管理職がよく口にした言葉は「組織論」と言うものでした。集団がある限り、組織で動くのは当然です。そしてそのトップに立つ者が的確な指示と人間力で組織を成長させます。
しかし大切なのは、そのトップがいかに「信頼」というフィードバックがあるかだと思うのです。所謂「トップダウン」は、ボトムアップが完成された組織に通用するものではないでしょうか?
そうでない「トップダウン」は、単なる「パワハラ」に過ぎません。部活も然りです。昭和の時代、ただ只管顧問の言うことを聞かざるを得なかった時代でした。しかし今は、「根性」だけに頼っていたチーム作りは通用しなくなっています。
今夏甲子園で優勝した仙台育英高校の須江監督は、コロナ禍の中あらゆる手段を通して選手たちとコミニュケーションを取ったと聞いています。
ミートによるチームミーティングでは大会が中止となった一人一人の心情を聞き取り、選抜大会に出場出来なかった東北のチームだけで特別な大会も企画していました。
そういった活動を通じて選手たちから多くの「信頼」というフィードバックを得たものだと思います。その上での全国優勝、そして優勝スピーチでの全高校生に対するエールにつながったのです。
組織をまとめるとは、かくあるべきだと教えてもらいました。残念ながら、私の出会ったトップはそんな力量を持った人物は少なかったように思います。
話が逸れてしまいました。本校の顧問はまさにボトムアップからチームを作っていく理想的な指導者だったと思います。彼が生徒に対してよく口にする言葉は、「すごいね!」というものでした。
それは部活に留まらず、学校生活に於いてクラス、学年、全校生徒に対してもでした。つまり彼は、それぞれの「良さ」を見抜く天才だったのだと思います。
そんな彼も管理職は、あまり評価していませんでした。私たちには年数が経てば「異動」というルールがあります。しかし、組織にとって大切な存在だと思えば多少無理をしてもそのルールを曲げて学校に残すという管理職もいます。(以前に紹介した校長は、私を6年というルールからさらに3年伸ばしました。)
私が赴任した年に彼は年限通りの異動を言い渡されていました。(たぶん学校長は、「今はそんな時代ではない」と言いたかったんでしょうが、残念ながら、その言葉も信頼のフィードバックがなされていない中では、俄に信用出来ませんでした。)
つまり、2年後にはこの学校を離れてなくてはいけません。となればここまで育った野球部は誰が担当するのだろうか?同市内では顧問を固辞するという覚悟が揺らぎました。それは、すでに私がこの子たちのファンになっていたからです。
(感謝27に続く)