ピアノ学習者が
バッハの音楽を勉強しなければならない理由を、
ピアノをおしえてくださっている先生に問うたことがあります。
すると先生はこうおっしゃいました。
「ベートーヴェンを弾くならモーツァルトを学ばないといけません。
モーツァルトはベートーヴェンの先生だから。モーツァルトを弾くなら、
バッハを学ばなければなりません。バッハはモーツァルトの先生だから。
バッハはベートーヴェンの先生でもあります。
ショパンの先生でもあります。
だからバッハは全ての音楽家の先生なのよ
」
というわけで、音楽学習者の私は毎日、
バッハ先生(1685年~1750年)の曲をコツコツ読んでます
。
バッハ先生の音楽を勉強するには、コーヒーとチョコレートが必需品です。
譜読みしていると、とても疲れますから・・・。
音楽の父バッハ先生のコーヒー好きは有名で、
「コーヒーカンタータ」(または「おしゃべりはやめて、お静かに」)という、
小喜劇まで作曲したほどです。
初演は1734年ごろのドイツにある街 ライプツィヒ市のコーヒーハウスで。
「千のキスよりもっと甘く、マスカットよりもっと柔らか。
コーヒー、コーヒー、コーヒなしじゃやってけない。
私を何とかしようと思ったら、コーヒーをくれるだけでOKよ」
パパの言うことをきかない娘リースヒェンは、
コーヒーをやめさそうとするパパに対して歌います。
千のキスより甘いなんて
、
まるでホットチョコレート。
明治の冬季限定チョコレート「メルティーキッス」を思い出してしまうほど、
チョコレートっぽい表現。
コーヒーカンタータではなく、
ホットチョコレートカンタータみたい。
ところで、
当時のライプツィヒには、ホットチョコレートはあったのでしょうか?
それが、あったという情報が見当たらないのです・・・。
時は17世紀初頭から始まったバロック時代。
ホットチョコレートの原料、カカオは、
メソアメリカなどからの輸入だったから、
世界貿易に積極的だったスペイン、イタリア、フランス、オランダ、
イギリスには、その当時、ホットチョコレートはあったんですけどね。
フランスでは、ホットチョコレートは貴族など身分の高い方の飲み物でしたが、
商人の国イギリスには、コーヒーハウスだけでなく、チョコレートハウスも
あって、お金があれば、ホットチョコレートを楽しめたそうですよ。
国によってえらい違いがあったんですね。
バッハ先生が住んでいたこの頃のドイツは、どうなっていたのでしょうか?
諸侯が統治する約300の領邦国家に分かれていたみたいなのですが、
グローバルな商取り引きには興味が持てなかったのでしょうか・・・・
そういえば、バッハ先生も
フランス組曲とかイタリア協奏曲とかを作曲しているのに、
勤めている教会のある領邦国家から出たことのないという、
ドメスティックな方でした。
子だくさんだったから(最初の妻との間に7人&次の妻との間に13人。合計20人![]()
絶倫系
)、外国に行く予算がなかったのかな・・・。
バッハ先生がホットチョコレートを楽しんだ記録は見当たりません。
もしや、バッハ先生がルター派だったということも関係あるのでしょうか?
ルター派は信仰さえあれば、農民でも誰でも救われるというキリスト教です。
ちなみに、ルター派に対するカルヴァン派のカルヴァンさんは、
フランス出身であります。
フランスでは、ほら、
ホットチョコレートは貴族など身分の高い方の飲み物でしたね。
まさに贅沢の極み!
一方、オスマン帝国の方から来たコーヒーは庶民の飲み物でした
。
もしかして、バッハ先生は、
ホットチョコレートって美味しそうだなー!
ムリそうだけど飲んでみたいなー!っいうホットチョコレートへの憧れを
コーヒーカンタータに込めて、
「千のキスよりもっと甘く、マスカットよりもっと柔らか」と
チョコレートっぽく表現したのか??
なーんていう深読みはやめよう・・・。
バッハ先生、
ワインも大好きな
、
美味しい物好きだったようなので、
もし、ホットチョコレートと出会っていたら、
きっと夢中になっていたと思うんですよね。
ホットチョコレートカンタータも作曲してほしかったなあ
。
☆バッハ先生![]()
