2022.5.8
立正安国論を執筆
鎌倉で「鎌倉殿の13人」以外で
もうひとつ行きたかった場所に
向かいます。
日蓮が故郷の安房国清澄寺を離れて
布教に選んだ場所「鎌倉」
安国論寺を訪ねました
かなり昔の映画ですが
映画「日蓮」
この映画で、日蓮の鎌倉での布教が
細かく描かれ、ぜひとも訪れたかった
「松葉ヶ谷(まつばがやつ)草庵」
長勝寺・妙法寺と並び、
鎌倉で布教するに際して拠点とした
松葉ヶ谷草庵の跡とされた
松葉ヶ谷霊跡安国論寺
◆ 山門 ◆
日蓮宗のマスコット
こぞうくんが同行
◆ 手水舎 ◆
何気なく安置されていた
仏像の前に置かれていた花一輪
風情が伺われます
◆ 本堂 ◆
妙法華經山 安国論寺
(日蓮宗)
御本尊:久遠実成本師釈迦牟尼仏
日蓮聖人を開山として創建。
松葉ヶ谷法難の跡※と伝えられます。
日蓮が鎌倉にきて道場とした岩窟が
この寺がつくられるもととなり、
日蓮が前執権北条時頼に建白した
「立正安国論」がこの岩窟で
書かれたといわれています。
この場所に寺ができたのは、
弟子の日朗が文応元年(1260)が
「立正安国論」を執筆した岩穴の側に
「安国論窟寺」を建てたのが始まりで、
のちに安国論寺となりました。
※ 松葉ヶ谷法難 日蓮が、文応元年(1260)に鎌倉幕府の五代執権北条時頼へ『立正安国論』を提出し、その内容が当時起こっていた地震、異常気象、疫病、飢餓は、法然を始めとする念仏教や禅教などの邪教に起因するものとし、幕府へ宗教政策の転換(正法を法華経とする)を促す内容であったため、に浄土教信者である念仏者たちによって草庵を夜間襲撃・焼き討ちされた事件
◆ 南面窟 ◆
「松葉ヶ谷の法難」時に、
白猿に導かれて避難したといわれる洞窟
◆ 日朗上人荼毘所 ◆
日朗が出家剃髪、荼毘した場所
◆ 熊王殿 ◆
日蓮聖人に仕えた熊王丸と、
熊王丸が信仰していた稲荷を祀っています
熊王殿横から富士見台に登る
階段があります
最初は階段がありますが
そのうち獣道のようになり
倒木で道が塞がれていたりして
当時の人々の苦労を
少しだけ経験できました^^
やっと到着〜!!
◆ 富士見台 ◆
富士見台からは由比ガ浜海岸を一望でき、
日蓮が富士山に向け
毎日題目を唱えたとされています。
稲村ケ崎もよく見えます!!
おまけですが、
新宿湘南ラインが走り抜けました
御首題をいただく間、
ゆっくりできる休み処がありました
◆ 御首題 ◆
お寺の方がまず、別棟にいらっしゃる
ご住職さんにお伺いをたててから
直書きでいただけました
(ご不在や多忙だといただけないのかも?)
さぁ、この日最後の目的地へGO!!
その前に、この日のランチ
前回に続き、またもや「しらす丼」
これからも、いろんなお店で
食べ比べしたいです!!