットを2日分渡されて、翌週に前日と当日に採便して提出。単に病院の受付窓口に渡して終わりである。検査結果は一週間後にはわかるというのでその翌週に病院へ出向いて結果を教えてもらう──結論から言えば大腸癌の心配はなし、とのことであるのだが…。
 以前にもこの『メディラビ』コーナー記事でチラッと書いたことがあったと思うが、僕ってけっこう頻繁に腹の調子を悪くして下痢することが多い。なので問診票の「最近3ヵ月以内に下痢などの症状がありましたか?」の項目に「はい」と答えた(実際あったし)ら、これを結構重く見られたようで、診察時も結果確認時もこの点についてずいぶん念押しされ、結果の通知書も、大腸がんの心配なしとしながらも「気になる症状がありましたらすぐに医師に相談してください」の一文がつけ加えられていた──こういう診断をされてしまうと、検便の「問題なし」も果たしてホントだろうかという疑念がチラホラと…。
 最近の検便は、昔のように便の塊を取って提出というのではなく、表面をギザギザの棒の先で万遍なくこすりとる、という採取のしかたをする。大腸癌検診で調べるのは便の潜血であり、大腸の内壁からの出血の可能性を調べるのだから便の表面を重点的に見るわけだ──ところがこれが結構難しいのである。強くこすると必要以上に便が奥の部分までつきすぎる、かといって普通にこすっても棒の先の溝にうまくくっついてるかどうか。多少は色づいてはいても、こんな量で足りるのか。採取した2日とも多少軟便気味だったこともあってなかなかうまくこすれない、先についてるのが固形というより液状のようにも見えたりして、正直きちんと採取できてるのかどうか自信がもてなかったりするのである。
 そんな状態なわけだから、下痢うんぬんもいくら自分がしょっちゅう起こしてるとは言っても、というかしょっちゅう起こしてるがゆえに「またか…」って感じで実は大腸癌の兆候だったのを見落としてしまう、なんてことにもなりかねないわけで、あらためて上記の一文を診断につけられてしまうと「もしや…」などという不安がぬぐえなくなってしまうのである──
 それもこれも最近の検便が上述のように採取しづらくなってるためである──再来月に予定されてる会社の定期検診でもまた2日分の検便を提出するはずなので、それの結果も併せ踏まえて考えたいが…、でも採便の方法は同じであるから、また上手に取れた自信がなくて、しなくてもいい心配をしてしまうのだろうな…。現在のあの便検査キット、何とかなりませんかね──
 

 









 前回の記事を書いてるまさにその最中に第一報が飛び込んできた日本人人質事件は実に最悪で残念な結末を迎えてしまった。そしてこれで結末ではなく、相手側は「日本の悪夢の始まり」であることを示唆している──これと並行してヨルダン人やエジプト人などについても同様の最悪な結末が報じられている。ヨルダン人の場合はその最悪な所業がとっくになされていたことを隠したその上で自分たちの利益の交換条件のカードに用いていたという。もう、どのような主義主張によっても到底正当化される所業ではないと思うのだが…。
 日本人2人の場合にしても、彼らは日本政府の“利敵行為”への報復としているが、直接彼らに対して武力攻撃したわけでもない(そもそもそれを認める制度も行使する能力も日本にはない)し、支援と言うのもむしろ彼らの活動地の難民を物質的に救済するのが主目的であり、彼らへの攻撃に加担する意図は決してなかったのであるが──そして、彼らが殺したジャーナリストの活動も、それら難民の視点に立ったものであり、現地でも少なからずありがたがられてる人物だったのであるが──そういった経緯も事情も何もかも無視して手前勝手かつ短絡的な思い込みで人質殺害を実行、のみならず宣戦布告ともとれる通告をしてくるという…。
 そして最大の問題は、これらの行為が彼らにとっては“正義”であるということである。我々はもちろん、本来の穏健なムスリムの人たちにとっても到底理解不能な話であるが、彼らの中では彼らのやっていることは“正義の聖戦”であって、それは(本来のそれとは大いに異なるものであるが)“偉大なる神”の教えに基づいたものであるから、そうではない価値観に基づいていくら言葉で説得しようとしても通じるものではないわけだ。『そうではない価値観』自体がそもそも彼らにとっては倒すべき敵なわけだから、それはそうなるだろう──そこにはこちらの情も理屈も一切通用しない。
 そんな連中が日本をテロの標的と認定し「いつどこでも悲劇が起こるだろう」と明言してるわけである。日本人としては、それら特定危険地域にいなくても、いや、日本国内にいたとしても、いつ彼らの手にかけられるかわからない状況に晒されることになるわけだ。そして、いざその段になってどんなに情や理屈で説得を試みようとしても聞く耳など持ってもらえないのである──この『ヒヤリハ』は事故や犯罪などからいかにして自衛するかということがテーマのコーナーなのだが、彼らに対してそのすべが果たしてあるのだろうか…?
 いずれ『日本語』コーナーで“攻撃は最大の防御”って言葉を取り上げよう──ここで「テロにテロで対抗カー!」とか「暴力は何が何でも絶対ダメ!」とか言ってくる人たち、どうかそれ以外の有効な自衛手段についてぜひ名案を教えてください。上述の通り情も理屈も、言葉の説得は一切通じない相手ですよ。僕にはもはや、他に自衛の手段を思いつかないです…。