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欠けた月

とある占いによると月は心を現すといいます。
私の月は欠けた月。押しつぶされた月。

そんな脆弱さから出てくる無意味な言葉の羅列。あるいは叫び。あるいはメモがわり。

つまりは狂人の妄想
多分…

視点を変えると変幻する世界
人間を見ると星々が見える
星を見るとほかの世界が見える

近くでは太陽の近くからたくさんのエネルギーが流れ出てる

人間の中の星は
天体の星の近くからのエネルギーを反射してる

そして世界は情報の集まり
見方を変えると
その情報も、その多くは折りたたまれ
格納されているが
その情報を解釈してこの世界投射しているシステムが沢山ある

そしてそれらは互いに情報を共有してこの世界を作ってる

多分、あのシステム群をして
人によっては守護神とか言っているのかもしれない…

そしてまたフォーカスを変える…
人々の存在は非連続的なものにも見える
まるで点在する星のようだ

そしてその多くは書こと感じる方向から未来と認識出来る方向へと力が流れて、新たな星を形成していることが多い

でも中には…未来において
非常に強力な力を持った個体がいて
とある一族などはその個体がこの世界に現出するため
それだけのために存在しているように視得た
つまり、未来の約束のために存在する人々もいるのだ…多分

そしてまたフォーカスを変える
運気というものが見える気がする
人々はこれらの動きに従い
人生というイベントに翻弄される…

そしてそのイベントが人格を作る

人格は書こと感じる方向のイベントを
現在の私たちが思い出せることそのものでもある…

なら過去を思い出せない人は人格はどうなる?
それは肉体に依存する

どう足掻いても、人間という存在は
単なるエネルギーの結果でしかない

私という存在は欠けた月
その欠けが私を侵食する
絶えることのない乾きのような…
叫びにも似た
哀しみが私を侵す
でもそのすぐ側で華やかな歓喜が私の周りにあり
そのグロテスクで酷い世界が
私を狂気へと導くのに…
臆病な私は向こうに行けはしない

だからこうして

少し前に書籍の出版計画の変更を決め
あれから色々と試行錯誤しているが
中々新しい方向性が定まらない

元々は私と私の友人で同じ内容だがアプローチの違う本を出し、また催眠音声アプリも予定であったが、仕方が無いので私の出す本だけ内容を変える事になった。

友人に渡している元ネタの方はもう回収のしようも無いし出版してもらう約束であったので、もうひとつの本の方は多分…今年中には出るだろう。
あのネタで一人でも多くの人が幸福になってくれれば嬉しいが、実際は無理かもしれない。

物事の理解というものは難しいものであるのだ。それは日本の義務教育を見ていてもわかる。
あんなに懇切丁寧に教えていても成績にばらつきは出てしまうし、達成目標に到達できない個体は出るものだ。

その様に考えると、私のみているものを理解してくれる人は居ないのかもしれない。
否、あの「友人」だけは理解してくれているような気がするので一人は理解者が居ないという事はないだろう。…最も、そのおかげで書籍化も決めていたのだけれど。

人を救えるなどという傲慢な考えは持ってはいない。けれども誰かの助けになればとも思ってしまったのは確かだ。
ひょっとしたら、そんな不遜な想いがこの計画の足枷になっているのかもしれない。

まあ、そんなアホな考えも含めて
私は今目の前の仕事から逃げているわけだ。

幸いにしてそんなに働かなくとも数人を養って行けるようにはなった。本当はそんな生き方をほかの必要とする人とも共有したかった。

しかしひょっとしたら
それは良くないことなのかもしれないとも思いはじめてきた。それが出来る人と出来ない人がいるという差は…意外と深く広いのかもしれない。
私たちがモノを見る時
様々な色を認識する

しかしそれらの色は、本当はその対象となるモノがに色がついているという訳ではないと言うことは誰もが知っているところだ

物体が光を吸収、または反射した結果としての光の波長を私たちの眼球と脳が色として認識してくれているだけである

もっと言えば分子のレベルでの異なる構造の結果を、私たちは無意識のうちに色として認識していると言っても過言ではない

しかし、こんなにも色彩に溢れ
また色の他にも様々な情報に満ち、みたされたこの世界に生きていると

そんな根本的な認識を無視して
単なる表面だけで認識、判断し
生きていくことになる


そしてそれは「色」に限ったことではない
他者の振る舞いや己のこころのありかた、また肉体的な健康や疲労の度合いなど
様々な情報が私たちの周りにはありすぎるのである

こんな世界の中を生きていく中で
人間(と言うよりは生物)というものは
情報の取捨選択という、とても便利なシステムを駆使して自らの生命を養うのにとても効率の良いやり方を覚えた

だからこそ
私たちは他人の意図や意見を平然と無視したり誤解して生きていけるのである

多分、この適度に情報を無視して生きていくという事が不器用であれば
そのヒトは人間社会で生きていくことがとても困難になるだろう

だからこそ、人々は現在及びちょっとした未来をいつも見ているつもりで
必死に現在を生き抜いている


多くの人にとっては
本来は霊だの未来だの氣だの炁だの…まあ、なんでも良いのだけれど

つまりは多くの人々には認識されない「其れ等」は無視されて当然なモノたちであるわけだ

でも世の中はどうにも生き辛い
それで人々は多くの人が無視している情報に対して価値を見出そうとする人々も出てくる

その結果として
私たちはサイキックだの霊感だのというものに娯楽性を見出したり奉ったりして
このグロテクスながらも楽しく面白い世界を生きているわけだ

それは他の存在から見たらどう見えるだろう?
命という名の細い綱を必死に、目の前のことだけに集中して渡ってゆく真面目な生き物だろうか

それとも片目を瞑ったり、両目を閉じたりしながら必死にその細い綱を手探りで渡ろうとする臆病な生き物だろうか

…そんなことはいずれにせよ
ナンセンスな思考である

世の中の人々は
気がつくものは気がつくし
気が付かないものは気が付かない

どうであれ
私たちは
個人に応じた素晴らしい人生を歩んでいく

その人、その存在に応じた程度でしか
救いは与えられないし
与えられても気づきはしない

そして時には与えられた救いの糸を
私たちは愚かにも振りほどいて
他の救いの糸を切望したりする

しかし多分、それこそが生命の妙味であるのかもしれない