「お前はもう学生じゃないんだから家から出てけよ」
と告げられました。
ま、毒親アルアルですけどね。
しかも、出ていく期限が半年以内というものでしたが
その間も学生じゃないという理由で
家に家賃を入れるよう命令が出ました。
(確か、月4万だったような…。)
私は大学受験が終わった頃から新宿の居酒屋でバイトをしていたので
引き続き、そのバイトで収入を得て
その「家賃」を払っていました。
しかし、家を出ていくとなると
今よりももっと高い家賃を支払う必要が出てくることと
光熱費、食費がこれに上乗せされるわけで
とても居酒屋のバイトの収入ではやっていけない状況でした。
とにかく家を追い出されても生きてかなければならないので
生まれて初めて就職活動を開始したのです。
(19歳の非常識な学生崩れでしたのでスーツなど持っておらず、
その当時の私なりに小ぎれいな恰好をして臨んでいました。)
しかし、時は学歴社会真っただ中。
大学を中退してしまった身には厳しいものでした。
面接官から「なぜ大学を辞めたのか」と質問を受けた時に
私は何も考えず「親ともめてしまい、中退させられた」と回答すると
ここでも、
「大学を辞めた上に、それを親のせいにするような人が
まともに仕事をするとは思えない」
と即刻不採用を告げられてしまいました。
(あれ?高校の時、スキー部を辞めた時に
言われたことと似ているような気がする…。
「親がそんなことするわけない」という世間の常識…。
詳しくは過去のブログをご覧ください。)
この時、私は初めて
「あぁ、この先私は一生大学中退の理由を ”自分都合” と
世間と自分自身に嘘をついて生き続けなければならいのか」
とかなり落ち込みました。本当に悲しかったです。
その後、50歳になるまで何度か転職をしましたが
その都度、このことは私の気持ちを暗くさせる要因でした。
当時、「From A」という求人誌が人気があり
かなりの件数の求人広告が載っていましたが
私が面接に行く企業からは悉く不採用の通知ばかり。
しかし、追い出される期日は刻一刻と迫ってくる。
私は普通にはもう生きられないのだ、と自分に言い聞かせ
新宿2丁目のとある店に面接に行ったのです。
2丁目は高校の頃に興味本位でデビューし、
大学入学後に友人も出来て、ちょくちょく飲みに出ていたので
決して見知らぬ街ではありませんでしたが
あくまでも週末に飲み屋の客として遊んでいた程度でした。
まさか自分がその街で働くことになとはまるで想像していませんでしたし
不本意でしたが、当時の私には
生きていく為に他に方法は思いつかないかったのです。
(好きで働いている分には全く良いと思います。
あくまで、私は堅気で居たかったということです。)
幼少の頃から「どうせお前なんかな」と言い続けられ
自己評価を低く形成されてきたことに上乗せされる形で
この「堅気では生きていけない人生」という現実に、
『やはり私は父が言い続けてきたように
ろくに生きていくことはできない人間なのだ』
という証として心に刻印されたのでした。
いよいよ堅気ではない生き方の始まりです…。