皆様、ご無沙汰しております。

レッスンを受けているスクールの発表会が近づいてきました。

この発表会は、生徒の誰かがやりたい曲を公表します。その曲に自分が習っているパートで参加したい人が集まって、即席バンドができます。本番までに何度か練習して、日頃のレッスンの成果をバンド形式で発表するという、このスクールの最大規模のイベントです。だいたい20組以上が出場し、終了までに7時間ほどかかるという一大行事です。

わたしは去年初参加しまして、The BeatlesのWhile My Guitar Gently Weepsと、The PoliceのDon't Stand So Close To Me’86を歌いました。

The Beatlesをやったメンバーの方々とは、もちろん全員初対面でしたが、素晴らしい人たちで意気投合し、現在もバンドを続けています。

そしてこのメンバーで、今年もこの発表会に出ることにしました。

曲は、リーダーのFさんが持って来たSomething、George Harrisonの珠玉のラブソングです。

しかも、オリジナル・バージョンではなく、クラプトンがジョージと一緒に来日したときのライブ音源をコピーしようという試みです。

譜面はありませんから、耳コピです。

まあ僕は歌だけなんで、歌詞さえ覚えれば後はどうにでもなります。


今年も2曲出場します。もう一つは、これまたThe Beatlesの、Day Tripperです。

こちらのバンドも、もちろん初対面。

でも、みんなほんとに真面目で、いい人たちです。


実は、これ、あんまり好きな曲じゃないんです。

難しいんです。

しかし、何事もチャレンジ、勉強ですから、やります!!


このイベントでは、まったく見ず知らずの人と、一曲のステージをやるために、約1ヶ月間、力を合わせなければなりません。

これがまた、リーダーシップを学上での、本当に貴重な経験にもなっています。

将来経営者も目指している僕にとっては、そういう意味でも意義深いイベントなのです。




で、本日はこの二組のリハーサルを、ぶっ通しで4時間やりました……


正直言いまして、そんなに長いこと歌い続けるということは、あまり経験ありません。

かなり不安でした。最後の方は声が枯れちゃうのではないか??


しかし、日頃のレッスンの賜物なのか、声枯れらしい声枯れもなく、最後までやりきれました。


僕はまだまともにライブってやったことないので(アコギの弾き語りなら5曲ぐらいはやった)バンドの大音量の中で、自分の声が何曲ぐらい持つのかという持久力の部分は、全然未知数です。

ほとんどのリハーサルスタジオでは、みんなここぞとばかりにフルボリュームで弾きまくり、叩きまくるので、ボーカルは一切聞こえません。

ですので、必要以上にがなり立ててしまい、いつも結構のどが疲れます。

ですが、本番のライブではモニタースピーカーが自分の足元にあって、音程や音量やビブラートのかかり具合など、きちんと把握できるので、そう負担はかからないはずです。


自分ののどの持久力に関しては、そういう想像に頼らざるをえないので、今まで本当に不安だったのですが、今日4時間全開でやってみまして、さほど疲労を感じませんでした。

通しで15回以上はやったと思います。それでも大丈夫だった。

ああ、ここまでは大丈夫なのかも、というのが、少しわかってきましたね。

こうやって、ちょっとずつ自分ののどの特性を、把握していきたいと思います。




来週もまた4時間ぶっ通しです。それで、この発表会向けの練習はおしまい。

頑張るぞ!!
 世の中には、男の人の歌や女の人の歌、いろいろあります。

 僕は女の人の歌はほとんど聴きません。

 自分で歌える歌しか聴かないからです。

 女の人がうたってる歌は、CDとかかけながら、それに合わせて歌えないんですよ、キーが高いから。

 覚えたら必ず歌ってしまいたいので、必然的に自分と声域のかぶる男性アーティストの曲を聴くことがほとんどになってしまいます。

 だから、あまり女性歌手の曲って知りません。

 しかしそんな私でも、数は少ないけれど、これだけは来世にも持っていきたいという、忘れられない女性歌手の名曲があります。

 今日ご紹介する「おなじ星」も、そのひとつです。







 知ってます? この曲。

 歌っているのは、Jungle Smile(ジャングルスマイル)という、男女二人組です。

 あまり有名ではないこの曲ですが、この曲が教えてくれるのは、ポップミュージックにおける「歌詞」の威力です。

 私はこの曲以上に、コンテンポラリーな女性の心情を、正直に、繊細に、時に生々しいまでに激しくさらけ出した歌詞を見たことがありません。

 これ、歌詞です。




動けなくなる…
何度抱きしめ合っても
胸が"ギュン"ってなるよ

"恋してる"とか"好き"とか
そんな気持ちじゃ済まされないんだ

胸の奥で ささやく声に
はげまされてここまで来たよ

星の数ほど訪れる巡り逢いの中で
あなたが 私をたったひとり愛してくれたから
もう迷わない
くやしくて涙こらえる夜も 微笑む朝にも
やわらかいあなたの声に 抱かれてる

そう この匂い…
耳の後ろの匂い
昔から知ってる

シーツの中で
会えない日の分まで 肌を 重ねて

私の瞳に眠る光を
あなたが引きだしてくれたよ

何があっても
この腕がちぎれそうになっても
離さない 守るわ ずっとふたりで生きてゆこうね
たとえあなたが 女に生まれていたとしても
私の心は必ずこの場所
たどりついてるわ

響いてる…
遠くてもあなたの声が

この東京で
交差点や駅のホームとか
あなたと私はきっとすれ違ったりしていた
離れた空の下で
同じ時間 同じ星を見上げて
タメ息もらしてたかもね

もう 離さないで

星の数ほど訪れる巡り逢いの中で
気付けば こんなに いつも近くにあなたがいたよ
やっぱりそうね
くやしくて涙こらえた夜も 微笑む朝にも
やわらかいあなたの声に 抱かれてた





 この曲の唯一絶対と言ってよい魅力が、この歌詞なのです。


 いきなり、「好きとかそんな気持ちじゃ、済まされないんだ」ですよ。


 この曲の歌詞を、男性陣にはぜひ、自分の彼女に言われていると想像して聴いてみてほしいんです。


 「好きとかでは済まされないんだ」なんて言われたら、どうします?
 そんな会話に至るシチュエーションというのは、多分「もう私、あなたを失うぐらいだったら死んでやるから!!ほらっ!!ほらっ!!」っていう、言わばある種の修羅場のときぐらいじゃないですか。

 要するに、

あんたとの恋に、もう命賭けてるから。そこらのガキと違うから。


 ってことですよね。

 重いなあ。

 「耳の後ろの匂い 昔から知ってる」

 オヤジの加齢臭の象徴ですよ、耳の後ろの匂いなんて。ポップミュージックには、おそらく初登場でしょう。

 
「シーツの中で 会えない日の分まで 肌を 重ねて」

 あ~あ、歌の中でやっちゃったよ!!!演歌でもフォークでもない、J-popでですよ!!これも、珍しい。

「何があっても この腕がちぎれそうになっても 離さない 守るわ」

 腕がちぎれても、守ってくれるの?

 それは普通は男性の台詞だし、男性がカッコ付けて言うようなことでしょう。



 重いんですよ、とにかく。どぎついくらいです。

 普通に彼女にこれぐらいのこと言われたら、間違いなくドン引きでしょう。思ってるのはいいけど、直接言われちゃったらね。




 でも、でも、でも!!!

 曲を通して聴いてもらえればわかりますけど、歌詞だけ見たら重くても、曲全体を聴くと、全然重さを感じない。それどころか、恋人を思う切実な気持ちが、かえってよりリアルに伝わってきませんか?

 それは、歌というのはあくまでも、ある種の「総合芸術」だからだと思うんです。

 歌詞だけを見るのではなく、メロディーだけを聴くのでもなく、歌い手のルックスやイメージで判断するのでもなく、あくまでも曲として完成したその全体を、総合的に味わえるのが、ポップミュージックの魅力だと思います。

 詞やメロディーはもちろん、その歌い手の声や歌い方、ひいては音楽と無関係な外見やイメージも、、アレンジまですべてが、その歌の世界観を表現するためには、まったく不可欠なものなのです。


 この「おなじ星」の場合、


 この非常に重くリアルな、普通に彼女に言われたら、そこらの男ならあまりに重さにケツまくって逃げそうなほどの「濃い」歌詞であっても、女性ボーカルの、言葉は悪いが苦しげな、ヘタウマな感じとか、男性ボーカルの素人っぽい発声とか、シンプルなアレンジとか、奇をてらわないメロディーが、逆にその濃さを薄める方向にうまく作用し、結果としてしつこさを感じさせず、詞の世界観を無駄なく伝えることに成功しているのです。



 表現したい内容によっては、歌なんか必要以上にうまく歌おうとしなくてもいいし、バリバリの流行りのアレンジにしなくても、宝石のようなメロディーを書かなくてもいい、という見本のような曲だと、僕は位置付けています。


 歌詞以外は、かなりシンプルな感じが漂うこの「おなじ星」ですが、かえってそれが、この曲にある決定的な要素を与えています。

 それは「中性」というキーワードです。



 僕は、肩こりがひどいので、よくマッサージをしてもらいます。

 僕がよく行くお店は、施術者が全員女性です。

 もちろん、ヘンなお店ではありません。ちゃんとしたリラクゼーションサービスのお店です。

 なぜ、施術者が女性しかいないのか。

 女性=中性、だからではないのかな、と思うんです。

 男性がやると、どうしても力が強かったり、ごつごつした手の感じなどで、確実に「男性」を感じてしまいます。

 しかし女性の場合は、女性という、男性でない方の性という分け方を越えて、もっと普遍的な「優しさ」を表現できるのではないか、という意味です。

 男性も女性も、必ず母親から生まれてくるのですから、父親よりも母親に対して、なにがしかの親近感や特別な感情があるのは当然と言えます。




 この「おなじ星」は、言うまでもなく「女性の歌」です。しかし、あまりにストレートでどぎついほど重い内容の歌詞を、シンプルなメロディーとアレンジ、素朴なボーカルで表現したため、重苦しいまでの女性っぽさは中和され、それよりも女性が持つ「中性」のイメージが、いっそう強調されることになったと、私は感じます。



 ああ、わし、理屈っぽいなあ。



 この曲が私の心を捉えたのは、まさにこの「中性感」なのです。


 男であろうが女であろうが、この歌詞の主人公とおなじぐらい激しく、深く、純粋に、人を愛したことは、誰だってあると思います。

 ない?ないの?ホンマに???


 オレはある。えっへん。

 いつだってそうだよ。毎回そうだ!!!好きになったらみんな骨まで愛するんだ!!!



 でも、やっぱり「このひとは特別だった」という女性が、いてますわな。。。

 この曲の歌詞は、そういう大恋愛をした自分自身を、思い出させ、なんか励まされているような気分にさせてくれるのです。

「あなたもこんなときあったんでしょ? 今はちょっとクサいジジイかもしれないけど、それだけ人を好きになったことがあったんなら、大丈夫、まだマトモな方よ」



 で、往々にしてですね、そういう大恋愛の記憶というのは、結構思い出すと心が痛むもんなんです。だって、ほとんど結ばれずに終わってるんだから。

 時間が経つと、だんだんとその痛みがマシになってきて、薄汚れた自分の心の中で、唯一ピカピカに磨いてある、とっても綺麗な場所に、そっとしまい込んでおくわけですな。
 その部分があるから、どんなに世の中にもまれたり、ひどい目にあったりしても、他人には恥ずかしくて見せられないようなその綺麗な部分をよりどころにして、強くなっていける、なんてなことでね。

 この歌は、そういう「自分の心の綺麗な場所」を、思い出させてくれる曲なのです、私にとって。


 音楽というのは、特に歌というのは、まさに性別さえも飛び越えてしまう。「おなじ星」を聴けば、それが本当によくわかると思います。



 この世に数ある女性の歌の中で、この曲が私にとってベスト・ワンでございます。


 最後に極めつけのフレーズを……



たとえあなたが 女に生まれていたとしても

私の心は必ずこの場所

たどりついてるわ




 ああ、こんなこと、言われてみたいなあ。。。
もうかなり前ですが、妹の結婚式で何を歌ったらいいのか、皆様にアドバイスをお願いしたことがありました。


皆様からいろんなアドバイスをいただき、誠にありがとうございました。


結局、妹の希望で、The BeatlesのLet It Beを歌いました。










 また別の機会に、この曲については書きたいと思いますが、今回はこの曲を練習しているときに経験した「イップス」について、書いてみたいと思います。



 「イップス」って、よくゴルフの世界で耳にしませんか?Wikipediaの解説が非常にわかりやすいと思いますのでリンクしておきます。
 なんでも、「精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害」のことなんだそうです。これが原因で引退に追い込まれる人もいるそうです。

 今までは何でもなかったような短い距離のパットを、なぜか外してしまった。それが原因で、同じような距離のパットが一切入らなくなる……なんていうのが典型的な症状だと思います。


 僕はまったくゴルフをしないので(他の記事にも書きましたが、運動神経ゼロです)詳しく知りませんでしたが、ハイレベルな運動選手には起こっても不思議じゃないなあ、なんて思ってました。


 でも俺ゴルフせんから、そんなもん一生関係ないわ。

 と、思ってました。

 そしたら、自分も経験したんです。このLet It Beの練習中に。




 Let It BeとかHey Judeなどは、今は知りませんが僕らの頃は、必ず音楽の教科書に載っていましたので、テレビやラジオからだけではなく、学校で歌詞から習ったことがあるような曲です。だから当然知ってるし、歌詞も何となく覚えてます。

 この2曲とも、The BeatlesではJohn Lennonと並ぶ中心メンバー、Paul McCartney(ポール・マッカートニー)の作品です。

 僕は、The Beatlesの作品の中でもやっぱりポールのが一番好きです。

ポールの曲は、なんと言ってもメロディーが美しくて、親しみやすい。
そしてポール自身も、群を抜いて素晴らしいボーカリストですから、歌い甲斐があるんですね。

素晴らしいボーカリストというのは、えてしてキーが高い。ポールも、The Beatlesの中では一番高い声域を担当していました。

彼の声の高さは、決してフレディ・マーキュリーのように華麗すぎず、ロバート・プラントのようにマッチョすぎない、人間の温かみを感じさせるものです。

パッと聴くと、あ、これ俺でも歌えるで、という気になるんですが、実際に歌ってみるととんでもなかった、なんていうことが、ポールの曲にはよくあります。


この曲Let It Beも、結構高いです。

一番高いのは、やっぱりあそこ。


サビの、

'Let it be, let it be,let it be, let it be'


と繰り返すあの部分のふたつ目の'be'です(赤字のとこ)。


高い上に、「イ」の音は僕の場合喉が締まっちゃうので、なかなかいい声になりにくいんです。余計に出にくい。

でも、確かに高いけれど、普段は全然普通に出てました。力む必要もなんにもなく、自然に出た。

これも昔は出なかったんです。ボーカルのレッスンに通うようになってから、スッと出るようになったんです。ホンマに。

だから妹にこれを歌ってくれと頼まれた時、二つ返事でOKしました。

 個人的にもすごく好きな歌で、The Beatlesのことを深く知る前から、この曲だけは好きでしたから。




 で、ある夜実家のリビングで、妹が「デキが心配やから、ちょっと試しに歌ってみてよ」と言い出した。

 あつかましいやっちゃなあ、と思いながらも、朝飯前よ、と言って、iPhoneの中に入ってるカラオケ音源に合わせて、歌い始めました。

 一発、ビビらしたろか。お兄ちゃんがどんだけうまいか。見とけ。

 でもそれ、結構夜遅かったんです。一緒にいた母親に、「あんた声デカいから、近所迷惑になるし、小さく歌ってや」と言われました。

 おうおう、わかっとる。わしを誰やと思とんねん。任しとき。

 今思えば、その一言が原因だったかもしれません……。


 ランランラ~ン。


 調子良かったのですが、あのサビの高い'Be'の直前に、あれ、何かちょっと嫌だな、出るんかなこれ、という不安がよぎりました。

 そしたら、やっぱり出ない。

 出し方がわからなくなっちゃった。

 あれ?あれ?昨日までガンガンに出てたのに、あれ????



 このLet It Beは、バージョンがいくつかあるんですが、いわゆる「青盤」(ベスト盤です)のリマスターに収録されているバージョンでは、1番と2番では、ポールのボーカルはかなりアプローチが変わっています。

 1番は優しく甘い一般にもよく知られた典型的なポールの声ですが、2番はだんだんと声が太くなり、マッチョな感じになっていきます。この辺は実際に聴いてもらわないとわからないと思いますが、特に2番のサビは、かなり太い声になっています。

 他の曲でいえば、Lady Madonnaはほぼ全編その声ですし、Yellow Submarineの間奏あけのところ、リンゴのボーカルに合いの手を入れてる声もそうです。

 まあこの人の声芸はなかなかのもんです。Oh! Darlingなどで聴ける高音のシャウトも、その代表的なもののひとつでしょう。


 僕は何だったら、ポールのその声の使い分けのニュアンスも、自分なりに再現できてたつもりでした。

 だから高音が出るかという問題はとうにクリアしてたはずだったのです。



 しかし、実家のリビングで、鼻歌みたいに何となく歌ったら、急に出し方を忘れて、それからもうずっと、どこでどんな風に歌おうが、出なくなっちゃったんです。。。



 これは焦りましたよ。Let It Beはもう自分のレパートリーに入れてましたから。バッチリやで、これ、と思ってた曲だったのに、その曲の一番肝心な部分が出ないの。

 うわ、一生俺このまま、この曲歌えへんようになるんか?

 ひょっとして他の曲でも、今歌えてるのに、ある日突然歌えへんようになるんやろうか???


 それまで屁みたいなもんだと思ってたのに、どうやっても出ない。出るとか出ない以前に、もうその部分が近づいてくると、怖くなってしまう。こうなると、もう歌うどころではありません。



 たぶんね、ゴルフのイップスも、同じような感覚だと思うんですよね。

 アマチュアの人でも、結構あるんじゃないでしょうか。



 で、どうやって克服したのか?

 正直なところ、克服できてません。

 妹の結婚式は、リハーサルスタジオを借りて何時間も個人練習をして、それでも出るときと出ないときがあるし、10回やれば6回ぐらいしかちゃんと出ない。

 それでもやるしかないので、もう車の中でもどこでも、ガンガンに練習しました。

 前日も、夜中2時までスタジオで、Let It Beだけ何回も歌ってました。

 すると、調子が悪いなりに、何となく出るようになってくる。ああ、今のこの萎縮した状態やったら、こういうふうに逃がせば、ちょっと出るようになるなあ、というのが、前日に何となくわかってきました。10回中6回が、だんだん7回、8回ぐらいになってきた。ふう、なんとかなりそう。

 それで当日、早めに式場に入って、係の方に無理を言って、僕だけリハーサルさせてもらいました。

 みんなテキパキ準備してる中で、おっさんひとりが何回もLet It Beだけを歌ってるわけで、ちょっと面白い画だったでしょうね。

 5回ぐらいやって、1回だけ出なかった。あとは、もう本番に賭けるしかない。



 本番は、バッチリでした。自分の納得できるデキではなかったですし、サビの例の部分は探りながらでしたが、一発目にちゃんと出てくれたので、後は何とか乗り切れた感じです。

 妹夫婦がめちゃ喜んでくれたので、まあよかったです。



 
 ただねえ、それ以来、Let It Beは怖くて歌えなくなってしまいまして……やっぱり克服できなかったんですね。

 2ヶ月くらい経って、ちょっと何気なしに家で、ギター弾きながら歌ってみたら、これがまたバッチリ出るんだな。でもそれも、いつでもできるとは限らない。




 今回のことでわかったのは、やっぱり自分の体を使ってやることに、「絶対」ってのはないということです。

 機械じゃないから、何の努力もせずに、いつもいつも同じことが同じレベルではできるはずがない、ということ。

 機械でも故障するときあるんですから。

 それと、自分の体のしくみっていうのは、実は全然自分自身でわかってない、ってことも気付きました。

 ランララ~ンって歌っているとき、この筋肉をこうやってこの音を出して、んでここで共鳴したやつが外に出て行って……なんて、いちいち考えてる人いないでしょうけど、でも折に触れて、どういうメカニズムで自分の声が出て、どういうときにうまくいって、どういうときに失敗しやすいか、できることの限界はこれで、できないことはこれで……なんてことを、意識しながらやっていくことが、非常に大事なんだなあということが、勉強になりましたね。

 んで、調子の悪いときの対処法も、身につけとかないといけないということも。



 一言で言えば、「己を知る」ってことでしょうか。

 何でも一緒ですね。最終的には。


 妹が結婚してくれたおかげで、いろんなことが勉強になりました。ありがとう。幸せになってね。





あっ!!お母ちゃん!!??




「コラコラっっ!! 歌のことはどうでもええねん!!!  おまえはいつ結婚すんねんっっっ!!!」


 どうもすみません。。。