欠けた月 -8ページ目

欠けた月

とある占いによると月は心を現すといいます。
私の月は欠けた月。押しつぶされた月。

そんな脆弱さから出てくる無意味な言葉の羅列。あるいは叫び。あるいはメモがわり。

つまりは狂人の妄想
多分…

昨日から本格的に「とあること」を初めるための準備をしている。

そしてそれに伴って
より深く自省することが増えた。
(本当に効果があるとは聞いてはいたが、前準備の段階でコレは中々に衝撃的…本当にメンタルやられる)

友人や自分と関わってくれる人というものはほんとうに宝だと思う。
思えば色々とアドバイスをくれたりしたのに
物分りの悪い自分は的外れな形でしかそのアドバイスをいかせていなかった事が多かった。

自分というものは本当に捉えにくいものである。
そしてそれ故に我が強くて、凝り固まってしまうとこらがあるように思う。

自分では我を張っているつもりがなくても
結果的または第三者的にそう感じられるのであれば、それは良くない。

優しく賢い友人があれこれと教えてくれるアドバイスを聞いても、それを心から理解するには
先ずは自分というものを良く見つめて理解しなければならない。
しかし自分を見つめるには勇気が必要だし、痛みが伴う。

残念ながら自分は表面的な理解だけでは行動に落とし込むことは出来ない。

もっと他人にペースをあわせて、「待つ」ことを学ばなければならい。
自分はいつからこんなに「待つ」ことが出来なくなったのだろうか。それを考えると、やはり子供の頃の経験や記憶が深く根強く残っているということに気がつく。

父も父方の祖母も「早く」行動を起こすことを重視する人であった。特に祖母は先んずれば人を制すという言葉が好きだったように思う。確かにそれはそうである。
しかしそれを伝えるには私の家庭はあまりに不器用だった。少しでも遅れると鉄拳制裁か飛んできた。

だから他人の行動を先読みし、どのような行動をとることが一番最適であるのかを考えるようになった。

また、沈黙と空白の時間は自分を弁明するために与えられた貴重な時間であった。だからできる限りの弁明を考えたり、「大人同士が言い争ったり」しないように彼らの人間か系の修復を考えたりと心を砕いたつもりであった。

それらの行動は最初は上手くいっていたが、気がつくと過剰になっていた。それは自覚していたがどうにもとまらない不安があった。
精神を落ち着かせるために色々なことをして、一時的に収まったりもした。でも私はそんな自分が本当に嫌いだったし、今も好きではない。

だから私は自分でも自覚できるくらいのアスペルガー気質の行動に自分を落とし込んでいった。
それが心地よかったし、安全であったのである。
…本当はそれこそが自分にとってのアパテイアであると私は信仰していた。

日本は家庭内のことに外部は良くも悪くも口を出さない。だから自分を守れるのはいつも自分だけだった。

自分が属している家族から見限られたり、彼らがいなくなったらどうするか?という恐怖から私は小学校低学年の時に自分で口座を作りに行った。
おかしな話だが、周りの大人からはおかしな行動が疑われないようにと子供なりの浅知恵でもって…「友達の⚫⚫が銀行口座を持っている。羨ましいなあ」と言い訳を使ったりして保護者を伴って銀行口座を作りに行ったのを覚えている。

自分は何に怯えてそんな言い訳をしたのだろうか。
…答えはわかっている。しかしそれを確実なる言葉にすることは痛みが伴う。
私はその痛みに対して、サイコパスなのでそうやって自分を保護してくれてる大人たちを貶めるような考えをする自分が邪悪であると認識する。

そこまでして守るべきものは何であるのか…
私はずっとそれを考えてきた。
小学校の高学年の時に私を救ってくれたのはマルクス・アウレリウス・アントニヌスの「失うことを恐れるな」という言葉だった。簡単に言うと中二病と言うやつである。

そしてそんな私に対して「未来を思い煩うな」で始まる言葉を私に贈ってくれた恩師のことはずっと大切に想っている。

思えば、私は若い頃…マルクス・アウレリウス・アントニヌスと共に話して生きてきたように思う。

多分、だからこそ今もまた彼と話をするべきなのかもしれない。残念ながら「自省録」は引越しの時に捨ててしまった。
今度は電子版でも購入しようかと思う。
引越しやそのほか、やるべきことが沢山あるが
新しい仕事も引き受けてしまったので
そちらもゆるゆると作業していく…

ART MAGICの翻訳である
本来ならば他人がやるはずであったが
何故か私のところに回ってきた仕事だ

もちろんいつもの如く無報酬である
…別に良いけれども

もっと時間割をシステマチックに組上げて
効率的にやっていきたいものである

そういえばZOOMで素晴らしい人とのセッションに参加できそうなのでとても楽しみだ
問題は英語能力であるので
少しインテンシブにやっていこう
最近、メタバース関連で益々話題になっているザッカーバーグ氏。

私はこの人のことに関してそんなに関心はなかった。元々が単なるGAFAM(Big Techと言った方がしっくり来るのは私だけであろうか)のひとつを創設した人間という認識でしかなったわけである。

とりわけ、Facebookほ日本においてはそんなに大したツールとしては使われていなかったことも私が彼に関心を抱かなかったワケのひとつでもあった。

そんな感じで過ごしてきたが、先日ひょっとしたおりに彼のFacebookでのポスト文章を読んでしまった。なんと自分の心を顕にして文章をポストする人物であろうかと思った。

大抵はSNS慣れをしている現在、アメリカ人であれ日本人であれ、そのほかの国の人間であれ凡その場合で自分を多少偽ったりしつつ文章を作り上げ、ポストするものが多い。

しかしザッカーバーグ氏のそれは…勿論よく考えて作られた文章ではあろうが、それ以上に彼の素直な心を感じたのであった。

私はそこまで英語能力は高くはないが、彼のポストした文章の根底に流れる、賢く優しく思いやりに溢れた心はわかった気がした。
彼は本当に純粋にメタバースで世界を良くしようと…それこそが次世代の助けになると信じている。

その彼の心の感覚を、彼のポストした文章から読み取れた気がした。

私は人間関係を含めて色々と断捨離をしているが…ザッカーバーグ氏のことは追いかけ、応援したい気持ちが芽生えてしまった。

モノは減らさねばならないが、素晴らしいものとは繋がっていたいと欲求してしまう。
大それた願いである。

つながりと言えば
今日の朝は手紙を読む夢を見たことを付記しておこうと思う。懐かしい人からのものであった。