年明け早々に軽井沢で発生したスキーバス転落事故。死亡した10人以上もの乗客の大半が大学生で、充実した青春を謳歌してたり、就職も内定して未来に希望を膨らませてたりしてた若者たちが一瞬にしてその未来を断たれてしまった。そして警察の調べが進むにつれて、あんな法令違反やこんな不正、怠慢に隠蔽と、とにかくあきれた実態のオンパレード──以前からこの手の大きな事故や災害が起きるたびに見てきた状況が、御多聞に洩れず今回も露呈したというわけだ。そして、それらのあきれた実態は今回こうした大事故が起きたから露呈したわけで、こんな事故でもなければ今後も延々とそんな状態のまま業務が稼働してたであろうということ、そして他の多くの業者で、たまたまここまで事故を起こしてないがために公に露呈していない、この業者と同様の杜撰な体制がいくつもあるであろうことは想像に難くない── で、今回のスキーツアーは『格安』を売りにしており、ツアー会社がバス会社に対して相場よりも安値で取引を要求していたという報道もある。利益を落とせばその分経費をどこかで削らねばならなくなるわけで、当然品質も安かろう悪かろうになるのは明らか。その品質ダウンが安全の方に向いてしまったりしたら、今回のバス事故のような悲劇に結びついてしまうわけだ──『安物買いの銭失い』という諺があるが、交通だったり医療だったり防犯だったり、安全や健康に関わる商品でケチケチして安物買いしてしまったら、銭だけでなく生命を失うことにもなりかねない。 よく「日本人は安全はタダだと思ってる」などと外国から揶揄されるが、安い商品は安いなりの品質であるという認識で初めからいたならば、スキーバスの例で言うならばその品質は運行なわけで、そこでケチって安物に飛びつくということは、すなわち自分たちの身を護るための安全の部分をケチってることになるわけだ。実際この事故に関して『格安』に飛びつく利用者の自己責任論を持ち出す意見も決して少なくはない──未来を奪われた多くの若い犠牲者が出た事故にかこつけてそういう持論を持ち出すのは僕的にどうかとも思うけど、しかし少なくとも間違ってはいない。変に『格安』過ぎるものは疑ってかかり、できれば手を出さないようにすることも"防犯・防災"のうちであろう…。 とはいえ現状としては、安全管理をしっかりした大手に対して中小のバス会社やツアー会社が太刀打ちできるためには、値段を下げて価格で勝負するしかないのも現実。大企業しか生き残れない産業構造は運輸業界も例外ではないわけだ。今回のバス転落事故もアベノミクスの弊害? 中小の業者が安全に金をかけるのは容易ではないことだろうし、結果として価格に反映するのもやむを得ないだろう。しかし人命には代えられない。業者と利用者の双方とも「金より生命」を今一度認識しましょうよ── |
大相撲初場所は、何と10年ぶりに"日本出身力士"である大関琴奨菊の優勝で盛り上がって昨日幕を閉じたが、これについてはニュースやワイドショーでかなり大きく報じられてて、いろんな解説もされており、僕自身の見解もそれらと大きくはずれるものではないので割愛。来場所の綱取りも取り沙汰されてるが、ヘタに横綱になってしまったら逆に印象を落としてしまうのではないか、このまま大関として力士生活を全うした方がよかったのではなかろうかとだけ述べておきます── その初場所では、幕内の安美錦に始まり、千代鳳、御嶽海、十両でも鏡桜、行司では幕内格の木村元基に式守錦太夫、親方でも審判委員の湊親方(元幕内湊富士)が、インフルエンザで途中休場と、インフルエンザが蔓延した場所だった──関取や関取格の行司などでこれだけインフルエンザにかかったということは、下の方の力士や裏方にもかなり蔓延していたことだろう。 相撲の世界というのは、各力士が相撲部屋の中で共同生活して寝食を共にし、関取は身の回りのこと一切を付け人の力士が付きっきりで世話をしている。それは行司や呼出しも同様で、公私を問わず常時団体で行動し生活してる世界である。インフルエンザに限らず流行病が蔓延する下地は大いにあると言えよう。部屋で誰かが感染すれば、それが関取なら付け人が背中を流したりマッサージしたりする過程で伝染して、その付け人が下っ端が寝起きする大部屋に運び込む。下っ端が付け人として世話をする相手は関取とは限らず、親方や行司の場合もあるし、横綱の部屋で下っ端が足りなくて付け人を揃えきれない場合、一門の他の部屋から助っ人で付くこともあるから、他の部屋から伝染する可能性も大いにある。そして一旦伝染してしまうと…、である──そもそも本場所の土俵で感染した相手と四つに組んだだけでも十分伝染は可能だし…。 インフルエンザの症状がどんなものかについてはあえて解説するまでもないだろう。そしてかかってしまった場合の治療と予後についても。よく言われることは、職場復帰は熱が下がって平熱になってから2日後にしろということ。自身の体調が復活しててもウィルスが完全に死滅してなければ伝染してしまう恐れがあるかららしい──しかし、今回インフルエンザで休場した力士たちは、安美錦にせよ御嶽海にせよ他の力士や行司たちも、不戦敗の日も含めて2~3日の休場で再出場しているのだ。これってマズイのではないか? 熱が出始めてから2~3日程度ではウィルスが完全にいなくなったとは考えにくく、まだ体内にウィルスを含んだ状態で土俵上にまき散らし、結果としてその後もインフルエンザでの休場が続出した、てことはないだろうか? もちろん、自身は熱が下がって動けるようになったと言っても、土俵上で力を出して存分に相撲を取れるだけの体力も回復したとはいえないだろう。実際どの力士も再出場後の成績は軒並みふるわなかった。新鋭の御嶽海などはかなり期待を裏切ってしまったのではないか? どうせ満足な相撲が取れずに星が上がらないのならば休んでも同じではないか? ヒザやヒジの怪我とは違い、インフルエンザは他の力士に伝染させてしまう恐れがあるのだ。思いきって大事を取って休場を続けることは、他の力士のためでもあるのではないだろうか…? もちろん、そうなる前に、インフルエンザにかからないように十分健康に注意をしなければならないわけなのだが──相撲協会としても、力士の生活指導は折に触れてしてるのだろうけれど、風紀とか素行に加えて、健康管理という視点からの指導というものもこれを機会に強化してはどうか? 健康管理は多分に力士自身の自己管理という面が大きい。勝負師であれば自身の体調をベストに整えるように身を慎むこともプロ意識のうち。土俵に全力を尽くすためにも、自身の健康をしっかり守ってもらいたい。 |
大相撲初場所は今日が千秋楽でしたね。優勝は大関琴奨菊。福岡県柳川市出身の日本人大関です。ここのところ幕内最高優勝はほとんどモンゴル人力士にさらわれてて、それまで日本人力士の最後の優勝は2006年初場所の大関栃東(現・玉ノ井親方)で、何と今回で丸10年ぶりの日本人の優勝力士誕生ということで、スポーツニュース以外でも随分と話題が沸騰してるようです──が…、ニュースもワイドショーもみな、琴奨菊のことを『日本人力士』とは呼んでませんね。もちろん琴奨菊は外国人ではない、生粋の日本人なのですが。 マスコミが彼のことを称する表現は『日本出身力士』──実は、上述の栃東と琴奨菊の間に『日本人力士』の優勝は、あるんです。2012年の夏場所に、平幕の旭天鵬(現・大島親方)が。モンゴル出身の旭天鵬は優勝する数年前に日本に帰化しており、幕内最高優勝を決めた時の国籍は日本、本名太田勝さんという『日本人』として優勝したのでした。したがって『日本人力士』の優勝は3年8ヶ月ぶり。もちろんこれでも十分久しぶり過ぎるくらい久しぶりではあるのですが…。 ここは『おすもう』コーナーではないので外国人力士の台頭うんぬんについては言及しませんが、相撲が神事をルーツとして古来日本の文化に根ざして伝承されてきたものであることを考えれば、観る人たちも日本人としての戸籍よりも出自の方に重点を置いて期待してしまうのは、まあ致し方ないことでしょう──とはいえ日本社会もここまでグローバル化が進んでくれば国籍上の日本人の中にも他国の血を引く人はいくらでもいるし、相撲界もその例にもれないということです。その意味で今後『日本人』(に限らずフランス人やアメリカ人だってそうだけど)という言葉も時と場合によっては不用意に使えない言葉になるでしょうね。 で、モンゴルから帰化した旭天鵬と区別するため『日本出身力士』と表現されてるわけなんですけど──でも、日本生まれ日本育ちのアメリカ人や中国人はたくさんいますよ。もちろんその中には両親が帰化してて本人は生まれた時点で最初から日本国籍って人も。そんな少年が角界入りすれば、彼は当然『日本出身の日本人力士』となるわけです。その彼がもしも関取に出世し、幕内最高優勝を獲るまでになったら、果たして今度はどういう表現をするのでしょうね? 逆に外資系企業勤めだったり外交官だったりで海外在住の日本人もたくさんいます。もちろん同居の妻子も同じ日本人って人も。赴任先の海外で生まれた子供は生まれも育ちも海外だけど国籍上は日本人という場合も多々あるでしょう。そういう子供が来日して角界入りしたら? 何て表現する? ──これを極端な例外と考えるのはすでに時代遅れかも知れませんよ。日本以外の大多数の国では多民族が混在してるなんてのは普通のことだし、遅ればせながらグローバル化が進んできた日本でも、こういう例は今後どんどん増えてくると思いますよ。そう考えると今回の『日本出身力士』という表現は、まだまだ日本国内のグローバル意識が世界に追いついてないことを象徴してるようにも思えてしまうのですが、いかがでしょう…? |
3が日を過ぎて早々にゲスの極み乙女。の川谷絵音とベッキーの不倫疑惑が報じられて一両日くらいのある日、ツイッターのタイムラインを見てると「マスゴミは北朝鮮の水爆実験を覆い隠すためにゲス乙女とベッキーの不倫報道をしてるとしか思えない」などというぶっ飛んだツイートが流れてきて、思わず吹き出すと同時に唖然としてしまった── 北朝鮮が水爆(ではないのでは、という報道もあるが)実験をしたとされるのは不倫記事が載った週刊誌の発売日の2日前のこと。こちらにも書いたが、週刊誌は発売日前日の朝には取次業者に搬入が完了している必要がある。その本を含む同じ発売日の他誌も含めて、どこそこの書店さんに何冊、という仕分けと梱包を全国の販売店分完了させ、配送して当日開店前に配本完了のためには必須のタイムリミットである。前日朝に搬入を完了するためにはその前日夜には全発行部数の製本が完了してなければならない。で、その前に印刷が、その前に版下が、さらにその前に入稿がすべて完了してなければならない。水爆実験成功という声明が日本でも報じられたその日のその時間は、おそらく不倫記事は既に輪転機でグルグル回ってる頃である。時系列的に不倫報道を水爆記事隠しに利用できるわけがないのだ── これと同じようなことを言うやつはSMAPの解散騒動が報じられ始めた時にも出てきた。その前日か前々日あたりに国会で野党の議員が総理へのアホな質問でやり込められたのを覆い隠す目的ではないかと。ベッキーの時と同様、この時も思わず「アホか」とつぶやいてしまいそうになった。尤もSMAPに関しては、4年後の東京パラリンピック応援サポーターにもなっており、彼らの去就は五輪担当大臣を置いている国会にとっても決して他人事とも言い切れない(実際遠藤五輪相のコメントも出ているし)面はあるだろうけど── とはいえ芸能スクープの大々的報道に対して「政治の重大事を誤魔化すためではないか?」と穿った見方をしたがる者が出てくるのも無理はないかな、という気も一方ではしてるのも確か。SMAPは活動歴の長さとファン層の多さから社会的にはそれなりに影響もあるだろうからまだわからなくもないが、ベッキーとゲス乙女川谷の不倫騒動って、あれだけワイドショーで時間を割いて大きく取り上げるような大事件か? 週刊誌の初出はともかく、その後のワイドショーの取り上げぶりは、結局北朝鮮の水爆実験成功の真偽が日本国内の報道的には早くもウヤムヤになりつつある状況を考えると、当初の意図はなくてもこれ幸いとこれに乗じて、という思惑は果たしてなかったか? などとさすがの僕も思えてきてしまいそうである…。 僕はいつもこの『グミシン』コーナーで「国際問題や政治のニュースも芸能ニュースも同等に扱う」とか「スポーツ新聞も新聞だ」などと繰り返し述べており、実際芸能ニュースも普通にコーナー記事で取り上げてるけれど、それでもやはり、ニュースとしての優先順位というものはあると思う。やはりCoCo壱の異物混入廃棄カツ横流しの方がDAIGO&北川景子結婚のニュースよりも優先順位は高いし、デビッド・ボウイの訃報は衝撃だった人も多いだろうけど、軽井沢のバス転落事故のニュースを差し置いて取り上げるのはやはり躊躇する。…という具合に「そっちよりもこっちだろう」という順番というものはあるだろう。ましてこのサイトのような個人の道楽でなく、公器として大衆に向けて報道するのであればなおのこと。 ──それにしても上述のあのニュースもこのニュースも、これら全部今年に入ってから報じられたものである。年が明けてまだ半月程度で、世間的にいろんな意味で話題になってるニュースが既にこれだけ出てきてるのである。重要度を見極めて優先順位をつけるのは難しいこともあるとは思うのだけど…。 |
年が明けで、2016年がスタートしましたね。皆さんはどのようなお正月をお過ごしになったでしょうか──初詣には行かれましたか? 一応僕も人並みに、自宅から歩いて行ける場所にある神社にお参りしてきました…。元日ではなく3日になっちゃいましたけどね。 で、表題のお賽銭の金額なのですが──「御縁がありますように」で5円とか「遠縁につながるから」10円は縁起悪いとか、あるいは他のいろんな理由で100円の人もいればお札を奮発する人もいるでしょう。経済事情で変わることもあれば、お祈りする内容の大小や強弱で金額を決める人もいるかもですね──表題の「いくら出しますか」は「何を祈りますか」と不可分かも知れませんね。 僕は昨年一昨年と、黄色味を帯びておらず穴も空いていない白い硬貨を1枚投げ入れて、お祈りする内容は「多くは望みません。ただ、僕と母と2人普通に食べて行けてそこそこの暮らしが出来るだけの年収に恵まれますように」でした。たったそれだけ──それなのに、昨年一昨年の僕の収入及びそこから支出をマイナスした残高は…、とてもここで公表できない惨憺たるありさま。実に悲惨なものです。わずかそれだけのささやかな祈りも、神様には聞き入れてもらえなかったのだ、と判断するほかない、そんな昨年の我が家の経済総括。それを好転させる材料も兆しもこれと言って見当たらない今年の展望…。 そんなわけで、今年の初詣で僕が投げ入れたお賽銭は、白い硬貨ではあるけど例年のよりも小型サイズのやつを、でもさすがに1枚ぽっちでは気が引けるので複数枚。それでお祈りした内容は「生活費がジリ貧の一方で、神様へのお賽銭用にこれだけしか捻出できませんでした。どうか、来年のお正月にはこの100倍の金額のお賽銭を出せるだけの経済的ゆとりをください。お願いします」ネタではありません。ホントに神様の前でそれをお祈りしました。話を盛ったりは一切しておりませんです。そして我が家の生活の現実もホントにその通り、まぎれもない真実であります。はい── そしてこの祈り、昨年までの祈りとは全く食い違いはしない。「今回の100倍の金額のお賽銭を出せる経済力」=「母子2人普通に食べていける経済力」であります…、てことで僕の例年の賽銭額と今年の賽銭額は容易に想像がつくことと思います。こんなお祈りするのって、ひねくれてるかな? いずれにせよお祈り内容もささやかだからお賽銭もささやか。もちろんもっと贅沢なこと祈ろうとするのなら、上述の経済力の中でも少し無理して奮発するかも、ですけどね──皆さんは初詣で何をお祈りしましたか? それに対するお賽銭は、あなたにとって妥当な金額ですか? …てか、神様はその辺の差で参拝者に順列をつけたりするのだろうか? そんなアベ政治みたいなことは、しないよな…? |
数年前に年上の同僚が起こした交通事故。ハンドルを切り過ぎて電柱にぶつかり車両を自走不能なくらい大破させてしまったのだが…、その同僚がハンドル操作を誤った原因は猫である。いきなり目の前に飛びだしてきた猫を急ハンドルでよけようとしてしまったのだという──これを本人から聴取した上司の言った一言「そういう時はよけずにそのまま直進するんだ!」 上司のこの言葉は一見ずいぶんとふるっているように聞こえる。実際人づてにこの話を聞いた別の同僚約2名はいずれも「かまわんから猫を轢けだないで、ずいぶんムチャクチャ言うなぁ」と驚きを隠せない様子だった。家で猫を飼ってる愛猫家やら動物愛護団体やらの人たちが聞いたらすごい剣幕で抗議をしてきそうである──しかし、実は僕は前の職場で、免許を取ったばかりの頃に先輩からこれと全く同じアドバイスをもらったことがあるのだ。「急に飛び出してきた猫を避けるためにハンドルを切ったり急ブレーキかけたりしたら、歩行者をはねたり後続車に追突されたりする危険がある。それで人身事故で歩行者に怪我を負わせたり死なせたりしたらそっちの方が大変だぞ。猫よりも人だからな」と。 上述の同僚の事故の場合も、急ハンドルを切った先に下校中の小学生の列でもあったり、あるいは後ろからバイクや自転車が近づいてきてるところだったりしたらどうなってただろうか? なにしろ車が自走不能になってしまうくらいだから、ぶつかったときの衝撃はかなり強かったことと思われるし、人身事故になってたら被害者は軽傷ではすまなかっただろう。件の事故車両を実際に僕も見たけど、その同僚自身これでよく怪我がなかったなとさえ思える損傷ぶりだったから…。 愛猫家や動物愛護系の人には納得できないだろうけども「よけずにそのまま直進して猫を轢け」というその上司の言葉は、交通事故防止の観点からは全く正解なのである──もちろん避けるのが容易であれば可能な限り避けた方がいいのは言うまでもない。猫とはいえぶつかり方によっては車も無傷ではないし、損傷度合いによってはその後の走行に影響する場合もあるから──と、車両や運転者の側の立場の話ばかりしてますが、猫の安全と人の安全を秤にかけたら後者が優先されるよ、ということである。人間社会の原則としては、まあ当然な話ですよね。 ──それにしても、僕自身何度も運転中ヒヤッとさせられるのだが、なぜ猫っていつも車がすぐそばまで近づいてきてから急に道を横切ろうとするのだろうか。ほとんど自殺を図ってるとしか思えない習性である。実際、週に1回以上は必ずどこかの道路で猫が横たわってるのを見てしまうし…。よく電柱とかに貼られてる『尋ね猫』の張り紙の猫のうちの果たして何割くらいがあそこに横たわってる中にいるのだろうか? 飼い主の皆さん、上述の猫の習性と、車社会の人命優先の原則をご理解の上、可愛い愛猫ちゃんからくれぐれも目を離さないように、よろしくお願いします── |
今月アタマに風邪をひいてしまった。鼻の奥が痛いな、と感じた翌日には鼻水とくしゃみが激しくなると同時に熱っぽさも感じるようになり、それと並行して鼻の奥の痛みは徐々にノドへと移って行き、次の日には咳も出るようになってきた。いつもの僕の風邪の新興パターンである──簡単に仕事休めない上に常時車運転なので風邪薬が服めない、つまり何も対処できない状態でやりすごさなければならないので、たいがいいつも長引いてなかなか治らない…。そしてこれもいつものお決まりなのだが──数日後に同居の母も風邪をひく。そう、僕から伝染った風邪を…。 風邪を引いた時の体力的ダメージが年代によって異なることは言うまでもない。中年世代になってから、風邪の時のダルさが20代の頃とは違ってきたなと痛感してるが、それでも子供の時のそれほどではまだない。だが老年世代になってくると今よりもきつく感じるようになるのは間違いなかろう──そして母はその老年世代真っただ中の後期高齢者。肺炎でも併発してしまった日には大変なことになる。そんなわけでこの季節はもちろん一年中「頼む、風邪よ、僕には近寄ってこないでくれ!」と願いながら日々生活を送っている。僕のためだけではなく年老いた母のためにも…。 しかし、いくら心の中で願ってたって、実際に普段から予防を心がけずに手洗いやうがいを怠りながら毎日毎日外回りで街中や人混みを歩き回ってれば、いやでも風邪を引いてしまうことは避けられない。そして上述の通り、薬も服めなければ休むこともできない。なのでなかなか治らない。そして母に伝染す──母は普段から健康には神経質なくらい気を使う人でうがいに手洗い、マスクなどは怠らない人で、こないだの風邪の時もソッコー病院を受診し、処方された薬をきっちり服んでしっかり寝たので、いつまでも治る手前の風邪を燻らせてる僕を尻目にさっさと治癒してしまった。 そして僕はなかなか治らない状態で1週間~10日~2週間…。僕が治らなくてつらいというだけならまだいいのだが、また母に再度伝染してしまったらと思うと気が気ではなかったわけである──それもようやく何とかかんとか治ったようである(これ書いてる今日現在ほぼすべての症状は治まったっぽい)が…。 上述のように母はその辺の健康オタク顔負けなくらい健康番組をよく見て健康関係の催しに足を運び、そして予防も怠らない。そして僕にもしきりに手洗いとうがいを訴えかけてくる──そりゃそうだ、肺炎に至ってただの風邪ですまなくなる危険は僕よりもずっと高く、ヘタすると生命に関わるわけだから──僕自身、今回のように風邪を引いてしまい、それが母に伝染ってしまうたびにそれは身にしみて痛感するし、意識して実践しようと試みたりはするのだが、それが母のようにきっちり習慣づくのはいつの日だろうか…。 |
こちらでも書いたが、今年の紅白でももクロが落選したのは僕的にも信じられなかったが、多くの視聴者だけでなく芸能記者にとってもかなり意外だったらしい。もちろん彼女たち本人にとっても「え? なんで?」だったようで、5人全員がそれぞれのブログで臆面もなく悔しい気持ちを出していた。そして落選が決まったその日のうちに彼女たちから「紅白を卒業します」宣言が── これ、実は僕的には言ってほしくなかったセリフである。彼女たちには「必ず来年リベンジします!」と言ってほしかったから──ただ、彼女たちのブログを見ると「あかりんと6人で…、の夢は必ず叶える」と言ってるので、決して二度と出ない宣言ではどうやらないようでとりあえず安心。しかし、であればなおのこと『卒業』という言葉を使ってほしくなかったな、と思ってしまう…。 よく、アイドルグループを脱退するメンバーや番組レギュラーを降板するタレントがこの「グループ(番組)を卒業します」という言い方をしているが、本来の卒業とは、言うまでもなく学校のすべてのカリキュラムを習得(義務教育でなければ必要単位を取得)して学校を出ることであり、一定の合格水準に達したということである。そこから転じて、大人に成長して子供時代の遊びをやめることなどを『卒業する』と言ったりもする。マンガは卒業したとか、プラトニックラブは卒業したとか、である。要するに、今いる場所を飛び出してさらにひとつ上のステップに踏み出す、というのが『卒業』というものなのだ── では、番組レギュラーやアイドルグループのメンバーの『卒業』はどうだろうか? もちろん番組なりグループなりで十分な実力を習得した上で前向きに踏み出す人もいるだろう。卒業して踏み出した将来でさらに成長できるとは限らないしむしろ落ちぶれる場合もあるだろうが、それは学校の卒業でも同じだからとりあえず問わない──問題は『卒業』宣言してる人たちがみな、グループなり番組なりで"必要単位を取得"してるのだろうか? つまり、あなたのそれって『卒業』ではなく『中退』と言うべきなのではないですか? ってことだ──実のところ芸能界でのいわゆる『卒業』のほとんどが実質的には『中退』だったりするから。 AKBとかでも大島・前田のツートップなど"神7"クラスはともかく、フロントに入れるか入れないかあたりのメンバーが辞めるのまで『卒業』と称するのは、どうなの? 少なくとも「それ誰? そんな子グループにいたっけ?」と言われるレベルでは"単位を取れた"とは言えないんじゃないかな? 聞こえのいい言い方で前向きをアピールしたところでそれは『中退』でしょう。まして「スタッフと本人で話し合って『卒業』という結論に」だとそれは"いわゆる自主退学"(←"いわゆる"がミソ)では? …というようなイメージが芸能界での『卒業』という言葉にはあるから、上述「紅白を卒業」とは言ってほしくなかったわけなんです──ももクロちゃんたちには来年以降必ずリベンジして紅白に再選されて、6人での紅白という以前からの夢を何としてもかなえてほしいと思います。 |
ももいろクローバーZ、きゃりーぱみゅぱみゅ、ゴールデンボンバー──いずれも'12年の紅白初出場から去年まで3回連続で紅白に出場していた。この3組のうち今年は2組落選したと聞いて「え? ももクロときゃりーちゃんのどっちが落ちたの?」と思ったのは僕だけだろうか? 過去3回とも『女々しくて』で出ており、他の曲の印象が一般的にはほとんどない金爆は当然で、あと1組がどっち? なんて思えてしまうのだが──正解は、金爆が選ばれてきゃりーちゃんとももクロが落選なのである。 もちろん誰が見ても金爆よりもきゃりーちゃんやももクロの方が今年の活躍度も話題性も高いのは明らか。日本を超えて世界的にも人気の高いきゃりーちゃんもそうだが、ももクロも今年はKISSとのコラボや主演映画の上映など活躍の場をさらに広げてるし、特にももクロは若年層だけでなく年配者ウケも出演者ウケもよく、紅白という場にはこの上なく適任なはずなのだが──ももクロメンバー5人とも落選直後のブログで悔しさを前面に出しており、きゃりーちゃんも何かのインタビューで残念さを訴えてたから、彼女たちサイドが出場辞退したのではないようだし。彼女たちの落選は芸能記者たちにとってもかなり意外だったようで、記者会見ではNHK関係者への質問が相次いだのだが、NHK関係者の回答は「企画内容などを総合的に判断して…」の一点張りだったようだ。 一方で初出場組を見てみると、前回取り上げた星野源にこちらで書いたゲスの極み乙女。はまあ順当といえるだろうけど、大原櫻子はどうだろう。頑張ってはいるし支持もされてるのはわかるし、僕的にも割と好感度は高いのだけど、しかしももクロやきゃりーちゃんを落としてまで選ぶかな…? って感じである。再選組もmiwaは今年は去年までほど目立った気はしないし、一部とはいえ話題になったのがももクロとのコラボのmiwaクロであることを考えるとももクロ落として彼女を残すのは疑問だ。sekai no owariも昨年の"ドラゲナイ"に匹敵するヒットはないし、破局報道があったきゃりーちゃんとfukaseのバッティングを避けるのであれば落とすのはきゃりーちゃんの方ではなく…、だと思うぞ。 一方ベテラン勢の復活も不可解。近藤真彦はどういう理由で復活したのか意味不明。しかしそれ以上に意味不明なのはレベッカ。今年再結成したのを機に選ばれたようだが今回が初出場。全盛期には一度も選ばれてないのである。何か、現在初老の往年のファン層に媚びてるような気がしてならないのだが── それもこれもNHKが「企画内容を総合的に判断」した結果の人選なのであろう。その総合的な判断の元である今回の紅白の企画なるものを、年末はじっくりと吟味させていただくとしよう──がっかりさせられることはほぼ間違いないとは思うけど…。 |
すでに皆さんニュースでご存知の通り、元オウム信者の菊地直子元被告(この記事執筆時点で検察側の上告の有無は確定してないが、一応本人が無罪釈放されているので“元被告”と称します)の控訴審で無罪判決が出た── 上から指示されて運んだ薬品が、当時の都知事を狙った爆薬であることを菊地元被告が認識してたか否かが争点で、1審では彼女にその認識があったと判断して懲役5年の判決がくだっている。彼女の当時の上役だった井上嘉浩死刑囚の証言が決め手となった判決であるが、控訴審では井上死刑囚の証言が信用できないとしての逆転無罪である──実は僕自身、今回のこの控訴審判決はかなり意外だったのだが、僕以外の多くの人にとっても今回の判決は少なからず意外なことだろう。まして実際に爆発テロで左手に重傷を負った元都庁職員の人や、他のオウム事件で被害に遭ったり家族を亡くしたりしてる人にとってはもっと意外であり、なおかつ納得もいかないことに違いない── 争点となっている、彼女が単なるメッセンジャーで自分の行為に何の認識もなかったのが事実であれば(この表現をここで使うのは非常に違和感があるが)確かに彼女は法律上の“善意の第三者”てことになるのだろう。その“犯意の有無”ってやつは本人の心の中にしかないものであるから、外からは立証しにくいものだし、どちらかわからない状況である限り「疑わしきは被告人の利益」の原則に倣ってしまわざるを得ないのは致し方ないのだろうか──もちろん判決言い渡し後に判事が述べた通り「法律では無罪だけどあなたの起こしたことの結果は重い、それをしっかり受け止めなければならない」ことは間違いないのであるが…。 現行法の制度上、今回の判決は致し方ないのかな、という気もする。再三この『グミシン』コーナーで書いてる通り、裁判というのはあくまで現行法に則って行われるべきものであり、適用される法律が悪法か否かは別問題、裁判においてはあくまでも現行の(悪)法が適用されなければならない── しかしながら今回の認定に疑問が残るのは、上述の井上死刑囚の発言を疑問視した理由が「20年も前のことなのに内容が詳しすぎるのはおかしい」という、全く根拠のないものであることである。何十年前のことだろうが覚えてることは覚えてるし、覚えてる人は覚えてる(ソース=俺)ものである。もちろんこちらも証言であるから無条件に信用していいかとなるとそれもまた…、ではあるが、しかし罪の認識がなければ堂々と表に出てきてそれを訴えればいいのに17年も逃亡、隠遁してたこととか、今回の裁判の対象である爆発物の事件が一連のオウム時間で強制捜査が進んだり幹部が続々と逮捕されたりする中で都庁に薬物を運ぶと言われれば想像くらいはつくだろうとか、周辺の状況証拠を合わせても、彼女に認識があった可能性の方が高いだろうと考えるのが、一般的な普通の感覚なのではなかろうか? もちろんそれらも状況証拠であり根拠はないわけで、それを以て1審判決を支持して有罪というわけにもいかないかも、であるが、しかしそういう状況証拠があることや、古いことでも克明に記憶することはあり得なくはないし、また既に死刑が確定してる井上死刑囚が今さら嘘をついても仕方ないだろうということは踏まえられてしかるべきなのでは? その上でやはり無罪とせざるを得ないのであれば、それは受け止めざるを得ないだろう。それが現行法なのであれば──このような内容では世間を、まして被害の当事者を納得させるのは甚だ難しいのではないだろうか? さて、当然ながら「判決は意外で納得しかねる」とコメントしてる検察側は果たして上告をするのか、しないのか? |