ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館 -34ページ目

ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館

春原圭による、よろず文章読み物ブログです。読んでくれた皆様との忌憚ない意見交換を重視したいと考えておりますのでよろしく。









 昨年、親戚の法事で6年ぶりに逢った父方の親族の女性が、すっかり背中が曲がっていて杖なしでは歩けない状態になっていたことに驚かされてしまった。前に逢った6年前から膝を悪くしていて、法事の席でも正座ができなくなってはいたのだが、まだ背中はしっかり伸びていたし、若い頃のシャキッと歩いてる姿(美容師だったので自分の店で立って仕事している姿も小さい頃から何度も見ている)がしっかり焼き付いているので、そのギャップを感じずにいられなかったのである。その女性は母と同学年で同い年──その6年前、近くに住んでる母方の親族の女性はすでに腰が曲がり、手押し車を使って歩いていた。母よりも3歳上だが、6年前のその時点ではもちろん現在の母の年齢よりも若い。
 ──で、ふたりと同年代の母はというと、現在でも杖も手押し車もなしでひとりでスタスタ出歩いている。常に歩数計を携えており、よく「10,000歩の目標達成できた」と言っている。直立した状態で腰を屈曲して地面に手のひらをべったりつけられるほどである…。決して母が特別足腰が強いということはない。骨粗鬆症検診では骨密度は同年代の平均に比べてもやや低めだし、若い頃からしょっちゅう腰を痛めてて腰椎にも潰れてる箇所があるなど、不安材料は少なからずある状態だ。それが、普通に腰が曲がってても全然おかしくない年齢の現在、普通に歩けてるというのは──上述の親類の女性ふたりとの差はどこにあるのか…?
 年齢を取って腰が曲がる原因には骨そのものの問題だけでなく、背筋の衰えや神経性の要因もあるらしい。それらの予防としては普段から背筋を鍛えることが大事であり、歩く習慣をつけることは重要と言えよう。その意味では確かに母はよく歩くので、それが腰の廊下を抑えているのかも知れない──しかし、年齢を取って弱るのは足も同様であり、上述の父方の女性の場合もまず膝を悪くして歩くのに不自由し始めたというところからスタートしているわけで、さあどんどん歩きましょう、というわけにもなかなかいかないかも知れない…、結局は、足腰の老化にも個人差がある、としか言いようがないのだろうか。
 僕はというと、若い頃から貧乏学生時代のクセで少しでも電車賃ケチって1駅2駅歩くというのが習慣的になってたし『いつ街』ひとり旅歩き散策という趣味も持っていた。現在でも仕事が外勤メインなのでとにかくよく歩く。なので年季の入った腰痛持ちでありながら、姿勢に関しては現在のところ何の問題もない。まあ、まだ腰が曲がるような年齢でもないですけどねw とはいえ、座ってる時の姿勢の悪さはしばしば指摘されてるところだし、そんな姿勢を長く続けていれば腰にもかなり悪いには分かり切ったこと。将来、60代70代になった頃に杖や手押し車が必需品になる可能性は否定できない──そうならないためにも現在のやたら歩きまくりの生活習慣は変えずに保っていきたいと思ってる次第であるが、果たして…?

 









 先月、俳優の萩原流行さんが夜の青梅街道を走行中のバイク事故で亡くなった件について──
 萩原さんのバイクに最初に接触したのは容疑者を護送中の警察車両であったのだが、その警察車両が接触した経緯は、路上駐車車両を避けるために車線変更した際の後方不確認だという──杉並区内の青梅街道のこの近辺は僕も何度も車で通ったことあってよく知ってるのだが、道に面して商店が連なってるので時間帯を問わず路駐は多い。そのことを地元警察が把握してないわけはない。路駐車両を避けなければならない左車線を走行していたというのがまず不思議である。かつ幹線道路であり普段から交通量がどんなものかというのも分かり切ってるはずであろう。右車線を走る車がかなり飛ばすということも。車線変更ひとつするのもどれだけ慎重になることか。後方を直進するバイクに気づかないなんてのは初歩的な怠慢である。ましてそれが警察車両だとは──
 それは2度轢きにより結果的に死なせてしまった後続車も同じ。車間距離がちゃんと保たれていて速度がそれなりであれば、こちらは前方のことであるからもっと早く気づけたのではなかろうか──バイクの姿と警察車両の姿はもちろん、路駐車両の姿も見えてたはずなのだから、少なくとも警察車両が自分の方に車線変更してくるであろうことは当然予測できたはずなのである。心臓を破裂させるほどの激しい勢いで轢いてしまうほどの速度を出し続ける場面ではないように思うのだが…?
 もちろん路駐車両を警察車両が避けようとするであろうと予測できたのはバイクの萩原さんの方も同じ──いつも思うのだが、バイクって車と車の間をすり抜けてジグザグ進むことが多く、いつもヒヤリとさせられてしまうのだが、ライダーの皆さんは自分の走行がドライバーにとってどれだけ怖いかわかってるのだろうか? ぶつけてしまったら絶対にバイクの方がダメージは大きくなるし、車の方が罪が重くなってしまうから、車乗っててかなりビビらさせてるんですよ…。
 その萩原さん、ここ数年でバイク事故を4回くらい繰り返しており、つい数か月前にも事故ったばかりだったという。さらには長年鬱病を患ってて抗鬱剤を常用しており、この日の朝も服用していたという情報もある。この状態でバイクを運転するなど論外であることは言うまでもない──根本的に運転を禁止するか、あるいは免許証自体を取り上げてもいいのではないかというレベルだったのではないだろうか──所属事務所のマネージャーとか社長とか、夫婦一緒に鬱闘病していた奥さんとか、誰も周囲の人は止めなかったのか? 奥さんは記者会見で警察への不信感ばかりを露わにしてる場合ではないのでは?
 ──てな感じで『ヒヤリハ』的観点ではツッコミどころだらけな今回の事故、いずれにせよ存在感のある個性派俳優をこんなカタチでひとり失ったのは残念なことこの上ない…。

 









 その年の6月だか7月だかに、中央線で木曽路経由で名古屋まで、という旅程を組んだ。当然沿線をそれなりに散策しながらだと、その日のうちに一気に名古屋に到達はできないから、途中のどこかで宿を取らなければならない。主要都市で一泊する時は大抵カプセルホテルかサウナを利用するのだけど、ある程度の規模の大きな歓楽街のある都市でもなければなかなかそんな設備はないので、中小都市で一泊せざるを得ないような場合のことも考えて、その頃の僕は分厚いホテルガイドを自宅に持ってて、事前に予約する、ということもしていた。宿泊先選びはもちろん値段の安さ重視である。なので温泉場や登山口などの観光名所にその夜の宿を求めることはまずない。駅から比較的近い場所にある、あまり大きくないビジネスホテルが選ばれることが多い。木曽路の旅程でその街を宿泊地に選んだのも、条件的に手頃な宿が道中のその街にあったからであって、当初からその街に宿泊すること自体が目的では決してなく、たまたまでしかなかった──
 僕が事前に宿に予約を入れてその夜の宿泊地に選んだのは中津川。木曽路を抜けて岐阜県に入ってすぐ。名古屋側から見た木曽路の入口にあたる街である。その時の僕は木曽福島、上松、南木曽の順に主な木曽路の名所を見て回って「すべて山の中」といわれる木曽路の風景に馴らされてきたところで、久々に街らしき風景を目の当たりにしたのだった──名古屋側から見れば、多くの下り電車の終点でもある中津川駅。名古屋への通勤圏もここまであるのだろうか? ここから名古屋まで通勤って話はあまり聞かないが──駅を降りて改札を抜けて見た街の印象も、大都市のベッドタウンという感じはしなかった。
 都市規模相応の大きさの2階建てのコンクリート造りの駅舎正面からまっすぐに伸びていく駅前通りは片側2車線の広い道路だが、車の通行量はさほどではなく、オーバースペックな感じは否めない。道路両側には銀行や信用金庫、証券会社などの看板が目立つものの、小売店や飲食店の類は少ない感じ。しかしそれ以上に建物がいずれも低いのである。ざっと見渡しても5階建以上のビルはほとんど見当たらない。この時僕が泊まったビジネスホテルも5階建くらいだった。低いながらもオフィステナントビルに会社の事務所などもそれなりに入ってるっぽかったので、この街で商業やサービス業に従事してる人はそれなりにいるのだろうが…、その日が土曜の夕方だったこともあってあまり人通りも感じなかった。飲食街らしきものも見当たらないので連れ立って飲みに行こうとしてる人の姿も見なかった──
 上述の通りこの日のホテルはすでに予約済み、いつでもチェックインできるし、チェックイン後も自由に外出できる。夜の街を散策することもできるのだけど、ひと通り駅前通りを見て、遊べるスポットはなさそうだなと思い、どこかで軽い夕食をすませると、まだ陽も暮れないうちにホテルに入り、その夜はどこにも出かけず部屋で過ごしたのだった──何して過ごしたかは覚えていないが、記憶にないってことはたぶん普通に風呂に入ったあとテレビ観て寝ただけなのだと思う。
 翌朝は早々にチェックアウトして外に出る。旅先での僕の朝はいつも早い。朝の空気のひんやり感が好きだからである。都会の街中のそれとは明らかに違うからな、地方都市のそれは。木曽の入口で標高も比較的高い中津川の朝もまさにその例に漏れずで、賑わってない分市街地の割には静けさがあって、その分ひんやり感もしっかり味わうことができた。建物が低くて道路も広く、向こうの山々が広々と見渡せる光景なんかもひんやり感を増幅させてくれてるのだろう。梅雨明け間近あたりの蒸し暑さに馴らされた身体には殊更に爽快に思えた──この時の中津川での滞在で唯一僕が「良かったぁ!」と感じた瞬間であった。

 









 先場所、新関脇でいきなり、あわや優勝も狙えるかという勢いの大勝を収めた照ノ富士が、この夏場所も前半戦から快調に白星を重ねている。ライバルの逸ノ城が対照的にここのところ壁に当たってる感があるのと対照的に、ここへきて一気に伸びてきた感がある。この調子だと逸ノ城よりも先に大関に上がるのではなかろうか? もちろん将来的には横綱も決して夢ではないようにも思える──
 その照ノ富士、現在の所属部屋は伊勢ヶ濱部屋であるが、もともとの入門時は別の部屋であった。元横綱二代目若乃花の間垣部屋で、若三勝の四股名で活躍しており、幕下まで順調に出世をしてはいたが、小部屋な上に師匠が病気に倒れて満足に弟子の稽古を見ることができず、部屋は全体的に沈滞ムード。そのためかどうか、幕下でしばらく頭打ち状態になっていた。そうこうするうち間垣部屋は閉鎖され、彼を含むわずかな弟子は別一門である伊勢ヶ濱部屋に移籍。その後間垣親方は健康状態の悪化に加え年寄株の維持の問題もあって退職。彼は伊勢ヶ濱親方を新師匠とし、四股名も照ノ富士と改め、日馬富士や安美錦、宝富士などの関取の胸などを借りて稽古に邁進する。
 そんな風に稽古に安心して集中できる環境とガンガン当たる兄弟子に恵まれたのが幸いしたのか、部屋を移籍した途端にそれまでのスランプから脱して十両昇進、その十両もすぐに卒業して入幕、すぐに幕内上位に定着して横綱大関を脅かす存在にまで急成長、そして上述の通り先場所今場所と関脇で大活躍し、一気に大関獲りを狙えるところまで急成長したわけである。本人的にはすごく良かったと言うべきなのだろうが──
 ちょっとフクザツな思いがしてしまうのは、やはりこの“間垣部屋が閉鎖になって伊勢ヶ濱部屋に移籍した途端に”という点である──二代目若乃花が間垣部屋を興してから閉鎖するまでおよそ30年くらい。幕内力士も何人か輩出しているが、いずれも大した活躍もできずに大成しないまま終わっている。大和(ハワイ出身)にせよ五城楼(現浜風親方)にせよ期待はかなり大きかったし、若ノ城なんかはかなり鳴り物入りで入門したのだが…。かなり大きく期待された若ノ鵬はあんなカタチで力士生命を断たれてしまったし──そんな中、間垣親方自身も、師匠(初代若乃花の二子山親方)の娘と離婚して師匠との関係が修復不能になってまで一緒になったおかみさんに若くして先立たれた直後に自身も脳梗塞を患って車椅子と杖が必要な身体になる。当然弟子もどんどん減っていき衰退していく一方の部屋経営をついに断念、ほどなくして自身も相撲協会から去ってしまった。
 その瞬間から若三勝=照ノ富士の大躍進が始まった、てことになると、元間垣親方がよっぽどダメ師匠だったみたいな印象ではないか。一方の伊勢ヶ濱親方(元横綱旭富士)とどうしても比較されてしまう。もちろんこれは照ノ富士が悪いわけでは全然ないのではあるが──でもテレビや新聞雑誌のインタビュー記事とか見ても、前師匠や前部屋について全くと言っていいくらい言及されてない、退職してすでに親方ではなくなったとはいえ前師匠であることに変わりはないはずの元間垣親方の声を載せた記事も全く見当たらない(尤もインタビューを受けられる病状ではないのかも知れないが)というのが「その時代ってもしかして黒歴史?」なんて思えてきたりもしてしまうのだが…、マジでその話題って何かタブーなの?
 今場所はまだ中盤、場所が終わってみないと照ノ富士の最終的な成績はわからないが、来場所は無理だとしても遠からず大関昇進の声を聴くことはできそうである。さらにその先の将来、あるいは横綱昇進の声も? もちろんその前に幕内最高優勝を手にする可能性は大いにあるだろう。その時、照ノ富士は間垣部屋時代のことを、元師匠のことをどのように思うのだろうか。その思いが聞かれることはあるのだろうか…。

 








 「ラッスンゴレライ説明してよ」「ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん! 説明しろと言われましても意味わからんからできしません」「…スパイダーフラッシュローリングサンダー」「ちょちょっちょっと待って、お兄さん! そこラッスンゴレライちゃいますのん?」──はい、もうみなさんよくご存知のお笑いコンビ、8.6秒バズーカーの定番持ちネタですね。結局「ラッスンゴレライ」の意味は最後まで説明されないままネタは終わってしまいます。実際にこの言葉には別に意味は何もない…、と彼らは何かのインタビューで答えてたみたいですが…、この意味について、一部である憶測がまことしやかに囁かれております──本当は怖いラッスンゴレライ…
 実はこのコントは原爆ネタなのだという噂──「コンビ名『8.6秒バズーカー』の8.6は8月6日(広島原爆の日)を表してる」「ラッスンゴレライは『落寸号令雷』という原爆投下の号令のこと(英語でLusting God laid light=神の裁きの光、の説もある)」「2人の登場のポーズがいずれも広島原爆の子の像や長崎平和祈念像にそっくり」「米軍機B29に『CHOTTO MATTE号(機体番号44-86400)』が存在していた」「スパイダー=蜘蛛→雲、フラッシュ=閃光、ローリングサンダー=轟く雷鳴、これは原爆が落ちた様子の暗喩」などなど、他にもメンバーの学生時代の反日的なツイートや在日3世疑惑なども飛び出したりして「彼らは生まれながらの反日分子で彼らのネタは反日工作だ」などという声がネットを中心に拡散してる状況なのですが──ホントですのん?
 ──あのぉ…、何度も書いてるように僕は広島市生まれの広島市育ち、当然原爆がらみのことには学校ではもちろん普段の生活の中でも恒常的に触れながら育ってきましたけど…、断言しますが『落寸号令雷』なんて言葉はただの一度も見たことも聞いたことも習ったこともありません。念のためググってみましたが、この騒動がらみ以外の原爆関連の記事でこの表記には全くお目にかかれませんでした──あの『はだしのゲン』にさえもこんな言葉は全く出てきません。てかアメリカ軍への号令が日本語なワケがそもそもないですよね? あと、メンバーが在日か否かはわからないけど、同時広島にも何人もいた朝鮮人の中にも、何人被爆者がいると思いますか? もしも噂通りにメンバーが3世なのだとしたら、お爺さんが日本にいたのは間違いなく戦時中。在日の方だって原爆の被害者なわけだし、たとえ反日目的であっても原爆をネタにするわけがないのですよ──
 そんなわけで例の噂は全くのウソだと僕は断言しますけど──僕の子供時代みたく被爆者の多くが健在な頃であれば、たとえネットが当時あったとしても、こんな噂が拡散するなんてことは絶対なかっただろうにな…、リアルに触れる機会の消失により知識や情報が先行してひとり歩きしてしまう状況って怖いよな…、なんて感じてしまいました──とはいえ、8.6秒バズーカーの2人、これを機会に逆に原爆関係を含めて当時のことをいろいろ勉強して反核・平和ネタとして次に持ってくれば、一定の興行需要は得られるはずだから芸人としての延命にはなる、少なくとも一発屋にはならずにすむのではないかな?

 









 『お好み焼き』の本場はどこかと言われると、関東の人の多くは大阪と答えることだろう。なにわのソウルフードとして、たこ焼きと並ぶ2大粉もんの一角、という認識が、地元関西はもちろん、関東だけでなく他の地方に住む人の間でも確立されてるのではないだろうか──中国地方の一部を除いて。
 お好み焼きといえば、溶いた小麦粉にキャベツやエビ、イカなどの具をまぜたものをテーブルの真ん中にある鉄板にのせて自分たちで焼いたりヘラでひっくり返したりして作るものである。なので、東京のもんじゃの店同様、店にひとりで食べに入りにくいものがある──関西の、というか一般的にお好み焼きというものに対して多くの人が抱いてるイメージは、そんなところではないだろうか──
 しかし、僕的にというか僕と同郷の人の大多数にとって『お好み焼き』というのは、カウンターに座り、目の前の鉄板の向こう側で店主がまず溶いた小麦粉を鉄板の上に垂らして薄く円形に伸ばし、その上にきざんだキャベツを乗せて、鉄板のとなりで焼いたそばをその上に載せ、その上に焼いた豚肉を乗せ、それらを別のところで円形に薄く伸ばした溶き卵の上にひっくり返して乗せて、さらにもう一度ひっくり返して最上部の卵にヘラでソースを塗って出来上がり…、というものである──え? それは『広島焼き』ではないかって? 違う違う、これは間違いなく『お好み焼き』だよ。てか『広島焼き』って一体何? 生まれてから20歳前まで広島市で過ごし、その後も頻繁に帰省してたけど、地元で『広島焼き』なんて見たことも聞いたこともないんだけど?
 全国区的に『広島焼き』として知られてるあの食べ物は当の広島では『お好み焼き』として認識されている。『広島風お好み焼き』とも違う。ただ『お好み焼き』である──広島の街を歩いて『お好み焼き』の看板や暖簾掲げた店は何軒もあるけど『広島焼き』と書かれた店なんかどこにもない。誰が何と言おうとあれは『お好み焼き』なのである。ご当地においてそう決まってるのだから、他地区でそれを売ったり食べさせたりしようというのであれば、地元の呼称に準じるのがスジであろう。それで金儲けしようとしてる売り物の発祥の地に対してオマージュの精神というのは必要なのではないか?
 1テーブルで鉄板でみんなで焼いて食べる関西風が上述の通りひとりで食べに店に入りにくいのに対し、カウンターで店主と向き合うスタイルの広島風はおひとり様でも入りやすい。東京で独り者にとってはその点もありがたかったりする。なので関東で広島風の店を見つけるとつい足が止まってしまう僕なのであるが──しかし、関東では値段が高すぎるのがネックなのである…。その昔、学校帰りの寄り道でおやつ代わり、いわばマクドナルド的な感覚でそば肉玉ダブルをパクつく高校時代を過ごした身としては「てりやきマックバーガーに900円も出せるか!」なんて思ってしまったりなんかして…。

 









 先日報道された、つんく♂さんの声帯全摘出のニュースは、ブレイク前からシャ乱Qの曲に親しみ、その後もモー娘。始めとするハロプロのアイドルグループのプロデュースなどでその才能に親しんできた、僕を含む多くのファンにとって、かなり衝撃的なニュースであったに違いない。何しろボーカリストにとっては声は生命である。その彼が声を失ったということは、彼のあの艶っぽい歌声がもう二度と聴かれなくなったということである──音楽界にとっても非常に残念である。
 つんく♂さんが喉頭癌であることを公表したのは昨年のこと。その数年前あたりから、テレビのバラエティとかでつんく♂さんの喋る声が異様に嗄れていることが心配ではあった。何しろ単に嗄れてるというレベルではなく、まさに老人のしゃがれ声で、シャ乱Qボーカルとして全盛期だったころのそれとは全く似ても似つかない状態であったから──実はこの、声が嗄れるというのが喉頭癌の重要なサインであるということは僕も知識として以前から知ってはいたし、また一般的にも割と知られている話である。そしてあの声の嗄れ方はいくら何でも尋常ではなかった…。もっと早い段階で、周囲の人も誰も気づかなかったのだろうか?
 喉頭癌の主な原因としてはノドの酷使以外にも酒やタバコがあげられるが、つんく♂さんは非喫煙者だったとのことで、となればやはり歌手としてノドを酷使しすぎたことが原因であろう──忌野清志郎の例もあるし、歌手にとってはかかりやすい癌といえる。
 で、声帯を摘出するということは単に声を失うというだけではなく、呼吸するのに鼻も口も使わなくなり、ノドに開けた気管孔を使うことになる。その結果嗅覚も感じにくくなるし食事の際にもさまざまな不便が生じる。また汚れた空気や乾いた空気を防ぐのも難しくなるので呼吸器の病気にかかる可能性は高くなるのではないだろうか? 日常生活のさまざまな場面で不自由を感じる点は少なくはないと思う──もちろんそれでも生命が助かった方がいいのは当然であるが、クオリティオフライフの観点から見ると、特に歌手という声が生命であり商売道具である人にとっては苦渋の選択であるには違いない。実際清志郎は歌手としての死よりも自らの死の方を選んだわけだし。
 声帯を失っても、食道発声法(これはわかりやすく言えばゲップをコントロールしてそれを声の代わりにして喋る方法)などを訓練して喋れるようになるらしいし、実際つんく♂さんもその訓練をしてるところだという。歌まで歌えるようになれるか、まして以前のようにとなると厳しいだろうけど、この前向きさがあれば、クオリティオブライフは十分保たれるのではないだろうか──ただ、治癒率が高い癌とは言え再発(つんく♂さんの場合は一度治癒したと言われたのが再発により声帯を失っており、次に発症したら再々発)の可能性は否定できないので、検診はしっかり行ってもらいたいと思います…。
 
 









 先日公表された、つんく♂が喉頭癌の再発のため声帯を全摘出したというニュースは、多少なりともJ-POPに馴染んだ者には少なからず衝撃的だったに違いない。シャ乱Qのボーカルとして、独特の艶のある歌唱でファンを魅了してきたアーティストが、歌手の生命であり最大の商売道具である声を失うわけである。もちろん本人にとってもかなり辛い決断だったことは想像に難くない──
 最近ではモーニング娘。を代表にBerry’s工房やC’ute等ハロプロ系の女性アイドルユニットのプロデューサー&楽曲提供者としての活動がメインになってる感があるが、言うまでもなく元々はシャ乱Qのメンバーとしてボーカルを担当、大阪の路上ライブから東京に進出してメジャーデビュー、しばらく全く売れない時代を数年経た後『シングルベッド』『ズルい女』で大ブレイク、人気バンドとして安定した活動をしていた。僕は『いいわけ』等ブレイク後のヒットナンバーも好きだが、無名時代の『18ヶ月』や、コミックソングの『ラーメン大好き小池さんの唄』なんかも捨て難い。個人的に最も好きなのは『上・京・物・語』である。
 つんく♂がプロディーすしてデビューさせたモー娘。が国民的アイドルにまで成長していき、つんく♂の活動の比重がそちらにシフトしていくのと前後して、メンバーのひとりのDVスキャンダルによる脱退などもあり、シャ乱Qの方は一般的には尻すぼみでポシャってった印象が否めないが、実際には解散もしておらず、21世紀にはいってからもシャ乱Qとしてのライブ活動は続いていたらしい──それはこないだネットで動画を探して初めて知ったのだが。でも最近の歌唱は、キーもオリジナルより下げられ、それでも声がかすれ気味で苦しそうな感じに見えた…。
 その後、何かのバラエティ番組で観たつんく♂のトークが、往時からは想像もつかないようなしゃがれ声で「一体どうしちゃったんだ」と思ってたら、ほどなく喉頭癌であることが伝えられたのだった…。一度は完治したと報じられたのだが、再発が判明、結局今回のようなことになってしまった──上述の通りシャ乱Qは少なからず好んで聴いてたので、あの歌声がもう聴かれないのは個人的にもかなりショックではある。
 同じ喉頭癌を患った忌野清志郎は歌手の生命である声を失うのを嫌って手術を拒否し、結果として夭折したが、家庭人として妻子を大切にするつんく♂は、家族のために声を捨てて生きることを選んだらしい。ただ、つんく♂にはプロデュース業もあるし楽曲提供もある。歌手以外にも活躍の場と、それを必要としてる人たちや、支えてくれる人たちがあるからこその決断とも言えるだろう。どちらを選択するかは、それぞれのアーティストとしての生き方であり美学である。我々外野のファンとしては、これからのフィールドでのつんく♂の更なる活躍を祈りつつ応援するのみである──

 









 2015年4月現在、ネット上で最もアイドル的人気がある力士と言えば誰だろう。遠藤? 彼はどちらかというとイケメン力士としてモデル的人気であってアイドル的とは違う。勢や豊ノ島はバラエティ番組でよく姿を見かけるが、アイドル的な人気とは違うであろう。アイドル的=女子から見て「可愛いぃっ、キャッ!」てなる感じの力士である。アイドルというよりは、シーズーとかチワワを見て「可愛い」と感じるノリに近いだろうか──現在そんなノリで赤マル急上昇的にブレイクしてる力士がいる──
 九重部屋の千代丸。実弟である千代鳳と共に兄弟同時幕内力士として活躍。出世争いでは弟の千代鳳が一歩リードしており、あちらが幕内の上位から中位でそこそこ成績を上げてるのに対して、こちらは最高位前頭11枚目で、幕尻でやっとこさ勝ち越して幕内を維持してる状況がここ数場所続いているが、年齢は24歳と若く、入幕してからもまだ1年ちょっとでもあり、まだまだこれから十分上位進出を期待できる逸材である。弟に早く番付面でも追いついて、兄弟一緒に上位を沸かせながらさらに出世争いをして上を目指し、モンゴル優勢で低調な日本人力士たちを引っ張っていく存在として成長してもらいたいものである。
 その千代丸が上述のように「可愛い」とブレイクするきっかけとなったのは、日本相撲協会のツイッター公式アカウントの昨年夏の写真付ツイート。巡業の合間に昼寝をする千代丸の画像を添付したツイート(画像は腕を枕に寝て顔のパーツが中央に寄ってしまった千代丸の素敵な寝顔)を見て「千代丸の寝顔かわいいw」「朝から千代丸たんに癒されました。無邪気だなぁ」「やっぱり千代丸は可愛い」という絶賛の声が次々に寄せられたこと──それに加えて千代丸とエジプト人力士・大砂嵐との仲の良さも注目を集めている。協会公式同アカからは2人がじゃれ合う画像もツイートされており、彼らの仲よさげなじゃれ合いも、同じように彼女たちの萌え心をくすぐってるらしい──やはり、アメリカンショートヘアやアビシニアンを愛でるのと同じノリであるw
 実際、画像で見る千代丸の仕草や表情はユーモラスで可愛らしくもあり、見ててこちらも和んでくるのは事実である──だからこそ協会公式アカも、そうした写真をツイッターでUPして公開したのだろう。実際ネット上でかなり話題になっており、千代丸の知名度が上がるにつれて大相撲に対する世間の関心も上がってくるのであれば、それはそれでいいことだとは思う。なのだが…、これでも一応正統派な相撲ファンのつもりの僕的には、もちろん一面では喜ばしいと思いつつも、一方で違和感もあるのも事実である。
 それは、やはり上述の通り、千代丸がまだ若くてこれからもっともっと上を目指して精進せねばならない逸材でありながら、入幕以降決して好調といえる星を残しているとは言えないからだろう。弟の千代鳳の後塵を拝したままということも、印象的にはマイナス要因である──その現状でミーハー的人気が先行してしまうと、ますます土俵での成績との乖離で、好角家の印象もさることながら、それ以上に協会幹部たちの印象を悪くして、かえって本人はますます相撲に集中しづらい悪循環を懸念してしまうのである。過去、パフォーマンスや仕草先行で話題を呼んだ力士たちの多くが、本来の実力に比して大成できなかった例が多々あるから…。師匠の九重親方(元横綱千代の富士)の目には、弟千代鳳だけでなく千代大龍などに比べて伸び悩んでる感がぬぐえないこの弟子のこうした話題をどのように見ているだろうか──
 千代丸のこの画像は協会公式アカがツイートしたもの。つまりこのブームは他でもない相撲協会自身によって仕掛けられたブームと言える。千代丸が今後力士として大成するか否か、どちらに転んだとしても、それは他でもない相撲協会自身によって作られた結果、ということになるわけなのだが…。

 








 こちらの記事にも書いた事故の件、交通事故の話であるから『ヒヤリハ』コーナーでも取り上げた方がよかろう。実際、このコーナー的にもツッコミ所はかなりある──
 運転免許を取る際に教習所で当たり前に教わるのが「大丈夫『だろう』運転ではなく、危険が起こる『かも知れない』運転を心掛ける」ということである──上記記事にも書いたように、学校や公園の前を走行する際に子供の飛び出しやボールが飛んでくる可能性を想定して注意して運転(できれば徐行)するのは、普通に教習所で教わる『かも知れない運転』の範疇である。学校の校庭で体育の授業や部活、休み時間や放課後などにボールを使うのは全く普通のことだし、小学生のキックであるからボールの勢いもそこまで極端な弾丸ライナーとは思えない。転倒したバイクに乗っていた男性は80代だという。運転免許の定年制には僕はどちらかというと反対ではあるのだが、しかし自力での危険回避が困難となれば話は別である。足を骨折するほどの転倒のしかたするというのは相当危険予知が鈍ってるし、加齢で骨が弱ってるのであれば、少なくともバイクに乗ること自体が危険といわなければならない。失礼ながら家族とも相談して免許の自主返納を検討した方がよいレベルなのではなかろうか?
 その後、この男性が死に至るまでの過程も同様で、転倒骨折で寝たきりになり、あまっさえそれが元で認知症を発症(直接関係あるのかは大いに疑問だが)するような状態の人が、よくその直前までバイク転がしてたな、という感じだ。直接の死因である誤嚥性肺炎もしかり。交通事故死としてカウントされるのは、事故後24時間以内に死亡した場合なのだそうであるから、これを「事故のせいで死んだ」は無理ありすぎる。事故と関連づけること自体が無茶な上に、こちらも周囲の家族の注意予防の範疇、言わば“かも知れない介護”というべきではなかろうか──
 よくこれで1審2審で遺族の訴えが認められたな…。尤も福井地裁ではついこないだ、センターライン超えてぶつかってきた車の同乗者(かつ車の所有者)が死亡した責任を、あろうことかぶつけられた方の車の運転者にあると認定して何千万もの損害賠償を認める判決を出した裁判官がいたらしいが──こちらも判決理由で「クラクションを鳴らすなりして衝突を回避することはできた」とあったらしい。
 それが通用するのなら(するわけないだろ、と多少なりとも車運転する人間は考えるだろうけどね、常識として)なおのこと上述の80代男性の自己責任の度合いはより強いのではないか? もしもすぐそばに歩行者がいて倒れたバイクがその人を直撃したとしたら、被害者はボールを蹴った小学生と転倒したバイクの男性の、果たしてどちらに賠償を請求すると思いますか?