顧問の指導のもと、部員たちは様々な活動に取り組んでいました。まずは挨拶。目上の方には必ず目を見て立ち止まって挨拶する。それはどんな場面でもでした。
「徹底」。言葉では簡単ですが、やることの意味がわかってなければ、ただただやらされているということになります。そしてそれは、必ず崩壊してくものです。しかし彼らは違いました。そこには単なる習慣だけではないポリシーを感じました。
思えば数年前、この学校に赴任して来たばかりの顧問は部員数激減に苦労していました。前任校では華やかな戦績を収めていた顧問も、部員がいなければ結果は出ません。
たぶんその時点で彼は原点回帰をしたのだと思います。それは「野球は楽しいスポーツ」だということ。数年前のある日、市内の飲食店で見つけたポスターは、この学校野球部お手製の「野球をやろう!」というものでした。(この活動はまだ続いていました。)
そこには、野球というスポーツの魅力と中学に入ったら一緒にやろうという「熱意」が書かれていました。
徐々に部員数も増えていったようですが、中学から野球を始めた子もかなり多く、試合前の練習を見ても、一つ一つの動作を顧問が丁寧に指導していたのを覚えています。そして彼らと顧問の顧問の顔には笑顔が溢れていました。
そして数年が経ち、心まで整った彼らの挨拶を見て、一瞬にして彼らと野球部のファンになりました。余談ですが、ポスターを貼る場所は、野球部員が自らお店と交渉していたと顧問から聞きました。
「野球部とは関わらない」それは指導という意味です。ファンとして応援することは憚らない。前任校とこの学校の試合には、必ず応援に行きました。
顧問から教わったのは野球部指導だけではありません。生徒に対するアプローチも然りです。子供が何を欲しているのか、そしてどう言葉掛けをすれば良いのか、彼は瞬時に判断し適切な対応をしていました。
彼の担当するクラスも、また心の整った生徒の集団でしたし、その輪は学年全体にも浸透していたように思います。
この学校で学び、最後の教員生活をさせてもらえることに感謝の気持ちでいっぱいになりました。と同時に、マイナスの気持ちでこの学校に来た自分を恥じました。
ただ、この学校の管理職も人を見抜き、育てる能力に欠けていたのです。
(感謝26に続く)