二月にわたり、善導寺ご消息をみてまいりました。今月は少し目線を変えたいと思います。法然上人に教えを請い、熱心にお念仏と称えた人は多くおりますが、中でも特徴的な津戸の三郎為守、僧名を尊願という方について、お話ししたいと思います。
為守は、武蔵野国の御家人でした。源頼朝公に従い、各地で働きました。建久六年、東大寺再建の落慶供養のため、頼朝公が京都に上洛、その折、為守は法然上人の庵室を訪れ、教えを請いました。そして、その後は一心にお念仏を称えることを第一に生きていくのです。
為守の信心、お念仏を称える姿は素晴らしく、法然上人より、「こんなにまで深くお思いになっていることは、この世だけの因縁ではありません、先の世の深い約束事であると思えば、喜ばしく存じます。このたびは必ず極楽に共に生まれ合いましょう。私が常に持っている数珠を差し上げます。お念仏を怠らずお勤めなさいませ(要点を取り引用)」との手紙を送られ、戒を受けるための本とその説明書き、袈裟と『尊願』という僧名を授けられました。
この当時、出家には鎌倉幕府の許可が必要であったため、許可が下りず、正式な僧侶ではありませんでしたが、晩年は袈裟を着け、お念仏に励みました。
法然上人がお亡くなりになり、極楽へ往生されたのちは、為守は日々のこの世での生活がいとわしく、早く極楽へ往生したいと思うようになりました。そして、仁治三年十月、特別にお念仏の称える法要をした夜、自身の腹を切り、五臓六腑を切り、それを捨ててしまいました。しかし、亡くなることはなく、水で身を清め、うがいをする程度で、お念仏の声はより高まりました。年が明けても心身に苦痛なく、正月十三日、夢に法然上人が現れ、来る十五日に極楽に迎えるといわれました。そして、十五日、法然上人から頂いた袈裟や数珠を着け、姿勢を正し、お念仏を称えながら、正午に息を引き取りました。この時、紫の雲がたなびいたといいます。
さて、これは自害往生となります。法然上人も「生きている間は念仏の功徳を積み、死ねば往生を疑わない。いずれにしてもこの身には、思い煩うことはないと心得て、心を込めて念仏して、生涯をまっとうせよ」と説かれております。先の二祖聖光上人も、この為守の話をお聞きになり、自害往生や焼身往生は決してしてはならない、法然上人のお言葉通り、頂いた命尽きるまでお念仏を称えるべきだと示されました。
為守の話は、法然上人行状絵図に記されております。これは、自害による往生は決して良いものではありませんが、それでも当時、法然上人を信じ、お念仏を一心に称え続けた為守の生き方はお念仏者の一つの形であると思われたために記されたと思います。
合掌