”鎌倉幕府”ゆかりの地を訪ねて 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓) | キティ写真館♥電車旅で御朱印&マンホールetc.

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2022.12.10

鎌倉幕府創成を偲ぶ

 

源頼朝北条義時のお墓、

法華堂跡を訪れました

史跡 法華堂跡

(源頼朝墓・北条義時墓)
【国指定史跡】

50m程の小道を挟んで

別々の階段の先にある、

源頼朝墓と北条義時墓が合わせて

1つの国指定史跡に指定。

法華堂跡地に建てられたという

源頼朝を祭神とした

白旗神社が鎮座する先に

階段があります

「法華堂跡」の石碑

階段を昇ります

▼史跡の記念碑

階段を昇りきると…

ここには源頼朝の墓とされる

石造りの層塔があります。

源頼朝の居館大蔵幕府跡推定地

北隅の持仏堂があった場所。

持仏堂には小さな観音像が

祀られていました。

その観音像は石橋山の戦いのときに

源頼朝が髻(もとどり)の中に

納めていた小さな観音像であり、

頼朝が信仰していたと伝わります。

「鎌倉殿の13人」で

ドラマの度々の重要なシーンに

出てきたあの小さな仏像ですな

(▼伊豆の国ドラマ館にて撮影)

建久9年(1199)に頼朝が没し

持仏堂に葬られたのち、

法華堂となりました。

 

そしてその50m先

北条義時墓(遺構)があります

またまた階段

16m程度の石段を上がった先に…

770平方メートル程度の平場、

紅葉の平地が広がりました。

ここが北条義時墓(遺構)

2005年の発掘調査で、

この地下から墳墓堂(法華堂)の

遺構が発見されました。

発見された遺構の位置が、

『吾妻鏡』に記載された

方位と地形と一致したことから、

遺構は北条義時が祀られていた

北条義時法華堂の跡であると推定。
法華堂の礎石や柱の跡、

雨落ち溝の跡の実際の位置を

木杭や石で地表に示しています。

 

さらに…

法華堂跡に残されている

三浦泰村一族を葬ったとされる

三浦氏供養の「やぐら」

宝治元年(1247)

5代執権北条時頼との宝治合戦で、

三浦泰村以下三浦一族等500余名は

この法華堂で自刀して果て、

三浦一族は滅亡しました。

さらにさらに…

平場の先に北奥に

鳥居と2列の石段が並んでいて、

石段上に近世墓があります。

古墳時代の横穴墓を転用した

大江広元らの近世墓があります。

大江広元の墓

 

鎌倉幕府創世期の重要人物の

墓所がギュッと凝縮された

神聖な場所でした!!

 

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