雨の予報の中、深大寺まで行ってきました。


平日の方が良いかなと思ったんですけど、雨なら人はそこまで多くないかな?と思って行きました。


以前来た時は、なんにも気にすることはなかったんですけども、



この深大寺、なにげにたぬきとの縁があるのですね(笑)


深大寺のらくやきの店で、信楽焼の狸が置いてあったんですね。

それだけではなくて、たぬき柄の食器があるんですよ。

まぁ…買いましたけど…。





信楽焼の狸も可愛いのがあったので買うか悩みましたが、どうせなら滋賀に行って買いたい…とも思って我慢しました。

なんであんなにモンチッチみたいな顔してるんですかね?おち◯ちん出しつつ首も傾げて上目遣い。
こんな変な置物、わたしが外国人だったら絶対に面白いって思う。日本人オカシイよ!って思う。

らくやき屋の人になんでたぬきの焼物あるのか聞いたら苦笑い。(わからないのだと思う)
けど、周辺にたぬきはいるのだとか。


たぬき、やはり天台宗の寺院との関係が深いんだろうなと思います。


あと、延命観音


慈覚大師円仁の彫刻なんですね。

彼はきっとたぬきに愛されたんだろうな、って思います。

というのも、慈覚大師円仁は摩多羅神?摩陀羅神なるものがついてきてしまって、祀る羽目になりました。

こういう感じで、目に見えない存在からなんか好かれちゃう人だったんじゃないかな…と。


信楽焼の狸の誕生は昭和天皇が有名にしたという話が有名ですが、その前に窯元の「狸庵」の初代藤原銕造氏が月夜にたぬきがおなかをぽんぽこぽんと叩いている姿を目撃し、それをなんとしても作陶したいというところから始まっているらしい…。

その前から妖怪「豆狸」を模した作品は全国にあったようですが、本格的にブランド化したのは藤原銕造氏その人かと思います。

そして、昭和天皇がブームに火をつけ
天台宗の僧が八相縁起なるものを打ち出しマーケティングに大成功。

これによりあらゆるところで狸の置物が置かれるという珍事が起きたのですね。



また、妖怪「豆狸」は玉袋を被って、雨がしょぼしょぼ降る夜に酒の肴、おつまみを探して歩いているところがモデルになったというのがいちばん古い伝説というのもあります。

玉袋は何でもできます。
そもそもたぬきの変化は玉袋が基本のようです。玉袋ありきです。

今日みたいな、しとしと雨が降る日暮れ、府中あたりを歩けば徳利をもったたぬきとでくわすかもしれません。

そんなことをだらだらと考えた休日でした。