3泊半の高校野球観戦夏休み、から戻って参りました。

いやはや、
やっぱり関西の夏は暑いねーなどと抜かしながら帰京したら



どっこい東京も、劣らぬ猛暑でした。あぢー。


せっかくの夏休み、
せめて京都観光くらい、と最終日の宿は京都に取り

帰りの新幹線も京都からにしていたのに、直前にその最終日に

コロスケの出身県、宮城は仙台育英の試合があることが判明し、

急遽最終日も、帰京時間ギリギリまで観戦しますた。

もうね、夏休みじゃなくて夏合宿ですよ。
中一日休んで、計3日の観戦で見たのは8.5試合。

食べた名物カレーは2人で6杯。

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黄レンジャー夫婦。

バカです、はい。






初日、夜行バスにて出発にてスタートした夏休み夏合宿

早朝、ホテルで着替えて甲子園に向かい第一試合から観戦。


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そりゃね、確かに地元兵庫は報徳の試合だけど・・・。

異常だよ、今年の甲子園の混み具合。

この日は、バックネット裏のチケットを予め持っていたので日陰に座れたのが幸い。

おかげで涼しく?第三試合まで観戦。


しかし、夜行バスで到着後の観戦は流石にキツかった。
コロスケは、



第三試合の途中でまんまと夢の中へと誘われていき・・・。

この有様。↓


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甲子園だというのに首から提げたジャイアンツタオルが
この上なく腹立たしい。




二日目は、試合開始1時間前くらいに到着したにも関わらず

バックネット裏は、既に売り切れ。

仕方なく一塁側へ。しかし、一塁側の日陰は既に埋まっていたので・・・。

日焼け確実なこの席へ。
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ワタクシはこんなこともあろうかと、長袖に帽子で防備したけれど

コロスケは、半袖、短パンで日焼け止めなし。


もう、燻製玉子か、ドリフの爆破後かという有様に。

プップカプー、と笑っていたらワタクシの帽子のつばが小さすぎて

鼻の下だけ焼ける、というマヌケな結末が・・・。とほほ。


ちなみにこの日は、スコールのような通り雨に三回見舞われ、
三回服がびしょびしょに濡れては、パリパリに乾く、を繰り返す。

それでも傘も差さずに観戦。バカに磨きがかかります。



流石に三日目は休みを取って、妊婦な大阪の友人と昼ごはんを食べる。

会う早々、
「どっちが妊婦か分からへんなあ」

と、しみじみとしたキツイご挨拶で再会。

まあ、確かにね(涙)否めませんよ。(ノ_-。)

「もう、絶対痩せる!」

と、叫んだら。



「やめときー。口ばっかやしー」




ぐぅ・・・・・(撃沈)の音も出ず。


その夜は、京都に移動して別の友達とゆるりと飲んだら、
まんまと深酒になってしまった。

翌最終日は前述の通り、京都にわざわざ泊まったのに5時に起床。

ロッカーに荷物を預け、7時前に甲子園到着。

さてチケット・・・・

と思ったら、既どこの席の売り場も長蛇の列。
とりあえず、バックネット裏の列に並ぶも、ワタシの左でかざされるプラカードには


「この近辺の方は、売り切れる可能性がございます」

( ̄□ ̄;)!!



列の進行と一緒に、ワタシの隣に付いてくる忌まわしきプラカード。

おまけに、あと3メートルで窓口というところで繰り返され始めたアナウンス。

「まもなく、バックネット裏中央自由席は売り切れます」

「まもなく、バックネット裏・・・」

「まもなく・・・」

煽るなよ・・・。

こういうの、運悪いからなあ、運悪いからなあ・・・
と、思ってたものの。

野球の神様は、この合宿っぷりに微笑んでくれたのかギリギリセーフ。
ワタシの2人後には売り切れておりました。

何故こんなに混んでいるのかと言えば。

第二試合のコロスケ目当ての仙台育英のエースは、大会No1の呼び声高い速球派とあって、

(1回戦で17奪三振、おまけに歴代タイ記録の154kmを出したのだ)

野球好きは勿論、下らないマスコミに「プリンス」の称号を貰ってしまったためか、女子もわんさか。

ちなみに「プリンスK」らしい・・・くだらねえ。

なんでもかんでも「王子」とか「プリンス」とか付ければいいってもんじゃねいんだぞ、こら!

おかげで、コロスケまで会社で

パートのおばちゃんに、王子呼ばわされちゃってるんだぞ。






その名も


「ポチャポチャ王子」

ぽちゃぽちゃって・・・

水っぽいな。(水腹だけどさ・・・)
おっと、話が逸れた。

そんなこんなな第二試合の前には、何と全てのチケットが売り切れ

無料で解放される外野席も入場規制。

シンジラレナーーーイ。
去年のハンカチ王子からチョット異常な気がする。


そんな最終日は、忘れてはいけない8月15日。

終戦記念日だ。

サイレンと共に、球児と満員の観客が黙祷した。

高校生が、大好きな野球を思い切りできて

その野球のために笑顔を弾けさせ、その野球のために涙を流せる。


その球児達を存分に応援できる。


その平和の幸せに感謝しながら。

戦争のせいで、天才と呼ばれた投手が命を落とし

野球などに明け暮れることもできなかった、その当時の高校生を想いながら。


しみじみと球場を後にして、

仙台育英の夏と、我が家の夏合宿は幕を閉じた。