2024.4.19
自衛隊敷地なので…
新潟県新発田市の旅
駅から歩いて徒歩25分
新発田城に到着
新発田城は、石垣がすき間なく
かみ合うようにきちんと積まれる
「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した
技法でつくられた平城です。
ところどころが、白と黒が美しい
なまこ壁で仕上げられています。
表門で拝観料を徴収している
親しみあるおじさまたちが
なんとも優しくて素朴でした
◆ 表門(重要文化財)◆
1732年に再建された現存の櫓門。
2階に格子窓を設け、門の真上の床を
外して、石落としとする構造。
▼表門の2階内部は見学できます
新発田城
(日本100名城)
築城時期は不明ですが、鎌倉時代初期に幕府設立に戦功のあった佐々木盛綱の傍系の新発田氏による築城と考えられています。代々新発田氏の居城となっていましたが、天正9年(1581)、新発田重家が上杉景勝に対しての反乱(新発田重家の乱)で、天正15年(1587)、景勝方の攻勢により新発田城は落城。大名としての新発田氏は滅亡しました。
新発田城跡は、
現在の新発田城城址公園と
陸上自衛隊駐屯地に
またがっています
▼なまこ壁の奥に広がる陸上自衛隊
◆ 溝口秀勝公象 ◆
新発田氏滅亡後、上杉氏の会津転封で
慶長2年(1597)新発田藩初代藩主として
溝口秀勝が6万石を得て新発田に入封、
新発田藩領内の拠点として
新発田城の築城を行いました。
◆ 辰巳櫓(平成16年復元)◆
かつて、赤穂義士堀部安兵衛の父が
辰巳櫓の管理責任者で、
櫓の焼失の責任をとり浪人となりました。
その後、安兵衛は江戸に出て、
高田馬場の敵討により名を遂げました。
▼礎石
復元前の礎石がガラス張りの床の下に
見ることができます
▼辰巳櫓2階(とてもきれいです)
◆ 旧二の丸隅櫓 (重要文化財)◆
1668年の大火後の建築で、
現在は、本丸鉄砲櫓の跡に移築。
そして公園の先に見える
三階櫓に向かいます
この三階櫓は
自衛隊の敷地にあるため
お掘越しに見るしかできません
(ある意味ちょっと珍しいですよね~)
◆ 三階櫓(平成16年復元) ◆
天守閣の代わりを果たしていた櫓。
3匹の鯱を配するという独特の櫓で、
全国にも例がない大変珍しいもの
ここから見える三階櫓が
新発田城の代表風景みたいです
◆ 御城印(桜ver.)◆
◆城カード◆
新発田そぞろ歩き
続きます
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