忘れないように覚書。

 

我が家のコロナ禍。

 

発端はコロナ感染拡大による修学旅行の延期。

延期後の修学旅行当日に発熱者多数でまたもや延期。そして学年閉鎖。この時点で12月中旬。修学旅行は行けないかもとさすがにあきらめモードになりました。

で、翌日、娘も発熱、感染確定となり、以降二学期終了まで自宅待機という状況でした。

そもそも高等部に関しては、願書をもらう時点からいろいろとつまずきました。

願書の下書きを二学期中に提出し、OKが出れば本番用の願書がもらえることになってましたが、そもそも学校には行けないので、先生と連絡を取り合って、冬休みに学校まで願書をもらいに行く羽目になりました。

 

同居家族が全員感染で、ここでも事件勃発。

間の悪いことに、感染して熱で寝込んでいる一週間の間に、二つに病院受診日がありまして、私も熱でふらふらになりながら、電話での受診となりました。お薬はなんとかぎりぎり処方箋の期限に間に合いましたが、駐車場に待機して、薬局の方に届けてもらう方法でした。

そんなこんなで年末も差し迫った日にようやく学校まで行ってきました。

学校で話を聞くと先生方にもかなり発熱者が出たようで、娘にかかわってくれていた先生はやはり発熱していました(汗)

我が家も娘が最初に発熱して一気に家庭内感染しましたから、ものすごい感染力だなと驚いたものです。

だって、すぐにじいじは隔離して、消毒もしたし、常にマスクはしていたのに、翌日にはじいじが発熱、その二時間後には私も発熱。主人もなんかちょっとおかしいとは言っていましたが、本人認めたくなかったのか、「僕はまだ大丈夫」とか言ってました。

それでもその翌日にはあきらめたのか「病院行ってくる」に変わってましたが(笑)

大変だったのは、大人たちが発熱してダウンしてから娘が回復しちゃったことでした。

まあ状況を察してくれたのか、本調子でなかったのか、割と大人しめで過ごしてくれたのでなんとかなりました。

不安視していた食料とか日用品はネットスーパーでやりすごしたのですが、我が家、食材は宅配なので、みんな食欲が落ちて食べられず、私も作れずで、食材が冷凍庫にいっぱいになってしまったのが逆に困ったことでした(笑)

じいじは後期高齢者で持病持ち。そのため、私たちには処方されなかったお薬がでました。これがびっくり。飲んで翌日には熱が下がって、私は「特効薬いいなぁ」と思ってしまったほど。私はずるずると発熱が続き、4日寝込みましたから、そりゃ羨ましいのなんの。

ですが、じいじの熱が下がっていろいろ動けるようになったなあと思っていたら、夕食時、左手がしびれるといいだし、座位が保てない状態に。救急搬送することになってしまったのでした。

小さい梗塞で麻痺もなかったので、検査して帰ってくることができましたが、最初は救急車が来てくれても、コロナ陽性患者で受け入れ先がなかなかなくて、私も感染して発熱中だったので、寒空の下、救急隊員のかたとやり取りしつつ、搬送先を探してもらっていました。なんやかんやで搬送先も見つかり、搬送ということになったのですが、付き添いでは救急車に乗れず、後から付いてきてと言われてしまいました。まあ、家族全員感染者ですから、病院についても中に入れず、駐車場で待機。

先生とは携帯で話をしながら、でした。

でも病院のスタッフさんとか先生は防護服に身を包みながらも、わざわざ駐車場まで来てくれて説明してくださって本当にありがたかったです。寒かっただろうに、こちらを労ってくださって、逆に申し訳なく思ってしまった。

本来なら入院して検査するんだけど、入院しても陽性者だと回復訓練もできないとかで、入院する意味がないのだそうだ。

自宅待機で、急変があったらすぐ連絡する形になり、三日置きに電話で状況確認し、一週間後、何もなければ病院に来て検査するという流れになったのでした。

何事もなく一週間が過ぎ、検査でも特に心配するようなことはなく、ほっと一安心。

いろいろあってすでに年末。

年賀状書きもクリスマスも大掃除も何もしないままでした。おせち詰めるのも紅白が終わりかけていた(笑)

我が家の12月は思いっきりコロナ禍でした。