厳しい冬の練習を経て、最後の夏は3回戦で優勝候補のチームを延長で破り、準々決勝では常勝軍団との延長戦。惜しくもベスト4を逃しましたが、多摩大会には進出する事が出来ました。
このチームのお別れ会で、私は不覚にも号泣してしまいました。この子たちの頑張りが走馬灯の様に駆け巡ったのもありましたが、一番の理由は、任期があと半年と迫った若者が彼らに対するスピーチを聞いたからです。
教員を目指す若者が右も左もわからない状況から始まったにもかかわらず、半年あまりでここまで一人一人に対する思いを自分の言葉で話すようになるとは、、、。
自分の立ち位置や役割も前任校からわかっていたのですが、この日を境にそれがはっきりしました。それは次世代の人たちのサポートをするという事です。
彼の任期が終わるまでは、彼を中心に野球部を運営してもらい自分はサポートに回るようにしました。そして任期も終了も間近になった時期に、病気療養中だった教員の復帰がさらに伸びることになり、それに応じて彼の任期も延長となりました。
その後何年かは、採用試験にチャレンジしながら職務を担当する日々が続きました。今と違ってまだまだ狭き門だった採用試験に合格するのは難しいものでした。(それは今も同じ、簡単に合格出来るものではないのも事実です。)
全てが順調にあったわけではありません。仕事や部活に慣れが出てくると、生徒とのコミュニケーション不足に陥ってしまうこともあります。(言わなくてもわかるだろ?って勝手に思い込んでしまい、自分の思いだけで突っ走ってしまうこと。私にも多々経験がありました。)
そのことで生徒や保護者の方と溝が出来てしまったのも否めません。ただそれは私の責任でもあると深く反省しています。
その彼も採用試験に合格。同市内で教師として働いています。副顧問として野球部にも関わっていますが、たぶんあの時の自分を顧みて生徒へのサポートをしていると思います。
出会いとは不思議なもので、彼の合格が決まったら次の顧問はどうすれば良いか考えていた頃、2人の素晴らしい先生に出会いました。
一人は新卒で採用された教員です。少年時代から野球をやっていたのですが、担当となったのはサッカー部でした。彼を何とか野球部にと思っていました。
もう一人は、ご自身は大学まで野球をやられ球歴も輝かしい方なのですが、ご家庭の事情で顧問を固辞されていました。
子供たちにとっても出会は人生な大きなインパクトを与えるものです。私は何としてもこの二人に野球を指導してもらいたいと思っていました。そこで野球部指導を固辞されていた先生に「週1回か2回、放課後の空いている時間で構いません。専門である投手の練習を見てもらえませんか?」とお願いしてみました。
(感謝23に続く)
番外編
今年の夏は、東京都中体連野球部に関わる人たちにとって大きなニュースが舞い込んできました。全中で駿台学園中、全日本少年野球大会で江戸川区立上一色中の東京ダブル日本一です。
試合速報が応援に行かれた先生によって詳しくメールで配信され、オール東京で応援していました。顧問の先生の人間性に魅力を感じた多くの教員の声援が集まっていた証拠です。(末席ながら私もドキドキしてメールを見ていました。)
この場ではありますが、お祝いを申し上げたいと思います。何より日々生徒と対峙しながら世の中の動きに悩み苦しんでいる若き指導者たちの光になったと喜んでいます。
思えば、甲子園で東北に初優勝をもたらした仙台育英の須江監督も系列の中学校野球部の監督として全国制覇を経験されています。その先生が「青春は密なんです。(中略)全国の高校生に拍手してください。」とインタビューでお話しされたのも記憶に新しいものです。
高校生という言葉には、野球部だけなく他の部活の子供たちへのエールも含まれています。上一色中の先生も自分のチームだけではなく東京都の全中学野球部員のことを考え、大会を運営したり練習会や講習会の企画をなされていました。
子供たちにとって出会いの大切を痛感します。日本一ほんとうにおめでとうございます。そしてありがとうございました。