九州の福岡には、博多商人が喋るいわゆる「博多弁」と武士の福岡の人が喋る「がっしゃい言葉」というものがあった(ある)らしい。『太陽にほえろ!』に出ていた、下川辰平氏は流暢な「がっしゃい言葉」の使い手だったとか。

もう今年で83歳になった父にその話を話したところ、
父: 「母のいとこの、三原の叔母さんが、その使い手やったね。」
私: 「ほう。」
父: 「地行やら唐人町のあたりが、昔の下級武士の住まいがあったけんね。あの辺りの人は、まだ喋れるかもしれんたいね。」
私: 「東京で言えば、御徒町とかのことかいな?」
父: 「御徒町がどげんとこか、しらんばってんがぁ、母も『来てがっしゃい。』とか、言いよったねぇ。」
私: 「ばってん、おばあちゃんな、博多の人やろうもん。」
父: 「実家は『方壺(ほうこ)堂』っていうて、『除風散』て言う、リューマチの薬ば作りよった。よう効くけん、中国やら朝鮮からも、買い付けに来よったらしい。お城にも出入する店やったらしいけんね。『がっしゃい言葉』も使うたいね。」
母: 「お義母さんから、『きんしゃい』とか『しんしゃい』とか、使いよったら怒られたもんね。『そげな品のない言葉はつかわんと!』って。」
私: 「普通の博多弁にしか聞こえんばってんね。」
その後は、なぜか父からの学生時代の話が溢れるようにでてきた。昔使っていた言葉に紐付いた記憶がどんどん蘇ってきたらしい。
私: 「あの『しぇんしぇい。』って言うのは、博多弁かいな。」
父: 「兵学校のとき、『せ』が『しぇ』になって、何度も教官に怒られた。」
私: 「江戸っ子が、『ひ』が『し』になるとは、笑えんね。」
父: 「なんやそれ?」
私: 「昔、ライオンズにおったピッチャーの東尾(ひがしお)って監督おったやろ。江戸っ子が話すと、しがひお監督。娘は、プロゴルファーの、しがひおりこ たい。」

父: 「なんてや?」

父は、耳がどんどん遠くなっている。
私: 「で、『除風散』はその後、どげんなった?」
父: 「薬事法が施行された時に、対応が悪くて、保健所からいろいろ言われて、どげんかなったげな。」