『阿弥陀さまを信じて、お称えすること』 | 浄土宗長福寺のブログ

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埼玉県深谷市の浄土宗長福寺のブログです。おもに『今月の言葉』を毎月1日に公開します。

 私たちが、極楽往生するためには、阿弥陀様の誓願を信じて、『南無阿弥陀仏』をお称えすることが大事であります。では、阿弥陀様を信じることが大事なのか、お念仏をお称えすることが大事なのか、どちらが一番大事なのかと檀家さんから聞かれました。今月は、法然上人のお言葉から、その部分を見てみましょう。

 

 

法然上人の御法語に

上人つねに人々にもむかいて唱え給える文に云わく、仏阿難に告げたまわく、汝好く是の語を持て、是の語を持てとは、即ち是無量寿仏の名を持てとなりと。云々。上人かたり給える詞には、名号をきくというとも、信ぜず聞かざるが如し。たとえ信ずと云うとも、唱えずば信ぜざるが如し。只つねに念仏すべしと。

【常に仰せられける御詞 其二・昭法全490】

 

訳:法然上人が常々人々に向かって読み上げていらっしゃった経文の中に、『観無量寿経』の「仏は阿難に告げられた。『汝、よくよくこのみ名を胸に刻み、後の世に伝えなさい。つまり、無量寿経のみ名を記憶して、伝えるのである。』と」という一節がありました。そして上人は「阿弥陀さまのお名号を聞くとしても、念仏往生を信じなければ聞かないのと同じことです。たとえ信じるといっても、お念仏を称えなければ信じていないも同然です。ただいつもお念仏と称えなさい」と語り聞かせていらっしゃいました。

【法然上人のご法語② 法語類編 177P 浄土宗出版局】

 

 阿弥陀さまを信じることとお念仏をお称えすることは、極楽往生のための両輪です。誰もが極楽往生できる教え、お誓いを建てられた阿弥陀様のお話を聞こうとも、それを信じなければ、聞いていないのと変わりません。もし、信じたとしても、そのお誓いであるお念仏をお称えしないのであれば、それは信じていないのと変わりません。

 お念仏は、一度称えればよいというものではありません。阿弥陀様の教え、お誓いを信じて、お念仏を何度も、毎日お称えするのです。始めは、阿弥陀様の教え、お誓いを信じられなかったとしても、お念仏をお称えしていれば、自然と信じる心が備わってきます。始めに、阿弥陀様の教え、お誓いを信じようと思ったならば、これも自然とお念仏となり、日々口にお名号が出てまいるようになります。

 つまり、信じる心とお念仏は、私たちの極楽往生のための両輪となり、相互によく作用してくれるのです。どちらが、一番大事ではありません。共に大事であり、私たちを導いてくれるものと思い、阿弥陀さまと向かい、お念仏をお称えすることが大事なのです。

合掌