イデオロギーを超えた情念を見よ | ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館

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春原圭による、よろず文章読み物ブログです。読んでくれた皆様との忌憚ない意見交換を重視したいと考えておりますのでよろしく。








 『はだしのゲン』の著者である中沢啓治氏が昨年末に死去した。享年73歳。広島生まれの広島育ちである僕は、当然この作品は子供の時から何度も読んでいるし、漫画の中で描かれた街の地理関係や方言関係などもなじみ深く、子供心にそれら親近感が強い背景と共にストーリーに繰り返し接してきてるわけだから、思想的にもその世界が刷り込まれてしまうのは、無理からぬことと言えよう。ましてや原爆に関する資料やら生き証人、被爆遺跡などには事欠かない土地柄、被爆後まださほど年月も経ってないその当時ではそれらが今よりももっともっとリアルであった。反核・反戦は僕にとっては洗脳でも偏向教育でも何でもない、幼心に生活の中のリアリズムだったのである──
 『はだしのゲン』には単なる反核や反戦の域を大きく超えて、反天皇だったり反日だったりする表現が何かにつけて登場する。そしてその発言口調もかなり過激でボロクソなことが多い。そのためこの作品を"極左"として警戒したり非難したりする向きも少なくない。実際作者の中沢啓治氏も思想的に左寄りなのは間違いないだろう──そして僕は以前から何度もこのサイトで書いてるように、思想的には真ん中よりもやや右寄りであるし、そうなった要因には左寄りの人たちに対して、思想そのものにも若干疑問を感じるが、しかしそれ以上に彼らの戦法としての方法論に非常に違和感を覚える、というのが多分にある──そんな僕が"極左"の象徴のように言われてる『はだしのゲン』を肯定的に受け容れてるというのはさぞかし意外であろうが…。
 しかし考えてもみてくれよ。核兵器は許せん、というのはこれは右翼だ左翼だ以前の人としてのモラルの問題だろう。右翼だって本来、必要以上に他人を殺戮することが本意ではないはずなのである。いくら考え方がやや右に寄っていようが、人殺しはダメと考えるのは何の不思議もないことである──
 そして『はだしのゲン』は基本的に中沢啓治氏自身の実体験に基づいて描かれている。後付けで本を読んだり運動家に吹き込まれた内容ではなく、幼い頃に家族や大切なものを何人も失い、自らも傷つきながら体験的に見聞きしてきた内容なのである。そして、同じ街に生まれ育ち、当時まだ多数生き残っていた生き証人や街並みを幼い頃から見聞きしてた僕にとって、その内容はやはり体験的に(リアルタイムの原爆体験にはもちろん遠く及ばないが)受け容れられるものなのである──僕が苦々しく感じる、理論だけの頭デッカチ左翼と、カラダで覚えた実感に根ざした血肉左翼とは、これは区別して考えなければならない。
 以前にも書いたことだが、先の戦争から年月を重ね、当時の生き証人が高齢化で数少なくなってくにつれて、体験に根差さない"上滑り左翼"が増えてきてる気がする。彼らは理論だけで主義を論じるもんだからその主張が実感として心に響かないし、また彼らの中にも理論だけで心がないからその主張を聞かせる相手に対しての思いやりにも著しく欠けており、だからこそ、その主張内容うんぬん以前に彼らの態度にムカつくことが多い。中沢啓治氏は、左翼思想の中にも情念がある稀有の人だったように思う。ただ"反左翼"の中にもそれが理解できない人が多かったのが残念であるが。
 右の人も左の人も、今一度『はだしのゲン』を、ニュートラルな気持ちで読み返してみて欲しいと、切に願わずにいられない。合唱。