『お念仏を信じて、称えるということ』 | 浄土宗長福寺のブログ

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埼玉県深谷市の浄土宗長福寺のブログです。おもに『今月の言葉』を毎月1日に公開します。

 今月は、極楽往生のためにお念仏をお称えするときの心構え、お念仏を信じるということについて、法然上人のお言葉を見ていきたいと思います。

 

 法然上人の御法語に

一念を不定(ふじょう)におもうものは、念々の念仏ごとに不信の念仏になるなり。そのゆえは、阿弥陀仏は、一念に一度の往生をあれおき給える願なれば、念々ごとに往生の業となるなり。

【禅勝房にしめす御詞・昭法全464】

 

訳:「わずか一遍の念仏ぐらいでは往生などおぼつかない」と思う者は、称えるお念仏の一遍一遍が不信のお念仏になってしまうことでしょう。なぜなら、阿弥陀さまが、一遍称えるお念仏に一度の往生を叶える功徳を込めて建てられた本願なのですから、一遍一遍のお念仏ごとが往生を叶えるはたらきとなるのです。

【法然上人のご法語② 法語類編 192P 浄土宗出版局】

 

 阿弥陀さまの浄土であります極楽浄土に往生することを願うのであれば、阿弥陀さまがお建てになられた本願である、お念仏(南無阿弥陀仏)をお称えすれば、一遍でも必ず救い取るということを心から信じなければなりません。

 他の仏さまの教えに比べると、簡単に思えてしまうかもしれません。しかし、これは、阿弥陀さまが誰でも救い取ろう、阿弥陀さまを信じ、極楽往生を願うものを残らず救い取ろうという大悲願によるものなのです。

 私たちは、時にこんなに簡単なお念仏で本当に往生できるのかと思ってしまうかもしれません。その時は、阿弥陀さまがお誓いになられた『本願』でお念仏をお称えすよう勧められているのだからと、心を励まして、お念仏に励まれることを願っております。

合掌