| ここ数場所満員御礼が連続して相撲人気はV字回復とまではいかないけど上向き、一連の不祥事で角界についたダーティなイメージがようやく払拭されたかに見えた大相撲であるが…、この秋場所を前にしてまたしてもとんでもない不祥事が起きてしまった──以前から何かと問題を起こしてきたあの親方の、例の事件である。 宮城野部屋付の熊ヶ谷親方(元十両金親)が自ら雇う運転手を金属バットで殴るなどの暴行を加えて怪我をさせたとして、傷害容疑で逮捕された──今回の事件が起こる以前から、この運転手はたびたび親方より暴行を加えられており、また支払われるべき給料も何だかんだ難癖をつけては“罰金”と称して天引きされてしまい、その運転手は生活にも困るありさまだったという。被害者であるこの運転手は元力士ではなく、協会はもちろん宮城野部屋とも無関係で、熊ヶ谷親方が私設で雇っていた運転手だという。その普通の人に元力士が金属バットを何度も振り下ろす、ということが恒常的に行われていたわけだ。発表では全治2週間となってるが、実際のところ被害者の全身についた暴行の痕はそんな程度とは思えないくらいひどいものらしく、警察も今回の事件をかなり悪質なものとしてとらえているようだ…。 現時点で協会としての処遇については何も決まっていないが、まあ、前回の不祥事の際に「今後問題を起こした時は解雇もやむなし」の誓約書を書いて協会に提出してるとのことであり、解雇は免れまい──その前回の不祥事というのはこちらの件。三段目まで番付を落とした末に引退後ラーメン店で修業するはずが、降って湧いたような先々代(当時)宮城野親方(元小結広川。故人)の娘婿となり当時の宮城野親方(元幕内竹葉山)と交代して、本来の年寄襲名基準を満たさない関取在位数ながら部屋を継承する場合の例外規定を適用されて所属していた北の湖部屋とは一門外の宮城野部屋の師匠になりながら、その不祥事により師匠を交代させられて熊ヶ谷親方として、上述の誓約書と共に昇格なしの平年寄として協会に残ることとなり、その後も年寄名跡証書の協会提出の際にも未亡人との話し合いがつかずに、夫人との離婚を条件に年寄名跡をつなぎ…、という感じで協会でも部屋でもあっちでもこっちでも肩身がどんどん狭くなる感じながら、ここまで何とか親方として協会に残ってこれてたのだが…、いよいよ今回のこれて完全にアウトは決定的である。 しかし、こうして妙な経緯で親方になってからここまでの状況を見ていくと…、この熊ヶ谷親方自身も何か先々々代宮城野親方未亡人とその娘に人生を狂わされたな、って気がしないでもない──上述の通り、十両通算24場所の金親には本来年寄になる資格がなく、別の仕事に着く手はずになってたところを、当時大関昇進目前の白鵬の育ての親である当時(現在)の師匠を追い出すカタチで、その白鵬の師匠の座に(しかも一門外から)いきなり据えられて、しかしその力量のなさと人望のなさが露呈されて自棄になった面は否めないのではなかろうか? やはり最初の不祥事の時点で自ら協会を退職して、元々そのつもりでいたラーメン店の修業を始めた方がよかったのではないか? 最後まで平年寄で冷や飯食わされながら親方でいるよりもマシだったのではないか? 結局嫁さんとも別れざるを得なくなるわけだし、しがらみも何も気にせずに一からやり直すことできたではないか、あの時とかその時とか── 当初の婿入りもおそらくは未亡人の何らかの思惑に乗せられてのことだろうし、それに乗っかってしまったのがそもそもの間違いだったように思えてならない──その結果、協会にも部屋にも後援者にもあちこちに迷惑掛けまくったあげくの今回の暴力沙汰。同情の余地など全くないはずなのに何故だか同情を禁じ得ないのが僕的には非常にフクザツでならないのです…。 |
こちらの記事でも書いたが、街のスーパーではバターの品薄状態が続いている。その原因のひとつとして、マーガリンへの不信があることは間違いないだろう。バターの品薄が騒がれ始めたのとマーガリンの危険性の警鐘を鳴らすデータが発表された時期が前後していることから考えても、おそらくそうだと思う──「食品に含まれるトランス脂肪酸に係る食品健康影響評価情報に関する調査」報告書でマーガリンが名指しされたのは4年ほど前に遡るが、米国を中心に食品へのトランス脂肪酸の使用を規制する傾向が世界的に広がっているということが日本でも最近報じられたのを受けて、マーガリン不信の傾向に拍車がかかったようである。このトランス脂肪酸、摂りすぎると心臓疾患への影響が強いということで危険視されてるわけなのだが── これも牛乳健康有害説の記事で書いたことだが、何が体にいいだ有害だという話は時代によってコロコロ変わる。例として焼き魚の黒こげが「胃の薬」から発がん物質へと転落、それが最近大量でなければ問題ないへの変遷を上げた──♪パンにはやっぱり…、ってな感じでマーガリンがバターに取って代わったのも、動物性脂肪より植物性脂肪の方がコレステロールを増やしにくいから身体に良いという、これも健康志向によるものであった。実は製造過程で水素添加してトランス脂肪酸を発生させることへの批判は当初からあったはずなのだが、何十年もの間この警告は大きく話題になることなく、マーガリンは毎朝パンに塗られてきたのだった。もちろん我が家でも同様で、僕も幼稚園の頃から現在のこの年齢にいたるまで毎朝たっぷりマーガリンを塗りたくったトーストを朝食にし続けてきている。 しかし、毎年受けてる定期検診でも、心臓にもコレステロール値にも異状が出たことは一度もない。マーガリンを毎朝摂り続けて半世紀近くになるのに、である。で、長年マーガリンを摂ってきたのは母も同じ。母は数十年前から心臓に不安を抱えてて定期的な循環器科の受診と毎日の投薬が欠かせない生活を送りながらすでに後期高齢者なのであるが、こちらに書いた通り元気に日常生活を送っている。もちろん現在も僕と同じく毎朝トーストにマーガリンをつけて食べている──という半世紀近い“自己治験”2名(うち1名は心疾患の持ち主)から僕は「気にするこたぁない」という結論に至ってるわけなのですが…? もちろんトランス脂肪酸は決して身体によくはないのだから、撤廃できるなら使わないに越したことはないのは確か。有害うんぬん抜きにしてもバターの方が美味しいのも間違いない。バターのお値段がお手頃ならすぐにでも切り替えたいと思ってるのも事実なのだが──マーガリンが健康の善玉から悪玉へと転落してる一方で、バターの動物性脂肪としての有害さについても、実は言われてたような害はない、というふうにこれまた反転した評価が主流になりつつあるらしい…。でも、数十年後にはそれぞれの評価がまたコロッと変わってる可能性もあるわけで──左右される我々消費者も「何だかなぁ」ではあるのだが、しかしコトは自分の身体の健康に関わる話なだけにちょっと、ね…。 |
その駅に降り立つのは2度目、この地にある大学を受験するために訪れた時以来である。それからかれこれ10年ぶり以上。それは長いようでもあるがその一方、たかだか10年ぶりちょっとくらい、とも言える──前回訪れた時とのこのあまりの変貌ぶりは何だろうか! 門司や戸畑、八幡など5つの市が合体して出来上がった北九州市、その中心的役割になるのが小倉。もちろん小倉駅が北九州市の代表駅である。その駅に初めて降り立ったのは受験生時代の3月初頭。季節は冬から春への変わり目でまだ寒い頃である。そして小倉というところは玄界灘から吹き付ける風で冬はかなり寒く、また曇天の日が多い。僕が降り立ったその日もそう。そのためか小倉駅前をはじめ、大学までの道のりや宿泊した旅館近辺も含めて全体的に寒々しい街だな、という印象を小倉の街に対して抱いたのは事実── その時受けた大学には難なく受かったが、東京のもっとメジャーかつ偏差値も高い大学に合格していたのでそちらを選び、結局北九州に住むことにはならなかったが、その後も受験の時のその印象を持ち続けていた。そして筑豊の石炭産業の斜陽や八幡に代表される鉄鋼業の不況、それにより北九州市の人口もどんどん減る一方。さらにそれに暴力団抗争などのイメージまで加わって、ネガティブな印象は膨らむ一方であった──そんな印象を持ちつつの小倉駅での2度目の下車。1回目の時とは違って夏の真っ盛り、太陽がじりじりと照りつける暑い日のことだった。 で、冒頭のとおりそのあまりの変貌ぶりに驚いたわけである。まず駅舎がホテルを併設した莫迦でかい駅ビルになっている。新幹線停車駅だからあの当時ももちろん駅舎は大きかったし、都市規模相応の賑わいもあったけど、駅ビルの大きさだけでなくデザインのファッショナブルさも当時とは段違いである──特にビルのどてっ腹、デッキ上の高いところを貫いてるモノレールの軌道。そこからまっすぐにこちらに進んでくる電車車両…。僕の世代の子供の頃の漫画によくあった未来都市の光景が目の前に展開されていた。それも東京都心ではなく政令指定都市とはいえ九州の地方都市、それも上述のネガティブイメージばかりがつきまとう、あの小倉である──そのギャップを抜きにしても、かなり斬新な光景であることに違いはない。 そんな大都市の駅前であるから、ご多分にもれず駅前通りに沿って企業やら百貨店やらの商業ビルが立ち並んでおり、サラリーマンや買い物客などでかなり賑わっていた。デッキの上の高い場所から見た眺めということもあるのだろうけど、ピーカンの太陽が照りつけるその光景は、明るさという意味でもかつて見たものとは段違いであった──まあ、一言で行ってしまえば、街の印象としてはかなりいい。しかしその反面サイバーチックな面が勝っていて『いつ街』的な地元住民の生活の匂いという意味ではイマイチな気がした。だからかどうか、この2度目の訪問の時には駅前を離れて街散策とかをした記憶がない。最初の訪問の時の、寒々としてネガティブながらも生活者の匂いが感じられたあの時の印象は薄まってるような気がした──同じルートをじっくり歩いてみればまた違ったのかもしれないけれど…。 もしも東京の大学に受かってなければ(てか当時の僕の偏差値では受かったのが奇跡的だったから少なからぬ確率で)最低4年間は住んでたかもしれない小倉の街──そうなっていれば上述のネガティブなばかりの印象も薄まっていたかも知れない、なおかつ街の変貌の過程の一旦を現在進行で見れた分そのギャップの方も薄まってたかも知れない、なんて思いつつも小倉で学生生活を送ってる自分の姿は当時も、そして今も全然想像できないでいる僕なのであります。 |
こないだまで地元FM曲でヘビロテで流れていた『夏の罪』という曲。歌ってるのはこの曲でデビューの花岡なつみ。ホヤホヤの新人である。しかしながらデビュー曲である『夏の罪』はテレ朝系ドラマ『エイジハラスメント』の主題歌に使われるなど、ずいぶんと幸先のいいデビューである──この花岡なつみという女の子、デビューのきっかけは全日本国民的美少女コンテストなのだが、受賞は音楽部門で本人も女優ではなく歌手志望。にしてもコンテスト受賞直後にいきなりデビューかつドラマ主題歌というのは、プロダクションの入れ込みようがハンパない気がする。 で、表題なのだが…、実はこの花岡なつみという名前を僕は当初、三戸なつめと同じような響きで聞いてたのであるw なつみとなつめ、何か似てるのに加えて片や美少女コンテスト出身でオスカープロモーション、此方も青文字系雑誌の人気モデルと、何となく経歴に共通するものがある気がしたので──とは言え『夏の罪』の楽曲世界は♪まーえーがーみを、切りすぎた(チョキチョキ)とは大違いのシリアスなものであるが──しかしタイトルの“なつのつみ”が名前の“なつみ”とかけてるような感じもあって、どうにもネタ的にミスリードされてしまったのは否めない。 さらにこの『夏の罪』の作詞作曲は鬼束ちひろ。花岡なつみは上述の美少女コンテストで鬼塚ちひろの代表作である『月光』を披露している。この曲はデビュー前から彼女が得意にしてきた曲だという──この『月光』で鬼束ちひろが出た頃は「本格的な女性ボーカリストが出たな」と少なからず期待したのだが、その後奇行やらDV被害やら、立て続けにあまりよくない話題が聞かれてアーティストイメージがすっかり落ちてしまったのに加え、この『月光』という曲自体も最近では、あばれる君のお笑いネタのイメージが強くなってて、それもお笑い的なミスリードに結びついてたりするわけだ──。 とはいえこの『夏の罪』という曲はメロディのクオリティもかなり高いし楽曲世界も深い。そして最初から歌手志望というだけあって花岡なつみの歌唱力もかなり高く、楽曲世界を上手に消化しており、発声の力強さもさることながら、声量以上に説得力を感じる。つまりはハンパなく上手い、これは久々に本格的シンガーの誕生と呼んでいいだろう。なのでここまで書いたようなミスリードを並べるのは失礼な気もしてしまうのですが──でも所属のオスカープロが剛力彩芽のゴリ押しで有名なことを考えるとデビューからのこの入れ込みに、つい余計な心配を禁じ得ないのも事実。主題歌に使われたドラマ『エイジハラスメント』は武井咲主演だし…。 花岡なつみ本人は上記の美少女コンテストで受賞するだけあって確かにかなりの美少女である。だがむしろそのことも本人の意志とプロダクションの売り方との食い違いを懸念してしまう要因のひとつだったりする。ルックス先行型になるのは彼女の本意ではないだろうが、プロダクションの方はどうだろうか──いずれにせよデビューしたばかりで今のところはすべてが未知数。個人的には彼女と同郷なので、温かい目で応援していきたいところではあるけれど…。 |
この『ヒヤリハ』コーナーは防犯、防災、事故防止をテーマに、それらからどのようにして自分の身を守るか、という観点から記事を書いているのだが…、これまでの記事の中にもいくつか書いてきたように「こうなっちゃってはもうお手上げだろう」な場合も残念ながら往々にしてあるのは否めない── 例えば竜巻。最近では気象庁でも竜巻注意情報なるものを出して、竜巻が発生する可能性がある場合は事前に注意を促すようになってるが…、実際のところ発生してしまってからでは遅い場合も少なくないし、竜巻の被害は一瞬でなおかつその通り道の局所的なものであるからどこを竜巻が通って被害に遭うかわからない…、というのでは津波や洪水のような避難勧告や避難指示も出しにくい。逃げていいのか逃げても仕方ないのか、逃げるとしたらどのタイミングか…、その辺が全く持って読みづらいのである──しかしながら備えることが全く不可能ではない。「起きそうだな」と思った時点で頑丈な建物内に避難、ということはある程度できるだろう。災害に絶対的な安全がないのは台風でも地震でも同じであるから、完璧とは言えなくても、被害に遭う可能性を減らす方法はある── しかし、先月調布市の住宅街で起こった小型機の民家への墜落事故のような場合はどうだろうか? 飛行機が頭上を飛んでるから、落ちた場合を想定して避難ってわけにもいくまい。飛行場のそばであれば1日中、年がら年中飛行機が上空をビュンビュン飛び交ってるだろうし、そのたびに“警戒警報”鳴らしてたらその住宅地一帯常時サイレンが鳴りやまない、街角に“防空壕”をいくつ作っても足りなくなってしまう。住民は常に防空頭巾被って生活しなければならないではないか──今回の事故の場合、飛び立った件の飛行機が異様に低空飛行だった様子が飛行場そばの運動場から見てとれており、それを見ていた人も「危ないぞ」と思ったという。ではそれが“逃げ時”になるのだろうか? その姿が確認されてから墜落までの時間と距離を考えるに、それはかなり難しいように思うぞ。 まして、今回犠牲になった方は自宅内にいて墜落に巻き込まれている。上述の危ない様子は屋外のグラウンドで見てたからわかったのであって、自宅の中にいてわかるものではないだろう。飛行機の音など日常茶飯的に聞こえてるし、夏場のこの時期エアコンつけて窓を閉め切りテレビやCDでも流してれば音の異常にも気づきにくい。これでは被害者側には“防災”できっこないだろう。 こうした事故から身を守る術は住民の方には残念ながら、ない(ここで「そんな危ない場所に住まないこと」などと言うなかれ。川内や大飯や伊方の人にもそれ言えるか?)。パイロットや航空会社側の安全管理意識と技術に全面的に委ねるしかないのが現実なのである。しかしながら天災とは違い、人の力で事故を起こさないことはできる──他力本願みたいでナニだが、航空会社さんくれぐれもお願いしますよ…。 |
前回記事の二番煎じになってしまうのがいささかナニなのだが──今回の新記事UPのタイミングで『Jダベ』コーナーの新記事をUPするつもりだった。記事で取り上げようとしてたのはチャオベッラチンクエッティという女性5人組アイドルユニット。この名前でピンと来ない人の中にもThe ポッシボーと言えば「あ、あれか」と思う人もいるのではなかろうか。いずれにしても一部ウケであり一般的にはイマイチ浸透してるとは言えないと思って、僕自身は以前から割りと注目していながら今まで取り上げて来なかったのだが、先月ユニット名を改名した直後の第1弾CDがオリコンチャート初登場3位になったので、そろそろ取り上げ時だな、と思って記事の内容についてあれこれ構想してるところだったのである── ところが、昨夜突然の発表。メンバーのひとりが昨日付けでグループを卒業、チャオベッラチンクエッティは残りの4人で活動することになったという。結成以来9年間慣れ親しんできたユニット名を改名してわずか1か月、新曲がグループ最大のヒットとなって幸先よい再スタートを切った矢先のことである。卒業当日いきなりの発表であり、その動機も不明確、脱退メンバーの今後も未定とのことだし、全く持って不可解かつ寝耳に水なのである──いずれにせよこれではちゃんとした記事を書くことができないので、今回彼女たちを取り上げた記事を書くのは見合わせることにしました。 件の『Jダベ』記事はこの記事と同じ8月11日付で書くつもりでした。はい、上述の脱退劇の翌日です──これ、1日ずれてたら、記事UPした日の夜に電撃発表、なんてことになってたかも知れなかったわけで「新生チャオベッラチンクエッティのこれからに期待!」なんて持ち上げた記事がその日のうちにドマヌケな内容になってたかも。当サイト的には間一髪助かった、と言えるのかもだが、上述の通り彼女たちに少なからず注目してた僕的には残念な気持ちの方が大きいわけで── 前回記事で書いた“タイミングの悪さ”には前回のようなニュースの旬を過ぎるパターンもあれば、今回のように土壇場で状況がどんでん返しになってしまうパターンもある。いずれにせよ記事ネタを1本逸してしまうことには変わりないわけだが、しかしそれがらみの記事が連続してしまうこの『ノンセク』コーナーってのも結構痛いよな…。今回の記事も、第一報から突然過ぎなのと、それゆえ詳細がまるで不可解なことであまり深く突っ込んだことが書けないので、前回の二番煎じ的な方向に持ってったわけ。ポッシボーの頃から注目してた彼女たちについて語ることはいっぱいあるんだけど、このタイミングではそれも不謹慎な気もするし──かと言って完全スルーも何となくできなくて、何か中途半端で消化不良な記事になってしまいました。…ま、真相はそのうちわかるだろうけど、当サイト記事で深追いするかどうかは全く未定である。 |
今年は戦後70年である──大体毎年8月が近づいてくると戦争責任だの侵略の歴史を直視だの靖国参拝がどうのだのと左右両面からさまざまな議論がかまびすしくなってくるのであるが、それが今年は特に激しい気がする。戦後何年目の年だろうと、また何月だろうと、先の戦争いついては翼の左右問わずきちんとした考えに基づいて自身の見解をしっかり確立させておかねば、と思うのだが…、やはり数字的にキリがいいということで、この機会に、というのもあるのかも知れない。 戦後70年ということは、同時に広島・長崎の被爆70年ということである。今年初めて被爆者の平均年齢が80歳を超えたとのこと。原爆当日に生まれた人が70歳なのだから、多少なりとも被爆直後に物心ついててリアルで当時を目の当たりにしてる人となると70代後半以上になってしまう。これは原爆に限らず先の戦争全般がそうである。70年談話を策定しようとしてる安倍総理自身が戦争の9年後の生まれであるから、戦争のリアルなど知る由もないわけで──それは策定に関わっている複数の政府関係者ももちろん同じ。リアルを知らない人たちで集まって談話を策定するのだから、当時の現実の乖離はどうしても否めないであろう──とはいえ両親世代はリアル戦中派で、その生々しい話を聞いて育ってるはずだから、SEALDsなんぞに集まってる学生たちよりはよっぽど現実により近い体験的知識はあるわけだが。 ──何度も書くが、年月が経ってリアルな現実を知る人が少なくなるにつれて戦争をめぐる議論が逆に過激に不寛容になっていくような気がしてならない。その状況が、数字的にキリのいい節目である今年、さらに強調されてるような気がするのは、気のせいだろうか? 大事なことほど冷静に熟慮して行動を進めていかないとよい結果には結びつかないと思うのだが──戦後70年特集と称して著名人のインタビュー記事などを短期連載したりしてる新聞各紙たちは、その辺まで考えて記事掲載してるだろうか? 一方の立場の主張を煽るだけの記事になってはいないだろうか? 節目で世論に考えてもらうならもらうで、その辺は念頭に置いてもらいたいと節に願う── ──そんな今年は、戦後70年であると同時に、夏の全国高校野球100周年でもあり、スポーツ記事もそれを前面に出したものが多い。100年前の第1回大会優勝校京都二中を前身とする鳥羽高校の選手宣誓でも100周年がらみの文言が折り込まれていた。100周年なのに今年は第97回大会。この数の誤差の理由は先の大戦による大会中止である──夏の甲子園と言えば主催は朝日新聞。上述の戦後70年にからめて、球児たちの全力プレーの場にイデオロギーを持ち込まないでほしいと、これも節に願いたい。 そして今年は御巣鷹山の日航機墜落事故から30年でもある。墜落現場での慰霊祭は毎年行われているが、節目である今年、こちらもいつもよりテレビの特番などでプッシュされるのだろうか。阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件(いずれも今年でちょうど20年、これまた節目の年である)の時にそれを前面に出した特番や特集記事が多かった(そういえばJR福知山線脱線事故から10年てのもあったな)ように── …って、何か今年はずいぶんと節目の年ラッシュだよなぁ。少なくとも新聞などで「○○何周年」を謳った記事が企画されるレベルの歴史的事件の節目がこれだけ集まる年って、そうそうないのではないか? しかしながら、実のところ、記事が煽ってるほど受け手の大衆一般にそれらが浸透してるかどうかはいささか疑問ではあるけれど──あまりメディアで煽るのもどうかではあるけれど、せっかくの機会なのだし、我々もここらで思いを新たにしてみてもいいのではないだろうか? あくまで過激に不寛容にならない範囲内で。 |
一昨日千秋楽の大相撲名古屋場所で、前頭11枚目の位置にいた旭天鵬。幕内在位は99場所で、本人も目標にしていた100場所在位まであと1場所、それを迎える予定であった来場所、国技館での秋場所中に41歳の誕生日を迎えることになっていた──しかしその名古屋場所の成績は3勝12敗。来場所の十両陥落は確定的になっていた──とはいえ来場所勝ち越せば幕には返り咲ける。記録達成が1場所か2場所先送りになるだけのことである。そして旭天鵬の自力からいって、まだまだこのまま衰えて下がってく一方ってことはなかろう…。記録は達成されそうな気は大いにする。 しかし、旭天鵬は常々「十両に落ちたら引退する」と公言しており、陥落必至となった11敗目の時からその去就が注目されていた。12敗が確定した千秋楽の一番を取り終えた時点ではハッキリと引退という言葉は用いなかったが「気力が衰えた」とか「燃え尽きた」など、それを匂わすようなコメントをしてはいたのだが──翌日、正式に旭天鵬引退、年寄『大島』襲名が発表された。 まあ、何だかんだ外野が言ってみたところで、最終的に引き際を決めるのは本人である。半世紀くらい前までと違い、十両に落ちても関取を維持できる限りはそのまま取り続ける力士が大部分である昨今、最高位関脇の力士が十両落ちを前に引退することは異例ではある。本人は幕内優勝を経験したことで十両落ちを自ら潔しとしなかったのであろうが、しかし十両の土俵で取った幕内最高優勝経験者は過去何人もいるし、実際「十両でもう一度頑張ってみてはどうか」と勧める声もあったようであるが──本人が「燃え尽きた」のであれば、みっともない相撲を十両で見せるよりは…、と思ったのかも知れない。この人の“美学”とでも言った方がよいのか…。 ──それにしても、初のハワイ出身関取の高見山(前東関親方)は40歳まで現役を目標にしながら、これもあと1場所のところで夢が潰えているし、前玉ノ井親方の先代栃東(元関脇。現玉ノ井親方・元大関栃東の実父)も幕内60場所を目標にしながらあと1場所のところで引退。大横綱千代の富士(現九重親方)は大鵬の優勝回数32回にあと1回の31回で引退している。…という感じで、節目の大記録まであと1つのところで引退という例が過去にもかなり多いような気がするのだが…、この“あと1つ”というのは鬼門なのだろうか? もちろん1つ足りないとは言っても、それにあと1つまで迫ってる時点ですでに大記録の資格と呼ぶべきではあるのだが…、しかしそこまで頑張ってきたのだからこそなおのこと、あと1つ頑張りが続かなかったのが惜しまれてしまう── ──その旭天鵬とは同期入門である元関脇で十両の若の里も、下位で大きく負け越して幕下陥落が決定的となっている。この記事を書いてる今日の時点で正式に引退発表はされていないが、こちらも取組終了後に同様の燃え尽きコメントをしていることや、名跡を貸していた西岩親方(元幕内光法)が千秋楽翌日付で名跡を『音羽山』に変更してることからも、引退して年寄『西岩』を襲名することは間違いないだろう──この若の里と旭天鵬は最近でも互いの相撲について会って話すことが多かったそうで、互いの土俵での衰えを目の当たりにすることで自身の衰えにも影響したのだろうか、なんて思ったりもするのだが…。 元旭天鵬の新『大島』親方は今後部屋付きで後進の指導に当たるそうだが、もともとモンゴルから日本に帰化した時に、当時所属の大島部屋の師匠(元大関旭国)の姓を名乗っており、もしかして『大島部屋』の再興があるのだろうか? それとも現師匠の友綱親方(元関脇魁輝)の定年が再来年に迫っており、彼が『友綱部屋』を継承するのか? その辺も興味深い──とはいえ、今はやはり「長い現役生活、お疲れ様でした」という言葉がいちばんふさわしいのだろうな…。 |
「偽善って、そんなに悪いことなのかな?」同人創作活動の先輩筋にあたる方が、自らの主宰するサークルの忘年会の席でそんなことを話してたのは、今からもう四半世紀くらい前のこと。この時が僕の“偽善≠悪”説に触れた最初である──「行為が善行であり、善い結果をもたらすのであれば、それを行う動機や思惑なんかあまり関係ないのではないのか?」おそらくは某大物がトップに君臨してたギャンブル系支援組織の「戸締り用心、火の用心♪」のようなものを指して言ってたと思われるこの言葉、僕は理屈では反駁できなかったものの、それでも気持ち的に受け容れ難かったのは否めなかった…。 しかしその後、この時の先輩と同じ言説を公私問わずあちこちで耳にするようになる。そんな中でよく耳にする言葉──「やらない善よりやる偽善」だ。主にメディアでボランティア活動を呼びかけたり実際に被災地などに出向いてる著名人たちを「売名行為だ」と非難してる人たちに対して向けられることが多いのだが…、実際ボランティア著名人たちをディスってる側の人たちが、自分たちは何かしてるのかというとテレビかパソコンの前で見てケチつけてるだけだったりするから、なら動機関係なく善行する方が偉いだろ、と思ってしまう。 実際のところやらない善かやる偽善か──「目的は手段を正当化しない」という言葉もある。これはたとえ善行目的であろうとその手段が犯罪行為であってはならない、ということである。平和主義者さんの言うところの「どんな理由があっても戦争はダメ」ってやつだろう。目的は目的、手段は手段ということである──しかし、てことはその逆も言えるのではなかろうか? つまり「目的は手段を全否定しない」である。その著名人が売名目的だったとしても、それで善行という手段まで否定はされまい? 自分が被災者なり戦災者の立場で考えてみるといい。売名目的のボランティアは要らないか? 売名のために助けてくれるくらいなら放っといて見殺しにしてくれ、と思うか? そもそも、仮にその人は売名目的の行動だったとしても、その売名効果によりその人の影響を受けてボランティアに目覚める人は決して少なくない。当然それらの人の中には純粋な善意の人もたくさんいるだろう。そうした人たちを増やすという側面まで含めて全否定してしまうのか? ──そんなわけで、僕は日テレの24時間テレビについても原則肯定的なんです。何だかんだ言っても日本中からあれだけの善意の募金を集められる訴求力は否定してはいかんでしょうよ…。ディスってる人たちは24時間マラソンだとかステージ上のバラエティ的莫迦騒ぎとか、表に見える部分でばかり非難してるけど、それってチャリティの是非とはそもそも全然別問題だよね。 偽善とやらを非難してるあなたがたのいうその『偽善』とあなたがた基準での偽ではない善、一体どちらが善行としての有効な結果をもたらすだろうか。てかもっと根源的な問題として、そもそも『善』って何かという問いにもいっくらでも十人十色の答えが返ってくるのに、普遍的な『善』があるという前提で成り立つ『偽善』なる言葉を用いて安易に善行者をディスる輩の言う『善』が、僕には思いっきり『偽』に思えるのですが── |
この7月だけでも一体いくつ台風が発生しているんだろう。そしてそのうちいくつが日本列島を脅かしてるんだろう──実際に上陸して通過してったのもあるし…。 台風というのは、熱帯の海洋上で水温の高い海面の熱気を吸って形成される熱帯低気圧が発達して勢力を強めたものである。海水温の高い洋上を移動しながら発達していくのだが、上陸するとその海洋からのエネルギーが供給されなくなるため徐々に勢力が弱まり、やがて台風は消えてしまう──とは言っても完全に消滅して大気中からなくなるわけではなく、ただの低気圧になってしまうということである。そういう時天気予報ではたいてい「台風○号は温帯低気圧に変わりました」という言い方がされている。 台風が台風でなくなれば、気象サイトの台風情報の天気図からその姿は忽然と消え、あまっさえサイトによっては「現在台風は発生していません」と天気図上に文字メッセージが表示されたりもする──それを見て「よし、もう大丈夫だ」などと間違った安心をしてしまう人がいるのではないかと心配してしまうのであるが…、言うまでもなくこれ大きな間違い。笑いごとではなく、生命に関わる危険な大間違いである。 まず、台風が低気圧に変わったからと言って気圧数が大きく上昇するわけではない。というか台風と低気圧の境目は気圧何ヘクトパスカル以上か以下かではなく低気圧の形状(雲のまとまり等)であり、台風よりも気圧の低い温帯低気圧などザラにある。天気予報ではよく「台風くずれの低気圧」という表現がされたりするが、まさにその通りで、目がはっきりしててそれを中心にきれいな渦を巻いてる台風の形状が崩れて拡散状態になってるのが「台風くずれの低気圧」である。拡散状態なわけだから、ある意味一匹狼的な台風とは違い、他の梅雨前線だったり秋雨前線だったりの雨雲や気流なんかとも融合しやすい。 なのでもちろん低気圧として発達して勢力を増す可能性は高いし、融合して拡散しやすい分、大きさも広範囲になりやすい。ある意味台風よりも危ない面もあるかも知れない。実際、房総沖あたりで1000ヘクトパスカル前後で温帯低気圧に変わった元台風がその後徐々に発達して北海道あたりに到達した時には970ヘクトパスカルを割るまでになって、台風時代にもなかったほどの甚大な被害を北日本にもたらした、なんてこともあった──昨今各地でゲリラ雷雨をもたらしてる低気圧と、日本列島上陸時点での台風の気圧数を比較してみれば、台風より怖い低気圧なんていくらでもあることはたやすくわかるだろう。 この夏、日本を脅かした台風の中にも、ただの低気圧に変わって以降も警戒対象であり続けたものがいくつかある。「台風は温帯低気圧に変わりました」の情報は、間違っても「もう安心です」という意味ではないどころか、ピークは過ぎましたという意味でさえないということを、我々は認識しておかねばなるまい── |