『忙しい時にこそのお念仏と自分の生活を見つめ直して』 | 浄土宗長福寺のブログ

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埼玉県深谷市の浄土宗長福寺のブログです。おもに『今月の言葉』を毎月1日に公開します。

 新年おめでとうございます。昨年は、新型コロナウイルスが収束しました。そして、以前の社会生活が戻ってきたことはありがたいことです。それと同時に、コロナの時は、最低限必要なことだけしかできませんでしたので、以前に戻り、本当にそれが必要なのかと思われることが多かったことに気付かされます。『断捨離』という言葉が流行したこともありますが、自分に何か必要なのか今一度考えなおすのには良い機会なのかもしれません。

 

 さて、今月は、そんな忙しい私たちの生活の中でのお念仏について、宗祖法然上人のお言葉を見ていきましょう。

 

法然上人の御法語に

世間のいとなみひまなければこそ、念仏の行をば修すべけれ。そのゆえは、男女貴賤、行住坐臥をえらばず、時処諸縁を論ぜず、これを修するにかたしとせず。乃至臨終にも、その便宜をえたる事、念仏にはしかずといえり。余の行は、ま事に世間忩忩(そうそう)の中にしては修しがたし。念仏の行にかぎりては、在家出家をえらばす、有智無智をいわず、称念するにたよりあり、世間の事にさえられて、念仏往生をとげざるべからず。

【念仏往生義・昭法全690】

 

訳:世間の営みに追われて忙しい毎日だからこそ、お念仏を称えるべきなのです。なぜなら「念仏は、男性も女性も、身分の高い者もそうでない者も、歩いていても止まっていても、座っていても横になっていても、そうしたことに制約などされない。また、時や場所、さまざまな状況に左右されることもない。念仏を称えるのに憚りなどないのである。この先臨終に至るまで、往生の頼りとするには念仏以上のものはない」と言われているからです。お念仏以外の行は、あわただしい世間の営みの中では実に修し難いものです。ただお念仏一行のみが、在家と出家をへだてることなく、智慧ある者もなき者も問うことなく、称えれば往生の功徳が得られるのです。ですから、世間の雑事に追われるからといって念仏往生を遂げ損ねることなどあってはなりません。

【法然上人のご法語③ 対話編 115P 浄土宗出版局】

 

 今年は、また様々なことが復活してくると思われます。昨年よりも、皆様もお忙しくなってくると思います。その中でも、法然上人の示されたようにお念仏を怠ってはいけません。忙しい時であるからこそ、どこでも、どんな時でもできるお念仏を大事に思い、お称えすることが重要なのです。

 まずは、皆様のご健康が第一です。新型コロナの時と同様に、ご自身の体調に気を配り、無理をしないようにしましょう。そのうえで、自分にとって、家族にとって大事なことはなんであるかを考えながら、アフターコロナの生活を再構築していきましょう。

合掌