この話は、現在進行形で
毎日びっくりするようなことが起きている。

「マジか」「何でよ」起こる出来事に一瞬頭を抱え
そもそも…と苛立ちそうになる、というか苛立つのだけれど。

それでもちゃんと回って行っているのは
弟をはじめ、友人知人、上司、同僚、先輩、後輩、ママ友、習い事関係…
本当に沢山の人が、親身にサポートしてくれるから。

向こうの家族、「味方だよ」「昔からそういう子だったのよ」
「離婚でいいと思う」言ってて一瞬頼りそうになったけど
別に何もせん。

綱渡りのように来ているけれど、インディージョーンズみたいに
ハラハラしながらもなんとかなっているのはサポートのおかげ。
もう、感謝しかない。

だから、私も子どもも大丈夫。
ただ、ただ幸せに向かおう。

そしていつかきっと、絶対に恩返ししようね。

結婚して3年くらい経った頃、実は離婚を考えていた。

将来の話もしていなかったし、セックスレスだったし
ただの飲み友達と同居しているような日々だった。

離婚を切り出すと、

「子どもが欲しいと思っている」と言った。
ずっと、「無理、まだ考えられない」と言っていた人なのに。

私は、その言葉や気持ちをきちんと確認することなく
「それならば」と思ってしまい、
勢いのまま妊活へと進む。

自分の気持ちさえも確認せずに。

多分それが、歪の始まりだったのだ。


 

私の母は、毒親。
それはまた、書こうと思っている。

「私は、こう」と決めたら
絶対譲らない。人を見下す。

1人暮らしが難しくなってきて、
ショートステイやら老健やら入院やら、
そんなことをこの5年くらい繰り返してきた。
気に入らないところでは喧嘩して、私は頭を下げて回った。

入院の度に、五分五分、覚悟してください
そんな言葉を聞いてきたけど
全部を覆してきた母。

私が自宅からこっそり避難先に荷物を持ち出す日、
それはそれはナーバスで緊張していたその日、母は緊急入院した。
こんな時まで!
直前までいた施設で自分の意見が通らず、半狂乱で毎日何度も電話してきていたので
正直辟易していた。

「ちょっと状況が良くないです」と病院から連絡があっても
どこかで大丈夫だろうと思っていたけれど。
入院から2日後の未明、病院から電話があった。

病室に入ってすぐに、ダメだと分かった。
息子の「頑張って」という言葉に少し頷いて、看護師さんにお願いして
飲みたいと言っていたコーヒーを少し含ませてもらった。
ほどなくして、穏やかに旅立った。

穏やかだったのか、あれが食べたかったと無念だったのかは分からない。

ずっと衝突してきた母。
片付けながらいつも書いていたノートをめくると
「お誕生日おめでとうと云おう。電話には出なかった。出かけていたらしい」
「1人暮らしが辛いです。1か月に3回くらい来て欲しいです」
「朝、足がしびれる」「夜、少し吐く」
日記ともつぶやきともスケジュールとも分からないことがびっしり書いてあった。

自分できっと分かってた母。
これじゃだめなのよね、と台本を書いていたんだろう。
それでもやっぱり上手くいかなかったんだろう。
衝突を繰り返し最期まできてしまった。

物凄く大嫌いな母、それでもやっぱり大好きな母。
ありがとう。

もう、今年は色々大決算だ。
 

このブログは、妊活を始めたくらいに
書き始めたもの。

息子を授かるまでに4年。
その後、娘を授かるまでに2年。

見直して、9割の記事を消した。
見直すと、綻びはあちこちにあった。
そこで向き合わなかった年月が今を生んでいる。

ごまかし続けて10年くらい無駄にしたのかもしれないけれど
自分が願う未来がやってきただけ。
もう、20年頑張ったのだから手放していい。

今はただ、ただ前を向き
願う明るく豊かな未来を創っていく。
私のために、子ども達のために。
 

結婚21年目。

その日も憂鬱な、いつもの1日が始まり
それは、いつものように終わるはずだった。

だけれど私は、子どもを連れて家を出た。
ずっとそうしようと思っていたけれど、
時に怯んで、時に迷って、時に依存して
ここまで来てしまった。

踏みだしたら何かが壊れる、そう思っていた。
とっくにもう壊れ始めているのに。

学校に電話し、習い事に電話し
様々な場所に連絡し、場所を確保した。

子供は戸惑い、
けれども、少し旅行にでも行くようなワクワク感が
混ざり、家族3人浮足立つ気持ちを抑えて
最低限のものを持って家を出た。

それは突然のようで、当然で。

洗濯ものも洗い物もそのまま、電車に乗った。



 

こんちは。まいちんです。

何とか無事に娑婆に戻ってまいりました。

もう、否応なくの日常。

娘さんが泣けば、福助わざとわがままを言う

というカオス!
 

さて。
今回のお産、前回もちらっと書きましたが

人が生まれるのに、予定も計画もないってことを

痛感しました。

今もまだ、しておりまっする。

3000gちょいで生まれた娘さん。

37週で、3000g突破とは、またデカいな…

と、ひそかに思っておりました。

(ちなみに、福助は38週で3600gにて爆誕)

順調に生まれてくれた、よかったと思いつつ。
福助のこともあったので、旦那は娘さんの手続き終了後

早々に帰宅したんですが、その後小児科の先生がやってきて。

娘さんが保育器に入っている、と告げました。

 

「新生児一過性多呼吸」という症状で、帝王切開に

よくある症状だと言って。

羊水を飲み込んでしまって、呼吸が苦しいので

保育器で管理する、というような簡単な説明でした。

そして、

点滴が入っているので、

抜かないために手に手袋をする同意書が欲しい、と。

まだ、痛み止めとかで朦朧としていたのもあって

頭が回っていなかったし←つもですが

よくあること、と理解してサインしました。

が、翌日GCUに面会に行って、本当にショックを受けました。

保育器、とうのはわかってましたが、手には点滴

ミルクを飲む力が弱くて、口にも管。

足にはセンサーもついていました。

 

看護師さんが、保育器に手を入れていいですよ、

と言ってくれたんですが、ショック過ぎて手も数秒で出して

しまいました。

 

昨晩の「よくあること」の安心感なんて吹っ飛んで

ホントに大丈夫なんだろうか?と不安が一気に押し寄せました。

先生を捕まえて、詳しく話を聞きたいといいましたが、

忙しそうで、面倒そうでしした。

 

コウノドリ先生、あれ天然記念物級。

「大丈夫なんでしょうか?」と聞けば

「何をもってして大丈夫か、にもよるので何とも言えない」

とか言いやがりました。(笑)

スマホで検索しまくりましたが、

後に、小児科の連携不足でキチンと

説明されてなかったことを謝罪され、丁寧な説明を受けたので

よし、とします。

結局、出産当日はNICU管理だったことを知ります。

そして、3日間はGCU管理でお世話も出来ず。

ようやく一般のGCUに移ったら、体重が思うように増えないのと

黄疸の症状が出てきてしまい、居残り入院の可能性が

日に日に現実味を帯びてきました。

そして、点滴もセンサーもついたまま。

授乳にかかる時間もゆうに1時間。

それでも、ミルク40飲めるか、飲めないか。

体重は、2750gkらいまで落ちてきて、看護師さんたちが

必死に飲ませてくれたりもしましたが、絵面はもう拷問級…。

寝落ちしてるのに、哺乳瓶突っ込んで、口からは漏れまくり、というね。

 

経産婦だというのに、イチバン看護師さんに心配されていたかも^^;)

それでも、何とか最終日にちょっとだけ体重が増えていて

黄疸もギリギリで退院許可。

一緒に帰りたい、とは思っていたけれど。

最後までモニターは外れなかったし、これで帰って大丈夫なのか…

と、不安も抱えつつ退院しました。

そして、案の定。

福助の時には経験しなかった、噴水戻しや鼻からミルクー。

母乳外来の人に来てもらったら、体重も日に30gは増えてほしいところ

10以下…。

こんなくらいで、なのかもしれませんが。

もう、毎日必死の45歳です(笑)

福助の時より、明らかに踏ん張りがきかず、

退院初日に眠気に負けて、手から娘さん落としそうになりました。^^;)

それもこれも、後で笑い話になるように

という、娘さんが生まれたときの忘備録、備忘録。

 



搾乳機、買わないと駄目そうだ…。

バウンサーもやっぱりあった方がよさそうだ…。

2人目でもやっぱりお金かかるなあ…。

 

お祝い金で、電動3人乗り自転車も買っちゃったしな・・・。

ははは。

先週、見なきゃ見なきゃと思いながら見ていなかった

「コウノドリ」を初めて見ました。

題材的に、読んでみたいと思いつつ、絵が好みではなくて^^;)
そして、綾野剛も好みではなくて(笑

テーマが「高齢出産」「不妊治療」だったので、

よしっと、見てみました。

感想は・・・・。キ、キツイ。


治療や、仕事ととの両立、高齢出産の現実、父子家庭の

しんどさ、どれも突き刺さったのだけど。

何よりキツかったのは、不妊治療を長年頑張って、

子宮筋腫の手術もして、やっと授かったのに31週で

子宮破裂、子宮全摘、赤ちゃんも助からない高齢妊婦さんの話。

ダブり過ぎる。

私は、顕微授精、前回帝王切開、今年の初めに子宮筋腫の腹腔鏡手術

その際に、前回の帝王切開の傷も再縫合、そして高齢と

リスクオンパレードで37週での帝王切開が既に決まっているんだけど…。


そうだよな、こんなこともないとは言えないんだよな、と。

不安でたまらなくなってしまった…。

辛いよなー。


頑張って、頑張って、

やっとやっと授かって、大事に大事に31週まで来たのに。

あんなことが待ってるなんて、堪らないよな…・。

短い取り上げられ方だったけど、あの夫婦のことが

気になって仕方ない。

今日は、自然分娩にこだわる人がテーマみたいだ。

見てみようかな…でもな、綾野剛のピアニスト姿はいかがなものかと…^^;)

あ、個人的な好みです。ファンの方、すみません。

さて、長くなっちゃいましたが

2012年の絨毛検査&胎児ドッグのお話を。


これは2012年の出生前診断の話です。

もしかしたら、現在と変わっている可能性があるので、

それをご承知頂きで読んでいただければ幸いです。


このクリニックでも、検査は海外の病院に委託?

していました。私の時は香港の病院だったと思います。

それもあって、検査結果まで時間は掛かります。

異常のあるなしが分かるのは、1週間以内だけれど、

染色体をきちんと調べた結果が分かるのは2週間後くらいだった

と思います。


私は、すぐにでも知りたかったけど、

旦那氏に

「急いでも結果が変わるわけじゃないし、

きちんと最終結果を見て判断すればいい。交通費も馬鹿にならない」

となだめられました。


生きてる心地のしない日々で、半ば覚悟はしていました。

結果も予約をして行きましたが、かなり待ちました。

説明は、院長が直々してくれて、今回の新型出生前診断より

結果報告も丁寧で、染色体のコピーのあり、3枚ありました。

結果はネガティブでした。

言われた瞬間に、手先に血の気が戻ったのを覚えています。

院長先生は

「よかったね、本当によかったねー」と言ってくれました。

当時読んだ、陽性だった方のブログでは

クリニックでは、とことん相談に乗ってくれると書いてありました。


そのことについて書いて、出生前診断の話を終わりにしようかと思います。

こんにちは。

昨日、保育園にお迎えに行くと入口にお知らせ。


嘔吐の症状がある子が複数出ています。

お迎えは、玄関口で行います


ひぃぇ~~~~~~Y(>_<、)Y

とうとう、嫌なシーズンがやってまいりました・・・。

とほほ。

祈りながら帰宅しましたが、本日まんまと38.5度の発熱。

熱だけで済んでくれ~~~。

さて、出生前診断の話です。


これは2012年の出生前診断の話です。

もしかしたら、現在と変わっている可能性があるので、

それをご承知頂きで読んでいただければ幸いです。


早速もう、時系列がちょっと定かでなくなっていて申し訳ないのですが、

午前中胎児ドッグの時、後半は院長先生が診てくれます。

私は、首の後ろの少しの浮腫み、鼻が低いことを指摘されました。

胎児ドッグの後、細かく説明を受けます。


年齢や、ドッグの見解のリスクを色々考慮した確率が出ます。

私の、陽性確率は・・・高いもので50%でした。

2分の1の確率。

一気に、喉の水分が飛んだのを覚えています。

理系の旦那は「確率」に対して冷静でしたが、

色々記憶が飛んでるのは、その衝撃かもしれません…。

午後は絨毛検査でした。

行く前に色々、そのクリニックで絨毛検査を受けた人の

ブログなんかで読んでましたが、リスクを避けるため

院長先生が納得できる状態になるまで、検査はしません。


胎児の位置や、エコーの診易さなんかのようです。

最初にエコーで先生が診て、直ぐ検査できる人もいれば

散歩を長時間指示される方もいるみたいですが、

わたしは、「おしっこ20秒だけ出してきて」でした。


なかなかの難問でした。

大体にして、出たら途中で止めるって難しいですよねえ。

ともかく、それで無事検査に進みました。

まず、お腹に麻酔をしますが、私はこれが結構痛かったです。

その後、長い針をガシガシお腹に入れていくんですが、

シャカシャカ先生が動かす度に、エコー越しで

赤ちゃんが飛び跳ねるように動いて、ドキドキしました。

妊娠も、お腹からのエコーも、しかも鮮明なエコーも

初めて尽くしなうえに、未知の世界の絨毛検査。

とてもナーバスになっていました。

でも、先生はとてもさばさばしていて、胎児ドッグの時から

「治療ガンバったね、よかったねー」とか言ってくれて。

手先は当たり前だけど、しっかりしえいて、軽口を叩きながらも

エコーを見る目は真剣で、信頼できました。


検査を受けることや、その後の選択はみんなそれぞれ

というようなことをおっしゃってました。

(多分、リスク計算が高かったから?)


短い時間だったと思うけど、私はとてもとても長く感じました。


検査の後は、1時間くらいだったかな。

別室のマッサージチェアみたいな(マッサージはついてない←あたりまえ?)

椅子で安静にして、自分の体調や胎児の心音を

院長ではない先生に確認してもらった後、帰宅しました。




プレミア12の韓国戦、あまりに後味が悪く

寝付けず、目覚め悪し!!!


何故、あの球数とピッチングでもう1回大谷じゃないのよ!

則本何故、2回もいくのよ!!

そして、その後がなぜ松井なのよーーーーー!!


あ、失礼しました。


さて、3年前の出生前診断の話です。

もしかしたら、現在と変わっている可能性があるので、

それを承知で読んでいただければ幸いです。

私が受けたのは、絨毛検査という検査です。

何故、絨毛検査を受けたかと言えば、
確定診断を受けたかったから。

羊水検査より早い時期に知りたかったから。

羊水検査よりリスクが少ないと判断したから。

です。

何故、大阪まで行ったかと言えば。
東京で出来る施設が極端に少なく、その施設での出産が前提だったから。

そして、
大阪のクリニックは、専門クリニックで技術力が高く
少しでもリスクを減らしたかったから
です。

大阪の病院は、常に混んでいて

実施できる期間内に予約が取れるか心配だったので、

心拍確認後直ぐに、電話をしました。
(それまでも、数値低い→子宮外の疑い→大学病院転院

→正常妊娠と、バタバタだったので福助の初期は本当に気が休まらなかった)

そこのクリニックは

・胎児ドッグを受けることが前提

・アスピリンを飲んでいる人は受けられない

・結果を含め、夫婦で来院できない人は受けられない

という条件がありました。

そして予約をしていても、当日はかなり待ちます。

待合室には、人が溢れていました。雰囲気は、新型出生前診断を受けた

大学病院より重い感じで、だから先日の大学病院で

待っている夫婦がみんな談笑していたことに違和感を覚えました。

流れとしては、胎児ドッグ→絨毛検査でした。
胎児ドッグ(超音波)までは、院長ではない先生ですが、

本当に丁寧に見てくれます。

心臓、むくみ、鼻はもちろん、隅々まで見ます。画像は4D?でとても鮮明です。

とても長く見るので、動く姿を初めてみて感動しました。

そこでもまた、これで陽性だったらどうするのか…と考えました。
夫も同席して、一緒に見て、画像も頂きました。


その後、胎児ドッグでの見解の説明を受け
「絨毛検査受けますか?」と再度聞かれました。
私の時は、ほぼ1日がかりで、午後から

絨毛検査でした。

霧の埼玉からこんにちは。


先日、専業主婦で2姉妹を育てている友達と

愚痴大会をしました。


私も相当やさぐれていたんですが、友達は

「私ね、今の生活って牢獄だなって思うの」


ろ、牢獄?!( ̄□ ̄;)

「でもね、この子たちが大きくなるまで服役する覚悟はあるの」


ふ、服役?!(  ゚ ▽ ゚ ;)

み、みんな色々抱えているんだな…がんばろ。(笑

さて、今回は福助の時に受けた出生前診断のこと。

2012年、福助の時に受けたのは、絨毛検査&胎児ドッグでした。

今回の出生前診断を受けた理由が、覚悟とか心構えならば

福助の時は、不安だったから、です。

ともかく不安だった。


だから、確定診断をしたかったけれど、

羊水検査まで待てなかった、そこで陽性と出た時を

想像するのが怖かった。

ので、絨毛検査を選択しました。
当時、絨毛検査をやっている施設は限られていて、

ハードルも高く、リスクも不安ではあったので、

色々考えて、大阪の有名なクリニックで受けました。

妊娠が分かってから、決めるまでに時間がなくて

本当に悩みました。

周りで受けている人はほぼいなかったし、

治療までして授かったのに、こんなことしていいのか?

でも、高齢でハンディあある子を本当に育てられるのか?

産むことは、子どもにとって幸せなのか?


色々色々考えて、ほとんど時間切れ状態で受けた

というのが、正直なところです。

ただ、ダウン症の赤ちゃんを産んだ友達が

「受けた方がいい、受けて安心した方がいい」と

言ってくれたのが、イチバン大きかったかもしれません。