最近、わたしは神社仏閣に行くと
「あ…愛されてる」って思いますし、
今日も毎月の赤坂豊川稲荷さんへのお礼参りに行ってご祈祷に相乗りしてる時に、
「愛されてるなぁ」ってこころの中でつぶやきました。
いや、こんなのはもちろん
The 自己満足
以外のなにものでもないんですが(笑)
そもそも…そもそもわたしはありのままを許された末っ子ですから(放っておかれたともいう(笑))自己肯定感が備わって生きてきたので、まぁ、普通に我慢を美徳してきた日本人的な方からは、とてつもなく嫌われるんですけども(実社会では謙虚に生きてます)
こんな人絶対にムカつくんですよ(笑)
(わたしも、横に自分みたいな人いたらまぁまぁムカつくんだと思います(笑))
…でも、神様仏様に対してなら全然そういう勘違いって全然オッケーなんじゃないのかなって思うのです。
そして、これは愛され慣れする練習になると思うのです。
なんかね、特に日本人って、
「愛され下手」だよなって思うのですよ。
なぜ、その愛を受け取らないんだよ!って思います。
または、そこの愛に気付けよ、とか。
席を譲られたらさっさと座りなさいよ…みたいな(笑)
…まぁ、日本人が愛情表現が乏しいからというのもあるんですけども、昔はその愛を受け取る感覚が敏感だったから成り立っていたんだとわたしは推測するんですよ。
夏目漱石のI love youを「月が綺麗ですね」だぜ?わからねーよって言ってたらダメなんですよ(笑)
昔の人はそこかしこに宿る優しさとかに気付く人が多かったんじゃないかと。
ほんのちょっとしたことを「ありがたい!」って手を合わせたりそれを循環させていく連鎖が切れてしまってるかんじ。
察知するその能力が落ちてきてるのでは…と。
んで、それに気付く人と気付かない人とでは、世界がまるで違うのでは…と思うのです。
道路を横断する時に止まってくれるとか愛じゃないですか。ありがたく頭下げながらそそくさと小走りで渡り切るとか、そんなのでもお互いに愛を送り合ってる。
愛って、そんなもんでしょ?
それの積み重なりでしょ。
日々の家族とかパートナーとかもそうだよね。
愛というものをそんなに遠くに置かない方が幸せだと思うのです。
小さな、小さなそういうのを大切にしていくと普通に気持ちの良い世界になると思うんです。
レジの人に「お願いします」「ありがとう」って言ったり、バスの運転手さんにも「お願いします」って言ったり、(わたし以外あんまりバスの運転手さんに声かける人見ない)
カフェやレストランの人に「今日も美味しかったです」って言ったり。
それも全部愛。
こういう小さいの、たくさんたくさん与えたりもらったりしている日常。
最高に幸せです。
まずは、愛され慣れ、しましょう。
「わたし愛されてる…!」って思うだけ。
だれに?って、
誰でもいいよそんなのは(笑)
ノーコスト(笑)
しんどいこと何もなし。
カウンセラーいらず。
スピ系のビジネスの人達真っ青。
(ついでに、そういうサービスはいくらでも無料コンテンツはあるからさ。本当にいなくていい)
やってみてください。