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欠けた月

とある占いによると月は心を現すといいます。
私の月は欠けた月。押しつぶされた月。

そんな脆弱さから出てくる無意味な言葉の羅列。あるいは叫び。あるいはメモがわり。

つまりは狂人の妄想
多分…

霊視もどきのよく分からないことをしている時の自分を考察してみる…するとこうなる

自分の見ているもの
感じているもの
それらがどれだけ、現実でありえるのか…
即ちどこまでが他者と共有出来得る現実であるのか

自分の心や思想はどこからが他者と共有可能なのか
僕は不器用だから
そればかりを試しているのかもしれない

そして時折
僕が感じる呼び声を信じて
僕はアクションを起こす
簡単にまとめると
不思議ちゃんで
頭のおかしいやつが変なことをしてるだけだ

それがわかっているのに辞められない

それは
自分にとってのコミュニケーション
単なる自慰行為
無意味なポエムを織るっていくこと

どこまで行っても…多分
無意味なもの

自分は起きたまま夢を見ている
世界で最も善いものの一つを

私は喪ったから

世界…では無く、自分を呪う
そしてまた繰り返すのだろうか
時々、魂というものと人格というものは本当に別であると感じる時がある。
単に脳と身体のバランス異常から来る認識異常かもしれないが、私がこう感じることがあるのは確かである。

最初それを感じたのは中学の時であっただろうか。
朝、眠りから目覚めつつも中々起きられずに二度目の睡眠に暫し浸り…このままではいけないと起きようとした時のことだったとおもう。

胸の辺りから脳の方向へ差し向ける、自らの中にあるひとつの光を認識した。
まあこれはいつもあるものだ。いつもならその光は、私の脳の方向へと光を向け、その光に対して脳と感じられる場所から胸の方へと情報をわたす。
このようにして私は自分という生物が「生命活動」をしていると感じる。

しかしその時は違った。いつもなら光を返してくれる脳が光を返してくれずに、私の胸の内より生じる光はそのまま虚空へと彷徨い出でた。

と、同時にいつも胸から脳へと走る光は魂の一端であると認識した。
そしていつもなら脳が返してくれる光は脳が物理的に溜め込んでいる知識というか、脳という物理的な組織が「生きて」いるからこそ、得られている自我の塊そのものであるとも理解した。

つまり、日頃私が私であると認識して、生活している人格などというものは…本当に儚く無意味なものであると実感したのだ。

私はそれまで魂というものはもっと色(個性)があって、知識や情報が多くあるものであると信じて疑わなかった。
肉体が滅んだとしても魂というものは、もう少し人格を保って存在し続けるものであると…漠然と信仰していたのである。

しかしどうも現実はそうではないようだと、私はその時に自覚した。いや、ひょっとしたら元々はその事は分かっていたのかもしれない。しかし長い年月の果てに、私は魂というものを誤解していたようにその時は感じたのである。

簡単に言うと、人格という魂はイコールではないということを認識した瞬間であった気がする。

それからは、私はどれだけ自分が知識を深めても…世界を理解をしようと努めても、私の魂には大した足しにならない事を痛感しながら生きていく日々となった。

そして今日もまたこの感覚とともに日々を生きるのである。