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欠けた月

とある占いによると月は心を現すといいます。
私の月は欠けた月。押しつぶされた月。

そんな脆弱さから出てくる無意味な言葉の羅列。あるいは叫び。あるいはメモがわり。

つまりは狂人の妄想
多分…

愛という言葉は元来日本には無かったものであるという話がある。

一説によるとそれは仏教と共に愛染明王が伝来した際に「愛」という言葉と概念が齎されたともいうし、また一説においてはキリスト教の伝来と共に「愛」の概念が変化したとも聞く。

ここら辺については詳しく調べていないので詳細は割愛するが、とにかく日本人が想像する…もしくは理解している愛とは愛欲的な愛であることが多いとのこと。

しかしながら
仏教的にせよキリスト教的にせよ愛という言葉の後ろに隠された意味はそれぞれに異なるのは確かではあるようだ。

私は愛と言うと二つの独立した意味のものを思い浮かべることが多い。
ひとつはアガペー的な愛であり、もうひとつはプラトン哲学におけるエロース的な愛である。

アガペー…それは天の愛であり太陽の光。天上から人々の元へと降り注ぐ降り来る愛。
自分からするとそれはこの世界をこの世界たらしめているという、存在を赦す愛の力。
恩情と残酷さに溢れた力。

対してのプラトン哲学的なエロースは真善美のイデアを希求する、天へ向ける人からの愛であるという。

このプラトン哲学的なエロースという言葉は、確か「饗宴」という本で覚えたと思う。
もちろんこの「饗宴」もプラトンの著作だ。

あれは自分が小学生の時だったと思う。いつもの通りに駅の上の本屋や商店街の本屋をハシゴしながら素晴らしい時間を過ごしていた日々の欠片での出来事。

あの本を通して、自分は確かにプラトン的なエロースに魅了されていた。
そしてその魅了は未だに自分を捉えて離さない。

であるから、私の心の中では愛と言われるとこのプラトン的なエロースを思い浮かべるのである。

と、同時に…アガペーをも思い出すのは
多分このエロースに対する憧れが
永遠の一方通行な片想いであることに恐れている
自分のひ弱な心を反映してのものなのだろう。


私はある程度、自分の未来がみえていた。
いや正確には自分の未来における選択肢の幾つかや、行き着く先が分かっていたところがあった。

例えば結婚相手である。
20代のうちに一人と出会い、それと結婚してもいいし40代のうちに出会う人と結婚しても良いという選択肢が出された。

正直、私は40代の時に出会うであろう人の方が好きだった。しかしそれではさすがに遅すぎる。
当時の私の親も私の40代の結婚は嫌がったのだ。

それに20代で出会う人の方が優しい性格であり、私の成長にはほぼ力にはならないが、多分私に愛をくれるということも分かっていた。
40代で出会う人は素晴らしい人であるし、私を精神的に高めてくれる、尊敬できる人である。
しかしある意味で辛い日々であるという情報がどうにも引っかかった。

ちなみに縁の強さでは、本来は40代で出会う人の方がより強いものであるとも色々な情報とともに得られていた。

未来は見えていたが、選択できるのは十代半ばであった。とある方法で決定して、その後の未来である、今に行き着く。

とは言っても途中で後悔したり、修正を施そうとしたり、様々なことがあった。
結果的には20代で出会った人と40代で結婚するというある意味で一番意味不明な結末に行き着いた。
ぽい

まさかここまで来たら、たぶんこれで落ち着くだろう。

今の相手はとても愛情深い人だ。
満足とは言い難い人物ではあるかもしれない。
でもそれ以上に(多分)私を愛してくれている。
これからも愛してくれるとは信じている。

私はその人に感謝をしているし、勤めを果たして行きたいと思っている。

元々は結婚願望なんてなかったのであるが、あの人がある意味で私を引っ張りあげてくれたのだ。
…たぶん。

ところで私が見たような気がしている未来のビジョンを、私は何も話していないのに全く同じことを話してきた友人がかつて一人だけいた。
それは彼女と私の共同幻想なのかもしれない。

でも面白い経験であった。

このような話を、他にも共有できる人が
実は他にもいるのかもしれない…

そんな密かな期待を持って、私は今日も生きている。
John Edwardについて私が知ったのはつい数年前のことだった。

アメリカに留学している時に、世話になっている先生のうちの一人が私に教えてくれたのだった。
彼はとてもあなたに似ているの。一度テレビで見てみるといいわ。と彼女は言っていた。

私はとても興味を惹かれた。
調べてみると、彼はアメリカでも有名なPhychic mediumらしい。
テレナビにもよく出ているし、よくショーもやっているということがわかった。

彼女は私と彼が似ていると思った様だったが、残念ながら私は彼とは全く違う。
やはり私はどこまで行っても、基本は学者なのだ。相手のことがある程度分かるのは、多分その恩恵である。

残念(?)なことに私はMediumでは無い。
彼女にそのような誤解をさせてしまったことは今更ながらに後悔している。

でも私と彼女の間にあった縁は真実であったと信じている。
私は真剣に彼女のチカラになりたかったし、彼女の幸福を願ったのだ。

そして多分、そんな願いに対して世界は恩寵を我らにあたえてくれたのだと理解している。

この世界は基本的に呼べば応えてくれるのだ。

そして呼びかけられたら応えることが礼儀であるともいえる。

私は紹介してもらったJohnにセッションを申し込もうか悩んでいる。でも多分、しないだろう。
手を伸ばせば得られる縁ではあるとは思うが、コレはおそらく私には過ぎたものであると思うから。