終戦の年
1945年
昭和でいうと、昭和20年。

この年は、私の父親が生まれた年です。
77年前。
そのためか、すんなり、かつ、しっかり覚えています。

父は1945年3月に
満洲(現 中国の北東部)で生まれました。
戸籍の出生地が、満洲国〇〇市となっています。
手書きの戸籍は「満洲国」
コンピュータ化された戸籍は「満州国」。

終戦前に生まれた年代の方は、満州生まれの方が結構いらっしゃるのではないでしょうか。
私の夫の父、義父も偶然にも満州生まれでした。

満州国やその歴史について、私はまだまだ勉強不足のため、間違ったことを語ってはいけないので書きません。

ただ、私のルーツはそこにあるのだなぁと終戦記念日は感慨深いのです。

山崎豊子さんの「大地の子」
を読んでからは、いっそう、父の両親(私の祖父母)に対する思いは強くなりました。
終戦後の混乱期、生まれたばかりの赤ん坊の父を連れて、よく日本に帰れたなぁと、感謝や尊敬の感情などが入り混じります。

大地の子では、主人公は中国人夫婦に育てられました。
今はあまりメディアでも聞かなくなりましたが、戦後の混乱期に日本に帰れなかった日本人の子どもたちは、中国の養父母に育てられ、「中国残留孤児」と呼ばれました。
その後、何十年も経って日本に肉親を探しに来たのでした。

父や義父も、中国に取り残され、残留孤児となった可能性があったのです。
その場合、私や夫は存在しない世界となっていたでしょう…。
不思議な感じです。

そして、日本人の子どもを育ててくれた中国人の方々にも、尊敬と感謝を申し上げます。
戦争は戦争、残された子どもがいたら養育する…というところなのでしょうか。

厚生労働省のHPによると、中国残留孤児を含め、やむなく中国に残った方々を「中国残留邦人」といい、様々な援護が行われているようです。

父も、祖父母もすでに他界しています。
私は父に生前、満州生まれのことについて話したことが数回あります。
母たち(祖父母のこと)に感謝していると言っていました。
そして、祖父は満州で鉄道関係の職に就いていたと教えてくれました。

戦中、戦後の時代の人々の苦労は計り知れません。不自由なく豊かな日本で育ててもらった私の想像力では及ばないでしょう。

原爆投下の日と終戦記念日と、黙祷をしてその時代を生きた、無念の死を遂げた方々や父たちを想います。
世界中がずっと平和であってほしいです…。