梵我一如を理解することで得られる解脱の思考はインド哲学の中でもウパニシャッド哲学において出てくるもので、これは世界最古の深い哲学的思索であるとされているそうだ。
ここでインドの哲学を少し思い出してみよう。
インド哲学は興味深く、西洋哲学ぽいところもあれば中国ぽいところもある。まさにインドという土地がヨーロッパと中国に挟まれているが故に出来上がった思想であると言えるし、またヨーロッパにも中国にもないインド独自の発想もあり、とても興味深い。
インド哲学の土台を考えると、それはヴェーダになる。
リグ・ヴェーダという言葉は多くの人が聞いたことがあるだろう。しかしヴェーダは厳密にはこの他にもある。
リグ・ヴェーダの成立は前15世紀くらいといわれているが、その後の前10世紀くらいにはアタルヴァ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュルダ・ヴェーダなどが出てくる。そしてこの3つはサンヒターとよばれる。
そしてその次にはアーラニヤカ、ブラーフマナ、ウパニシャッドというヴェーダの付随とされるものがでてくる。
これらリグ・ヴェーダから3つのサンヒター、そしてアーラニヤカ、ブラーフマナ、ウパニシャッドという七つの聖典をしてヴェーダというのである。
このヴェーダを基にして、インド哲学は育っていく。
特にウパニシャッドを下敷きとしたインドの思想は現代にまで続く、壮大で神々の伊吹に守られた独自の哲学としてその骨格をなしていくのだ。
その骨格こそが最初に述べた梵我一如。これなのである。