月に入ってから、怒涛のように予定が埋まっていきます〜。
これから忙しくなりそう…っていう自分の予感って当たるもんですね。

今日はちょっとした気付きを…。


最近は自分の親とか夫の親戚とかの最期が近いんだなぁ…なんて感じます。

(みんな元気ですけども、年を取ったなぁと思って(笑))


そんなとき、うちの親、親戚…カルト宗教なんですよね…亡くなった祖父母それよりも上の親戚から代々?…あんまり深くは聞いていないけど。夫の実家もまぁまぁ無頓着ではあります。

識子さんではなく、どなたかの記事で、
カルト宗教とか新興宗教とかの人たちは成仏がなかなかできない…と。
見えない世界はわからなすぎる。
そして、、成仏しにくいので新しく生まれてくる子どもたちや今の家族にカルマとしてのしかかる?

…とかなんとか。

あ〜、なんか面倒な感じ……

悪い占い師とか言いそうな文言でもあるから、カルマになるぞ!的な言い分などあんまり真に受けてはいないんですど、

ただ…他の親戚の話を聞くと、色々とありそうな…?離婚したとか、不仲だとか色々と…。

うちはなんの影響も受けていないのは…ひょっとして……??

神社仏閣参拝を真剣にやってるからっていうのもあるだろうけども、なんとなーく良かったんじゃないかと思うのは





御府内お遍路…の御朱印集め…





…というより、







やはり、







写経…いや、









納経のような。







御府内お遍路を始めたとき、わたしは御朱印欲しくて、その御朱印もスタンプラリーではなく、納経しましたよ、の証として欲しかったんです。

なので、かれこれ30くらいは写経して納経してるんです。



桜井識子さんのブログとかでも写経がオススメみたいなことが書かれてあったけど、


わたしはわりとよこしまな?気持ちで納経始めたけど、結果として、カルトを信仰していた成仏できていない親戚の供養をお手伝いしていたかもなぁ…と。


そんなことをやってるのは親戚中ではわたしくらいのもんだし、むしろ、親から怒られるような行為なのでだいぶひっそりとやってる(笑)

(このカルト信仰の親に黙って神仏信仰してるって、ほんと、天王星太陽コンジャンクション頂点のロックな感じがします。わたし、親とか嫌いじゃないんですよ。むしろすごい愛されたくせに、平気で信仰は裏切れるっていうのはある意味サイコな気質だと言われます)


写経だけじゃなくて、納経する、というところまでがたぶん大切なんじゃないかなと。


わたしが初めて納経したのは中野の新井薬師でした。

ちょうど12年に1回の弘法大師作の仏像の開帳時期で、その仏像の真ん前にわたしの初めての写経をお坊さんが置いてくれて、とっても感動したのです。


あと、やはり御朱印をもらう人はいても納経する人は珍しく、ご住職に良くしていただくことが多い気がします。グーグルマップなんかでも冷たくされたとか書かれているお寺でも、わたしはわりと温かく接していただくことが多い気がします。(お金もプチ封筒に入れてお渡しすると、ご丁寧に…と大切に受け取っていただけます)

御朱印帳も、御府内用、日蓮宗用、新しく天台宗用も作りました。(神社では御朱印はもらっていません)


納経ガチ勢に、お寺さんは優しい…。

わたし、とくに親戚のためとか思ってなくて、わりと無心で写経したし、宛先も書いてないけど、(為…ってところ)あの世のだれかのお役に立てば…くらいの気持ちでした。

京都の最初のお寺は東寺で、そこで仏像の前で写経する経験は特別でした✨
涙が込み上げてきて素敵な時間でした。
(時間外なのに受付していただいたのもお計らいですし、人がいなくてね…ガランとしていて最高の時間でした。京都の人の優しさまた味わいたいなぁ)




こんな感じで、あの世から感謝されてれば、それはわたしの日々は穏やかなもなるのかもしれません。

あと、普通に周りに人がいないお寺とかなら、般若心経も唱えるので、それでも何気に徳を積んでいたりするやもしれません。

(あれ?仏像の目がまばたきしてない…?ってこととかあったりするので面白いです。
読経のあとに太鼓がどこからか鳴ったりとか。ビビり散らかしているんですけどね。
そういう不思議なこともあったりします。)


そんなこんなで、

案外、開運は「納経」なんじゃないか説でした。