3月、まんぼうが終わる日程のはずでしたが、延びてしまいました。

でもせっかく計画したので、感染対策しながら奈良県明日香村に行ってきました。

 

前回の奈良は、平城宮を見学しましたが、今回の目的は古墳です。

高松塚、キトラなど飛鳥時代を訪ねて、橿原神宮を目指しました。

 

この日は1泊、橿原神宮前のホテルを予約していたので、荷物を置いて出発です。

 

まずは橿原神宮です。

新幹線の中から富士山がきれいでした。

橿原神宮前駅です。

人気がありません。周りにお店らしきものも、何もありません。

 

ここから10分くらい歩くと神宮が見えてきました。

すごい!立派です。

当たり前かもしれませんが、大きいです。熱田神宮よりずっと。

 

最近古事記もどきを読んだのですが、この神宮は天照大御神の子孫、日本初代天皇の、

神武天皇を祀る神社です。日本の始まりとうたっています。

 

たくさんの灯篭は寄付によるものらしいです。

大きなものは300万。と俗っぽかったですね。

小さいものは150万。

手清め所の裏は池。

ここからがまた遠い。

2682年?

どこから始まるのでしょう?

やっと本殿です。本当に誰もいない。

本当に誰もいない。広い!

 

 

 

駅に戻り、飛鳥周遊バス券を買ったので、これに乗って飛鳥資料館に行きます。

バスの時間は1時間に1本。しかも4時台までしかないので、急がなくては。。。

到着しました。

庭には亀石など、オブジェがあります。

資料館内部です。これはし尾(しび)。7世紀のもの。和田廃寺。

 

飛鳥の由来。

アは、接続語で、浅洲や平らな砂地をスカと言い、ア、スカに由来する説が

有力らしいです。

明日香、飛鳥どちらもアスカです。

 

入り口にもあった。、須弥山石。

須弥山とは仏教世界の中心にそびえる聖なる山のこと。

内部はくりぬいて、水が流れるようになっています。

 

 

綺麗!正倉院にもあるガラス。これらは

舶来ではなく、古文書によると、8世紀には日本でもガラスができていたらしいです。

 

これは金。

 

そして高松塚古墳、墳丘断面。

ここでは、どうやって古墳を作ったのか、ビデオを流していました。

実際のサイズの模写図もあり、もう行った気分!

うーん。感激でした!

エジプトでも、日本でも、人間考えることはみな同じなんですね。

来生を夢見て、人生最後の住まいは美しく飾るのだわ。

 

そしてキトラ古墳。

白虎

朱雀

玄武

天文図

この天文図は、現存する世界最古の例。

1年じゅう見える星。季節によって見え隠れする星など、正確に書かれています。

7世紀の人々も同じ星を見ていたと思うとロマン。

 

エジプトのセティ1世の墓にも、星らしきものがあったけれど、

ここのように正確なものではなかったです。

 

7世紀の山田寺のたたずまい。

棺を装飾する飾りの金具。美しいです。

 

飛鳥浄御原宮、飛鳥寺の復元模型。

飛鳥時代は大きな都だったのですね。

飛鳥浄御原宮は天武天皇が即位した宮。

この後は持統天皇の藤原京。そして元明天皇の平城京になるのですね。

女帝が続きましたね。

 

平城宮は、去年ふれあい館で模型を見ましたが、遷都はすべて、使っていた宮を崩し、

組み立てなおしたそうなので、大変だったことでしょう。

 

と、盛りだくさんでとても満足でした。時間を使いすぎて、慌てています。

ここから飛鳥寺まで歩きます。

 

飛鳥座神社

 

城下町風の街並み。こんな道をてくてくと歩きます。

飛鳥寺に到着です。

日本書記によれば、ここは日本最古のお寺。

以前は大きな規模だったようですが、今は本当に小さなお寺です。

近所の天理教のお寺のほうがずっと大きくて立派でした。

 

ここには大仏の頭しかないのでパス。

再び石舞台を目指して歩きます。

田畑の中をです。

 

ありました。石舞台です。

7世紀の初めに建てられたと推定されています。

埋葬者は不明ですが、この規模から考えて、6世紀に勢力をふるった、

蘇我馬子ではないかと言われているようです。

 

中に入ってみると、光が差し込みます。

壁画はありませんが、石の色が緑が買ったり、赤かったりできれいです。

 

なぜお墓が舞台と呼ばれているかについては、ぬかしキツネが女性に化けて

この上で舞を踊ったという説や、旅芸人がここで舞ったという説などがあるようです。

 

この公園の中にポツンとありました。

 

最終バスが迫っていますが、飛鳥浄御原宮まで行きたいのでまた歩きます。

またまた田畑。

着きました。飛鳥浄御原宮跡です。

ここは天武天皇と、お后の持統天皇が、居したところです。

今では草ぼうぼうでかわいそうな感じ。

地元に人に聞いてやっとわかりました。

ここもですが、奈良の名所旧跡は分かりにくいです。

 

 

 

高松塚を目指してさらに行くと、

川原寺跡が出てきました。こちらのほうがずっと大きいです。

 

途中亀石を見つけました。飛鳥資料館のより本物はずっと大きいです。

後ろ姿

アップ

こんな場所です。これもやっと見つけました。

 

ここで最終バスを待って、ぎりぎり高松塚セーフです。

最終受付まで20分。

バスを降りてから10分くらい山を登ったところです。焦った焦った!

やっと着きました!

教科書にあった絵です。

資料館のは相当ぼやけていましたが、ここのはきれいです。

どの像も実に細かく描かれ、美術史絵画史ともに優れた作品のようです。

 

飛鳥資料館には天井画のことは書いていませんでしたが、この古墳にも、

星天図があったようです。

 

資料館を見てきたので、ここは、これだけ?という感じでした。

 

外に出てみます。

こんな丘を登ってゆくと、

ありました!きれいなお椀型です。

 

大きいです。美しくて感激です!!

この古墳が発見されてまだ50年。

もとはこんな形だったそうです。

この時代に生きていてよかった。

見れてよかった!感動です。

出土品です。

このお墓は誰のものかわかっていないのですが、江戸時代には、

文武天皇陵ではないとかと言われていたようです。

でも、文武天皇陵は現在別のところにあるので、

どなたなのでしょう?

桃の花が2本綺麗でした。

ここから飛鳥駅まで歩き、タクシーで橿原神宮のホテルまで戻りました。

翌日は高取町のお雛様とキトラ古墳です。