『法然上人のご往生』 | 浄土宗長福寺のブログ

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埼玉県深谷市の浄土宗長福寺のブログです。おもに『今月の言葉』を毎月1日に公開します。

今月は、浄土宗をお開きになられた法然上人のご往生の時のお話をしたいと思います。

 

法然上人の御法語に

廿五日の午の刻(中略)年来(ねんらい)所持の慈覚大師の九条の袈裟を(ちゃく)し、頭北面西にふし給う。門弟等申して曰く、只今まで端座(たんざ)念仏し給えるに、命終の時に至りて()し給う事いかが。

 上人微笑(みしょう)して曰く、我れ今此の故を述べんと思う。汝等よく問えり、われ身を娑婆に宿す事は、浄土の経路をひらかんがため、今、(たましい)を極楽にかえす事は、往生の()(しん)をしめさんがためなり。我もし端座せば人定めて是れを学ばんか。若し然らば病の身、起居(ききょ)(たやす)からじ、おそらくは正念を失いてん。此の義をもっての故に、我れ今平臥せり。端座叶わざるにあらず。本師釈尊すでに頭北面西にして滅を唱え給う、是れまた衆生のためなり。我れいかでか釈尊まさるべきと。

【御臨終の時門弟等に示される御詞 其七・昭法全725】

 

訳:(建暦二年正月)二十五日の正午ごろ、法然上人は長年所持されてきた慈覚大師(円仁)の九条の御袈裟をお着けになり、頭を北に、顔を西に向けて横になられました。弟子たちが「たった今まで行儀正しく座ってお念仏をお称えになっていたのに、いよいよ臨終を迎えて横になるというのはいかがされたのでしょうか」と申し上げると、上人は微笑みながらおっしゃいました。

「今、そのわけを話しましょう。そなたたち、よく尋ねられた。私がこの身を娑婆に宿したのは、浄土往生のための道を説き明かすためでした。今、魂を極楽浄土へと帰すのは、往生する実際手本を示すためなのです。もし私が座ったまま往生したならば、皆が必ずそれに学ぼうとするのではないでしょうか。もしそうであるなら、病の身を起こすのは容易でないばかりか、おそらく往生を願う気持ちなどどこかへ行ってしまうでしょう。こうしたわけで、私は今、横になったのであって、座れないわけではないのです。わが仏教の開祖、お釈迦さまも、やはり頭北面西でご入滅なされましたが、それもまた衆生の手本とするためだったのです。どうして私がお釈迦さまより勝れた手本を示せましょうか」。

【法然上人のご法語③ 対話編 314P 浄土宗出版局】

 

 法然上人は、建暦二年一月二十五日にご往生なされました。その時のご様子を今月はあげさせていただきました。

 法然上人も、晩年は耳が遠くなり、大きな声でお念仏をお称えすることも難しくなりました。しかし、ご往生される少し前から、まるで壮年のようにはっきりと話をし、声大きくお念仏をお称えしていました。そして、ご往生の日もきちんとお座りになられていました。しかし、その時を迎え、慈覚大師由来の九条の袈裟をお付けになられると床に横になられました。

 弟子がその理由を尋ねると法然上人は、自身はもともと極楽浄土にいましたが、念仏往生、極楽往生の教えを伝え広めるために、この世にお生まれになられたことを明かされました。そして、お釈迦様と同じく横になったうえで最期を迎えるのは、もし座って往生したらその後の人々はそれを真似し、横になることが出来なくなってしまう。また、お釈迦様より勝れた手本を見せることはできないから、お釈迦様と同じようにご往生するのだと教えられました。

 どんな人でもお念仏によって極楽往生できるという教えを広められた法然上人は、最後の時も人々の手本となるようとお考えになられていました。お釈迦様と同じように、最後までそのお姿で私たちに教えを残されたのです。

合掌