欠けた月 -3ページ目

欠けた月

とある占いによると月は心を現すといいます。
私の月は欠けた月。押しつぶされた月。

そんな脆弱さから出てくる無意味な言葉の羅列。あるいは叫び。あるいはメモがわり。

つまりは狂人の妄想
多分…

どうでもいい話その2である
元々、コッチの方の話を聞きたいとりょうこちゃん(仮)に言われたので書き始めたのだった
遅くなって悪かった

夢にも色々とあるが
稀に念の支配する世界での情報を拾っている夢がある…と自分は思っている

大体はコレコレこんな夢を見たと文章で書いて送ってくれる友人に対して夢の解説のようなものをしていて気がついたものである

私の短い人生経験において
この世界というものは

まず大元となる大きな力の流れが支配するレイアがあり、そこからこの世界を形作るように感じている
これはプロティノスの流出論に近い考えだ
(厳密には違うところもあるが、それはどうでもいい話)

そしてザックリというとその大元の世界からこの世界へとチカラが流出し、私たちが意識を持つと感じるまでの間にいくつかのプロセスがあり
その過程の中で「念(と呼ばれているチカラ)の支配する世界」が色づけられたりする

そしてその世界(と言えるかはよく分からないが、分かりやすく「世界」と表現しておく)での自分に連なるチカラが行う、もしくは行ったイベントが時折夢になって出てくると感じてもいる

そしてその世界にも時間の軸はある
しかし時間の軸はいわゆる書こと感じる方向から未来へと感じる方向へと「強い流れ」が絶え間なく流れている
そしてそこでの念たちの行うイベントにより、その流れはより、強くなっていく

反対にいえばそこで上手くやれば
念の活動は過去にも未来にも影響を及ぼすことは可能であるようにも感じている
(とはいえ、その世界で過去に働きかけたからと言って現在が変わる訳では無い。上手くいってせいぜい未来がよりラッキーになるくらいである…
しかし大抵はラッキーになると同時に他人への世話も増える。元々の体力や能力に余裕が無い人間はそんなことはするべきでは無いと思う…多分)

まあ、そんな「念の支配する世界」だが
実は人間は自分の持つ、もしくは自分の支配できる「領域」というものがある
そしてその領域が広ければ広いほど、いわゆるラッキーになるわけである
そしてその領域はどうも人間の年齢で言うと三歳とか六歳くらいにあらかた決まるらしい

そしてその領域は簡単に言うと縄張り争いなどにより領域は当てはめられていく

ここで縄張り争いというと戦うことばかりが想像されるだろうが、実はそうでも無い
確かに戦うこともあるし、それはそれで大切だが、そんなことばかりやっては領域は維持できない
領域は自分の実力に応じた範囲でないと減ったり増え対するわけである

ここら辺な感覚はリアルな不動産(REAL ESTATE)と何ら変わりがない
下手な運営計画では身を持ち崩すのである

話を縄張り争いに戻すと
なぜだか戦いによる領域争いが大好きな人間が呪術やらオカルト界隈の人は好きなようにも見える
まあ、大抵はそのヒトが属しているファミリー(リアルでは無いファミリーであるが説明は面倒なので省く)の傾向もあるからそんなものかとも思う
しかしながら戦いのみで得た領域は、戦い意外で得られる領域とは異なる性質を持つ
そしてそれは実は個人の性格形成…もっと言うと人生イベントにも密接な関係性を帯びてくるのである

どうもこの「念の支配する世界」とリアルな世界は色んな意味で相互作用があるようにも私は感じている

しかしながら
本当にラッキーになりたいと思うのであれば
リアルな現実世界でのコツコツと
努力したり、時には要領よく振舞ったりすることが一番楽で確実な方向なのである

そしてそれを支えるのは肉体の健康以外にない

どんなにオカルトやスピリチュアルを志向しても
現実は現実世界での健康が一番の宝であると
今の私は結論づけている

…長くなったので今日はここまで
どうでもいい話といえばどうでも良いけれど
夢にも色々とある

これまで数え切れないくらいに夢の解説というか
夢占いのようなこともしてきたけれど
(まさかこんなに沢山のケースを扱うことになるのであれば、昔からデータをちゃんと整理しておけばよかった)

とりあえず夢には下記の五つの分類があるような気がしている
A記憶の整理としての夢
B肉体の疲労やアンバランスから来る夢
C外部のチカラによるお告げのような夢
D念の支配する世界の様なものの体験から来る夢
E上記とは異なり現実世界での念のようなものから来る夢

まあ、大体はAとBの混合夢である
そして大体の予知夢もAが原因で
その人の無意識下による状況分析やら何やらで出来ている夢であることが本当に多い

反対に言うと人間の脳の持つ情報処理能力の高さに驚かされる

まあ、それはさておいて
夢というか神経細胞が奏でる情報を
私たち人間という存在が持つ肉体は
その情報をまだまだ活用しきれていない気がする

人間はまだ脳や神経細胞についてもまだ知らないことが多すぎるし、「意識」についてもそうだ

人間が進化し、類人猿たちとその道を別った時
(…ダヌビウス・グッゲンモシの発見により多少は揺らいではいるが、二足歩行と集団生活による人間の社会生活の形成がヒトの脳をヒトたらしめ、また意識というものをよりヒトらしくしているのは確かであるとは思える)

とりあえず、ヒトの意識はこの人間社会というものの形成と切っても切れない関係に存在していると
私も感じている

ヒトの脳は人間社会に適応し、ヒトとヒトが協力してこの世界を生きていくのに最適化しすぎるほどにしているのだ

それは例えばある意味での第六感的な能力の退化…即ち、多くの自分以外の人類とコミュニケーションを取りやすいように、個性的な価値観を持ったものは排除されやすいという人間社会の意図していないシステムも含まれると思う

何が言いたいかと言うと、多分
この世界は人間が自覚しているよりも遥かに多くの情報に溢れており、人間はいつの日かそれらの無視されて来た情報にも目を向ける日が来るような気がするということだ

そしてそのいつの日か再発見及び再評価されるべきものに夢というものと意識というものがあるのではないかと私は思う

本当に不要であるのであれば
夢など見なくて良いし
もっといえば夢を見たという記憶なんて全てなくても良いのである

しかし現実は我々は夢を見たという記憶を保持したままに、日々の生活を生きる

つまり人間がヒトとして進化して多くの時間が経ち、文明を作ったりして多くの世代を経て今に至っても

人間という生き物は夢を全て捨てる程までには夢の価値を捨ててはいないということであると言える

中には明晰夢のような
脳の作用によりかなりリアルで現実と夢とが混同されるような夢を見ることもある
普通ならこんな現象は社会生活を営むにおいて邪魔以外の何物でもないはずだ

しかし、その機能は失われてはいない

そこにこそ
わたしは重要な何かがあるような気がする
自分の根源などを視るようとすると
やはり途中で自我と感じるものが強い殻となって邪魔をする

ある意味での明晰夢のようなものを見ようとする時も(これは普通の明晰夢とは少し違うものである)、その殻のような存在が枷となることがある

この殻はとても愛しく感じられるものであり、またいつも恐怖に駆られている

特にこの殻の向こうを視ようとするときには
とてつもない恐怖心を中に抱き、その更に内部や周りのものを引き付けて離さないように必死である

私は最初は之を壊そうとした
けれどもなかなか上手くできるものではなかった
だから一度よく観察してみることにした
するとこの殻を護って、中が出ないようにしているのは
外部の力もある事がわかった

人によっては守護しているものとか
先祖のようなものとか
そのように感じるのかもしれない
とりあえず、そんな色付けにもにたチカラも
頑張ってその殻を護っているのは確からしかった

だからその時はお盆も近かったので
(とは言っても日本のお盆とは少し違う暦ではあるが)お盆になるのを待って、その殻から出ることを画策してみた

適度な日時にその祖先とも守護とも取れるチカラに取引をもちかける
別に私は死ぬことが目的でもないし
本当に死ぬのであれば物理的な損壊という手段をとるのだから心配はしなくて良いとか…こちらの主張を簡素に主張した
どうせ、難しい言葉は通じないものだ
だから伝えるにはコツがある…と私は思っている

下手に相手に名前や存在としての価値は与えない
相手は飽くまで“チカラ“そのものである
だから人によってはまどろっこしいと感じたりもするだろうが

私にとっての世界の定義は…とりわけヒトの定義は生きている人間のみなのでこれでいい

結果としてこの目論見は成功した
残念ながら私の世界の定義としての美学は
一部のみ崩れてしまったが
目的が果たせないよりは良いとその時は思った
それから数十年経つがその答えはまだ出ていない

まあ、細かいことは置いておいて
私はその向こう側を感じることが出来た

多分、かつての私のように
上手くブレイクスルーできない人々は
このような手段をとると上手くいくこともあるのかもしれない

そんなことを夏の終わりのこの日に思い出した