フルーティストの原嶋由紀です。
1つ前のブログの続きです。
12月26日から1月6日まで久しぶりにヨーロッパに行ってまいりました。
一晩飛行機の中で過ごし7日に帰国。
感じたことを言語化しておきたいな、と思いつつあっという間に2週間近く過ぎてしまいました。
感じたこと。まず一つ目。
そして、そのスペースの広さで摩擦が少ない、ということが、人と人との距離感や、心のあり方にも大きく関わっている。
これは、ホント、毎回強く感じます。
↑写真はドレスデン。
この街は、前のブログにも書きましたが、第二次世界大戦で爆撃を受け、焼け野原になり、そして、1990年まで東ドイツでした。
今の若い子たちは、東ドイツとかソ連とか言ってもわかんないのかな?
今月16歳を迎えたうちの娘は、このことに興味津々で、中学を卒業するとき、その辺りのことをすごく調べて、卒業研究として発表しました。
東ドイツについて興味を持った方は是非調べてみてください。
書き始めると脱線しすぎて戻ってこられないので、ここでおしまいにします😅
前後45年東ドイツだったので、広いスペースが広いまま残されていて、他のドイツの都市、ベルリンやフランクフルト、デュッセルドルフetcよりも、スペースの広さと、自分のあり方の変化を強く感じることができます。
早くから西側の資本が入っていたら、パリの凱旋門の周りを車がビュンビュン走るように、広いスペースも道路になっていたかもしれないけれど、21世に近くになって開いた場所なので、街の趣を活かしたまま修復されていることに感謝です。
日本の中でも東京は特別かもしれないけれど、すぐ来るし、正確なので、みんなそれに頼っていて、あって当たり前。数分遅れると、影響大。
でも、あちらでは、駆け込み乗車なんかしてる人はいないです。(まぁ、ゼロではないかもしれないけど)
駆け込み乗車って、なんとしてもこれに乗らねば!という気持ちから生まれるんだと思うけど、数分後には電車が来る東京ではたくさんの人が走ってて、もっともっと電車が少ない国で走っている人がいないんだよね。
恐らく、時間感覚が違って、1分2分の差で何かを考えてない。
多少電車やバスが遅れたら待てばいい。
東京で生活していると、「待つ」という選択肢があることを忘れがち。
「待つ」が選択肢にあると、他の人に何かを求めることが少なくなって、不必要な摩擦が減っていくような気がします。
民間スーパーの一部に公共の交通機関のバス停や、自転車置き場があるのって、予算はどんなふうになってるのかなー、とか思ったりしちゃって。屋根がしっかりしてるから待つのが楽になりますね。
こんなところにも「なにかあったらちょっと待つ」がしやすい環境、待つのが当たり前みたいな感じがあります。(もちろん他の側面もね。)
言葉は全て基本的にiMessage
文法的な理由から、何か話すときには主語がハッキリしています。
私は◯◯したい。
私は◯◯だとおもう。
私はあなたに質問してもいいですか?
あなたはドイツ語が話せますか?
etc.
スーパーの店員さんにちょっとのことを聞くだけでも、訊いてもいいですか?いいですよ。から会話が始まるので(時々ダメですって言われます😅)答えてくれないとか、わかりにくいとか、あんまりないです。
もしかして、訊いてもいいですか?言わずに質問しちゃうと、答えてくれなくて、結果、接客態度が悪い、とか言いたくなることも。
ちゃんと喋ってるとちゃんと伝わります。
だから、私、ドイツ語が上手になりたかったんだなぁ、と思います。
あと語学マニアで、この前置詞のときはこう変化するとか、けっこーすきで、間違えるときになるので、帰国して20年経っても通訳できるくらい上達いたしました♡
余談ですが、何かと無駄話が多いです。
今回一番面白かったのは、空港で
「皆さん有効なパスポートお持ちですか?」
と訊かれる
「はい。」
と答えた後に
「もしこれ無効だったら!?!?」
と私が呟いて、空港の人苦笑する。
パスポートが有効かって、質問が当たり前すぎて、無効だったら日本出国できてないからーと笑えてしまって思わず私が呟き、一緒に笑いました。
楽しかったよ。
時間や場所に余裕があって、人との距離か保ちやすい環境でありながら、そんな、ちいさなコミュニケーションもあるのが、私は好きです。
時々こっちがドイツ語話してるのに英語でまくしたてる意地悪な人もいるけどね。
私は、日頃、人との距離が近くなりすぎて疲れちゃったり、時間に追われたりしてしまうのですが、ヨーロッパ にいると、休暇中である、という条件ではあるけれど、人との距離が保ちやすかったり、急ぐことが少なくて済んだりして。
でも、これって環境だけのせいではなく、自分自身の心持ちでもあるので、日本で仕事をしていても同じ気持ちでいるためには、どんな自分でいたらいいかしら?ということ。
忘れずにいようと思います。
最後にもう一つ。
師匠に博士論文を書け、と言われ、びっくりしました。
そんなこと?いまから?
できるわけない、と考えること、自分に対する制限だったんだ。
私、自分にそんな制限をしていたんだ、気づかされた一言でした。
博士論文、というと、色々条件があるけれど、何をするかというと、私の考えていることを、私のことを知らない人にも言語化して伝えていくこと、だと思うのです。
伝えられる人に伝える、というスタンスよりも、もっと広い世界を見て、日頃考えていることを伝えてもいいのかも?
そのくらい価値のあることを私は知っているし考えているのかも???
翻訳の仕事をするときにお世話になる方に、先生にそんなこと言われたんですーと思い切って話してみると、それはとてもいいことじゃないですか?と言ってくださいました。
先生自身もオーケストラを退職してから博士論文を書いていて。
今すぐじゃないないかもしれないし、博士論文、という形ではないかもしれない。
日本でやるんじゃなくてドイツでやってもいいのかも!?!?!?
どうなるのか、できるのか、できないのか全然わかんないけど。
そんなのできない、と思うことなく、目の前のことに丁寧に取り組んでいこうと、喝を入れられた気分です。
旅行記一旦ここで締めくくりです。
上下4本ずつの前歯が生え揃って、身長が120センチを超えた頃から指導いたします。
レッスンスタートのゴールデンエイジは、小学校中高学年、中高生だと思います。
大人の方は、今お持ちのフルートを体験レッスンにご持参くださいね!