久々に、大宮八幡宮へ行きました。


…というのも、やっぱり湧き水をみたいな…と思って。


先日の記事で、杉並近辺…というか、井の頭と善福寺の湧水はなくなってしまって、そういえば大宮八幡宮でも湧水出てたよな…と。



行ってみると、やっぱり説明書きには宅地化に伴い湧き水はなくなりポンプで汲み上げたものだということが書かれていました。


なんか…人間の「もっともっと」みたいなものが感じられてしまって、切なくなりました…。

(実際に無料だということで何回も何回も汲みに来る方もいるそうです…)


その日は、安産祈願のご祈祷で巫女さんの舞を拝見させていただきました。


祝詞を唱えて神様をお呼びするときには、神主さんもみんな頭を下げて神様を見ないようになさるのですね。

神様は見てはいけないもの。

これは古来から物語でも言われてきたことですね。ここが神と仏の違いかなと思います。

(そうすると、神様を見ようとする行為は実は失礼な行為なのかもですね)


改めて、神様に畏敬の念が湧いてきて、同時に水とかそういうものも神様からの授かりものだよな…とか思いました。



お財布の中に百円があったので、


メッセージをください、と伝えてからおみくじを引きましたら、凶でした。


実は凶は滅多に引かないのですが、意外にも全然へこむことがなくて、真剣に神様からのメッセージを読みました。


主なメッセージは「家族を大切に。信心を忘れないこと」


とありましたし、凶もよく読むとそこまで悪いことは書いていないもんですね。

(実際に大宮八幡宮では家族のことをいつも祈っています)


結果だけで一喜一憂することは全然なくなりました。

真摯に受け止めるうつわが自分に備わったのがわかって、成長したなぁと思いました。



それより、ここの神様には良くしてもらえてるのもわかってるので、そういう信頼はこちらの心の器を広げるんですね。



愛されてるとわかっていると、厳しい言葉も自分のためだと素直に受け入れられるのだな…と。子育てもそうだな…と。






都知事選、公約が出揃いましたね。

(3人以外いないことになってる(笑))

蓮舫氏が明治神宮外苑の再開発に言及していました。


小池都政では外環の地下シールドも推し進めてしまっていて、こういうの…新しい都知事に止めてもらいたいなぁと。


ただでさえ神社近辺は開発に開発を重ねて、なんだか切なくなっているのに、これ以上は…と思ってしまいます。



わたしが東京好きなのは、昔ながらの商店街とか人の営みが残ってるから好きなのです。


わたしが生まれた土地は、田んぼも無くなって、スタバが建って…すごく発展してるけど帰りたくない場所になってしまった。



わたしはチェーン店が建ち並ぶ街に住みたいわけじゃない。

血の通った人々が織りなす商店街に住んでいたい。


地方で失われたものが東京にはまだあったから嬉しくて。


東京で最初に住んだのは世田谷の千歳烏山。

身の回りのものはみんな商店街で済ませました。チトカラから一歩もでない休日でした。

えるもーる商店街のスタンプシールを集めまくりました。


結婚してすぐ都営住宅に当選したので、そこは商店街は我慢しましたけど、駅前だから利便性はとても良くて、子どもが風邪を引いたりしたらすぐに病院に行けました。子どもを連れての買い物も近くて便利だった。


お給料も上がって、都営住宅を出て、ちょっと距離はあるけれども商店街が買い物圏内のマンションに今住んでいます。



ここにはまだ近所の人たちの温かさが残ってる…それが嬉しい!

お店の人と話したりお店を介しての知り合いができたり、地域に住んでる…って感じがして好きです。


ただ、千歳烏山も久しぶりに行ったら、ちょこっとチェーン店が増えていて、阿佐ヶ谷出身の友達は、阿佐ヶ谷のアーケードもチェーン店ばかりになっちゃったと嘆いていました。(たしかにちょっとした楽しくなくなったところはあるかも)


まぁ、お店自体は住んでいる人たちとお店の人達に依るところが多いけど、道路とかに関してはかなり住んでいる人たち以外の意向が強そう。


明治神宮外苑の再開発は行政と大手不動産の力かな…と思う。住民の人は反対してるのに…。



政治と生活は繋がってるし、

生活と神様とか神社仏閣も繋がってるんだな…って。


いろんな神社仏閣に行くようになってわかってきたのは、大切にしようとする人たちと、発展させようとする大きな企業の力。


なにが良いとか悪いとかではないけど、

何事もバランスが大事と思う。


そのいい塩梅を保てるような街作りができる政権であればいいなぁと願っている。


タヌキたちは心地の良い棲家を追われても生き続けてる。

わたしのような、古き良き商店を愛するものも、そうなるのだろうなぁ…とか思いつつ、やれるところまではやろうと思う今日このごろ。