そしてそれに伴って
より深く自省することが増えた。
(本当に効果があるとは聞いてはいたが、前準備の段階でコレは中々に衝撃的…本当にメンタルやられる)
友人や自分と関わってくれる人というものはほんとうに宝だと思う。
思えば色々とアドバイスをくれたりしたのに
物分りの悪い自分は的外れな形でしかそのアドバイスをいかせていなかった事が多かった。
自分というものは本当に捉えにくいものである。
そしてそれ故に我が強くて、凝り固まってしまうとこらがあるように思う。
自分では我を張っているつもりがなくても
結果的または第三者的にそう感じられるのであれば、それは良くない。
優しく賢い友人があれこれと教えてくれるアドバイスを聞いても、それを心から理解するには
先ずは自分というものを良く見つめて理解しなければならない。
しかし自分を見つめるには勇気が必要だし、痛みが伴う。
残念ながら自分は表面的な理解だけでは行動に落とし込むことは出来ない。
もっと他人にペースをあわせて、「待つ」ことを学ばなければならい。
自分はいつからこんなに「待つ」ことが出来なくなったのだろうか。それを考えると、やはり子供の頃の経験や記憶が深く根強く残っているということに気がつく。
父も父方の祖母も「早く」行動を起こすことを重視する人であった。特に祖母は先んずれば人を制すという言葉が好きだったように思う。確かにそれはそうである。
しかしそれを伝えるには私の家庭はあまりに不器用だった。少しでも遅れると鉄拳制裁か飛んできた。
だから他人の行動を先読みし、どのような行動をとることが一番最適であるのかを考えるようになった。
また、沈黙と空白の時間は自分を弁明するために与えられた貴重な時間であった。だからできる限りの弁明を考えたり、「大人同士が言い争ったり」しないように彼らの人間か系の修復を考えたりと心を砕いたつもりであった。
それらの行動は最初は上手くいっていたが、気がつくと過剰になっていた。それは自覚していたがどうにもとまらない不安があった。
精神を落ち着かせるために色々なことをして、一時的に収まったりもした。でも私はそんな自分が本当に嫌いだったし、今も好きではない。
だから私は自分でも自覚できるくらいのアスペルガー気質の行動に自分を落とし込んでいった。
それが心地よかったし、安全であったのである。
…本当はそれこそが自分にとってのアパテイアであると私は信仰していた。
日本は家庭内のことに外部は良くも悪くも口を出さない。だから自分を守れるのはいつも自分だけだった。
自分が属している家族から見限られたり、彼らがいなくなったらどうするか?という恐怖から私は小学校低学年の時に自分で口座を作りに行った。
おかしな話だが、周りの大人からはおかしな行動が疑われないようにと子供なりの浅知恵でもって…「友達の⚫⚫が銀行口座を持っている。羨ましいなあ」と言い訳を使ったりして保護者を伴って銀行口座を作りに行ったのを覚えている。
自分は何に怯えてそんな言い訳をしたのだろうか。
…答えはわかっている。しかしそれを確実なる言葉にすることは痛みが伴う。
私はその痛みに対して、サイコパスなのでそうやって自分を保護してくれてる大人たちを貶めるような考えをする自分が邪悪であると認識する。
そこまでして守るべきものは何であるのか…
私はずっとそれを考えてきた。
小学校の高学年の時に私を救ってくれたのはマルクス・アウレリウス・アントニヌスの「失うことを恐れるな」という言葉だった。簡単に言うと中二病と言うやつである。
そしてそんな私に対して「未来を思い煩うな」で始まる言葉を私に贈ってくれた恩師のことはずっと大切に想っている。
思えば、私は若い頃…マルクス・アウレリウス・アントニヌスと共に話して生きてきたように思う。
多分、だからこそ今もまた彼と話をするべきなのかもしれない。残念ながら「自省録」は引越しの時に捨ててしまった。
今度は電子版でも購入しようかと思う。