世の中には、男の人の歌や女の人の歌、いろいろあります。

 僕は女の人の歌はほとんど聴きません。

 自分で歌える歌しか聴かないからです。

 女の人がうたってる歌は、CDとかかけながら、それに合わせて歌えないんですよ、キーが高いから。

 覚えたら必ず歌ってしまいたいので、必然的に自分と声域のかぶる男性アーティストの曲を聴くことがほとんどになってしまいます。

 だから、あまり女性歌手の曲って知りません。

 しかしそんな私でも、数は少ないけれど、これだけは来世にも持っていきたいという、忘れられない女性歌手の名曲があります。

 今日ご紹介する「おなじ星」も、そのひとつです。







 知ってます? この曲。

 歌っているのは、Jungle Smile(ジャングルスマイル)という、男女二人組です。

 あまり有名ではないこの曲ですが、この曲が教えてくれるのは、ポップミュージックにおける「歌詞」の威力です。

 私はこの曲以上に、コンテンポラリーな女性の心情を、正直に、繊細に、時に生々しいまでに激しくさらけ出した歌詞を見たことがありません。

 これ、歌詞です。




動けなくなる…
何度抱きしめ合っても
胸が"ギュン"ってなるよ

"恋してる"とか"好き"とか
そんな気持ちじゃ済まされないんだ

胸の奥で ささやく声に
はげまされてここまで来たよ

星の数ほど訪れる巡り逢いの中で
あなたが 私をたったひとり愛してくれたから
もう迷わない
くやしくて涙こらえる夜も 微笑む朝にも
やわらかいあなたの声に 抱かれてる

そう この匂い…
耳の後ろの匂い
昔から知ってる

シーツの中で
会えない日の分まで 肌を 重ねて

私の瞳に眠る光を
あなたが引きだしてくれたよ

何があっても
この腕がちぎれそうになっても
離さない 守るわ ずっとふたりで生きてゆこうね
たとえあなたが 女に生まれていたとしても
私の心は必ずこの場所
たどりついてるわ

響いてる…
遠くてもあなたの声が

この東京で
交差点や駅のホームとか
あなたと私はきっとすれ違ったりしていた
離れた空の下で
同じ時間 同じ星を見上げて
タメ息もらしてたかもね

もう 離さないで

星の数ほど訪れる巡り逢いの中で
気付けば こんなに いつも近くにあなたがいたよ
やっぱりそうね
くやしくて涙こらえた夜も 微笑む朝にも
やわらかいあなたの声に 抱かれてた





 この曲の唯一絶対と言ってよい魅力が、この歌詞なのです。


 いきなり、「好きとかそんな気持ちじゃ、済まされないんだ」ですよ。


 この曲の歌詞を、男性陣にはぜひ、自分の彼女に言われていると想像して聴いてみてほしいんです。


 「好きとかでは済まされないんだ」なんて言われたら、どうします?
 そんな会話に至るシチュエーションというのは、多分「もう私、あなたを失うぐらいだったら死んでやるから!!ほらっ!!ほらっ!!」っていう、言わばある種の修羅場のときぐらいじゃないですか。

 要するに、

あんたとの恋に、もう命賭けてるから。そこらのガキと違うから。


 ってことですよね。

 重いなあ。

 「耳の後ろの匂い 昔から知ってる」

 オヤジの加齢臭の象徴ですよ、耳の後ろの匂いなんて。ポップミュージックには、おそらく初登場でしょう。

 
「シーツの中で 会えない日の分まで 肌を 重ねて」

 あ~あ、歌の中でやっちゃったよ!!!演歌でもフォークでもない、J-popでですよ!!これも、珍しい。

「何があっても この腕がちぎれそうになっても 離さない 守るわ」

 腕がちぎれても、守ってくれるの?

 それは普通は男性の台詞だし、男性がカッコ付けて言うようなことでしょう。



 重いんですよ、とにかく。どぎついくらいです。

 普通に彼女にこれぐらいのこと言われたら、間違いなくドン引きでしょう。思ってるのはいいけど、直接言われちゃったらね。




 でも、でも、でも!!!

 曲を通して聴いてもらえればわかりますけど、歌詞だけ見たら重くても、曲全体を聴くと、全然重さを感じない。それどころか、恋人を思う切実な気持ちが、かえってよりリアルに伝わってきませんか?

 それは、歌というのはあくまでも、ある種の「総合芸術」だからだと思うんです。

 歌詞だけを見るのではなく、メロディーだけを聴くのでもなく、歌い手のルックスやイメージで判断するのでもなく、あくまでも曲として完成したその全体を、総合的に味わえるのが、ポップミュージックの魅力だと思います。

 詞やメロディーはもちろん、その歌い手の声や歌い方、ひいては音楽と無関係な外見やイメージも、、アレンジまですべてが、その歌の世界観を表現するためには、まったく不可欠なものなのです。


 この「おなじ星」の場合、


 この非常に重くリアルな、普通に彼女に言われたら、そこらの男ならあまりに重さにケツまくって逃げそうなほどの「濃い」歌詞であっても、女性ボーカルの、言葉は悪いが苦しげな、ヘタウマな感じとか、男性ボーカルの素人っぽい発声とか、シンプルなアレンジとか、奇をてらわないメロディーが、逆にその濃さを薄める方向にうまく作用し、結果としてしつこさを感じさせず、詞の世界観を無駄なく伝えることに成功しているのです。



 表現したい内容によっては、歌なんか必要以上にうまく歌おうとしなくてもいいし、バリバリの流行りのアレンジにしなくても、宝石のようなメロディーを書かなくてもいい、という見本のような曲だと、僕は位置付けています。


 歌詞以外は、かなりシンプルな感じが漂うこの「おなじ星」ですが、かえってそれが、この曲にある決定的な要素を与えています。

 それは「中性」というキーワードです。



 僕は、肩こりがひどいので、よくマッサージをしてもらいます。

 僕がよく行くお店は、施術者が全員女性です。

 もちろん、ヘンなお店ではありません。ちゃんとしたリラクゼーションサービスのお店です。

 なぜ、施術者が女性しかいないのか。

 女性=中性、だからではないのかな、と思うんです。

 男性がやると、どうしても力が強かったり、ごつごつした手の感じなどで、確実に「男性」を感じてしまいます。

 しかし女性の場合は、女性という、男性でない方の性という分け方を越えて、もっと普遍的な「優しさ」を表現できるのではないか、という意味です。

 男性も女性も、必ず母親から生まれてくるのですから、父親よりも母親に対して、なにがしかの親近感や特別な感情があるのは当然と言えます。




 この「おなじ星」は、言うまでもなく「女性の歌」です。しかし、あまりにストレートでどぎついほど重い内容の歌詞を、シンプルなメロディーとアレンジ、素朴なボーカルで表現したため、重苦しいまでの女性っぽさは中和され、それよりも女性が持つ「中性」のイメージが、いっそう強調されることになったと、私は感じます。



 ああ、わし、理屈っぽいなあ。



 この曲が私の心を捉えたのは、まさにこの「中性感」なのです。


 男であろうが女であろうが、この歌詞の主人公とおなじぐらい激しく、深く、純粋に、人を愛したことは、誰だってあると思います。

 ない?ないの?ホンマに???


 オレはある。えっへん。

 いつだってそうだよ。毎回そうだ!!!好きになったらみんな骨まで愛するんだ!!!



 でも、やっぱり「このひとは特別だった」という女性が、いてますわな。。。

 この曲の歌詞は、そういう大恋愛をした自分自身を、思い出させ、なんか励まされているような気分にさせてくれるのです。

「あなたもこんなときあったんでしょ? 今はちょっとクサいジジイかもしれないけど、それだけ人を好きになったことがあったんなら、大丈夫、まだマトモな方よ」



 で、往々にしてですね、そういう大恋愛の記憶というのは、結構思い出すと心が痛むもんなんです。だって、ほとんど結ばれずに終わってるんだから。

 時間が経つと、だんだんとその痛みがマシになってきて、薄汚れた自分の心の中で、唯一ピカピカに磨いてある、とっても綺麗な場所に、そっとしまい込んでおくわけですな。
 その部分があるから、どんなに世の中にもまれたり、ひどい目にあったりしても、他人には恥ずかしくて見せられないようなその綺麗な部分をよりどころにして、強くなっていける、なんてなことでね。

 この歌は、そういう「自分の心の綺麗な場所」を、思い出させてくれる曲なのです、私にとって。


 音楽というのは、特に歌というのは、まさに性別さえも飛び越えてしまう。「おなじ星」を聴けば、それが本当によくわかると思います。



 この世に数ある女性の歌の中で、この曲が私にとってベスト・ワンでございます。


 最後に極めつけのフレーズを……



たとえあなたが 女に生まれていたとしても

私の心は必ずこの場所

たどりついてるわ




 ああ、こんなこと、言われてみたいなあ。。。