この子たちが顧問の指導を受けられるのはあと2年しかありません。しかしそれはその子にとって大きな財産になるかもしれないのです。
2年目に私は正式に野球部の副顧問となりました。少しでも顧問から学び、子供たちのサポートをしたいと考えたのと同時に、ある若者の存在もその理由の一つでした。
その若者は大学三年生。高校まである名門校で野球をし、塾講師のアルバイトをしながら地域小学生野球団の指導もやっていました。
彼は野球部顧問の指導法に感銘し、是非野球部のお手伝いをさせて欲しいと、前年の冬から同野球部を手伝っていました。「学びの場」を見つけた彼は、顧問の一挙手一投足を見逃すまいと必死にグランドに出ていました。
そして目指す指導者像を顧問に見出していたのです。「人は人を呼ぶ」。まさにその言葉通り。
求めるものにしか与えられない「答え」を、彼は顧問に見つけたのだと思います。
指導者を目指して教員になろうとする若者は沢山います。しかし世の中は、その志を奪う方向に進んでいます。現場を知らない者たちが理想論だけで「夢」を奪っていく現実にうんざりします。
1年後は彼も大学4年生になります。採用試験の準備やら本番の受験、忙しくはなると思いましたが、私にとって顧問が抜けた後、彼の負担をなるべく少なくしながらも、野球部指導を一緒にやりたいと考えていましたし、何より子供たちにとって大きな存在がいなくなっても野球を続けてもらうためには必要不可欠な存在だと思いました。
その彼の存在と、残された時間の中で前顧問から少しでも学びたいと思う心が私をもう一度グランドに戻すきっかけでもありました。
しかし、コロナは顧問と子供たちの最後の大会も奪ってしまったのです。顧問と苦楽を共にした3年生部員の最後の試合は、エキジビションマッチの一試合で終わってしまいました。
それでも試合終了後、みんなで撮った記念写真は「笑顔」に包まれ、「感謝」の文字が背景に映るかのようでした。
(感謝28に続く)