中尊寺から、1時間に1本のバスで平泉へ。

 

平泉の駅は素敵です。

とててもモダン。

駅前には、毛越寺とあります。

街はおしゃれな街並み。

電線がなくすっきり。広々としています。

駅から15分くらいと聞いたのですが、なかなか現れない。

駅からまっすぐ行ったその先に、やっと見えてきました。

 

大きなお寺です。

 

大きな屋根。唐招提寺みたいです。

世界遺産です。

 

2代目藤原基衡から3代目秀衡の時代に伽藍がたくさん作られたうちのひとつ。

広大な敷地の境内にはたくさんのお堂、それを囲むように大きな池が配されています。

あ、今はだいぶ消失していますが。

 

本堂。中には、薬師如来像。

 

 

このお寺で目を引くのは大泉が池。

大きな池です。

 

 

 

このお寺も紅葉真っただ中。

赤やピンク、オレンジのバリエーション。

ため息の出るような美しさ。

 

むせるような赤色です。

再び池の周りをまわってみます。

 

開山堂

毛越寺を開かれた慈覚大師円仁をお祭りする堂。

唐にわたった大師が描いた紀行記は、

マルコポーロの東方見聞録。

三蔵法師の西域記。

とともに3大旅行記として評価されているそう。

知りませんでした。

 

慈覚大師様。

この大師、のちに行く仙台の瑞巌寺にも関係しています。

 

このお寺は、ほとんどが’跡’。

常行堂

 

山水を池に取り入れるための水路。

遣水。平安時代の遺構としては唯一現存するもの。

曲水の宴の舞台。優美です。

 

延年の舞が神仏に奉納される場所。

法会の後に奉納される歌舞のこと。

阿弥陀如来。

本当に丁寧に、綺麗に整備されていて、美しい池です。

 

鐘楼堂

こういう人たちがきれいにしてくれているのですね。

 

素晴らしい紅葉でした。

 

宝物館があります。

ここに毛越寺のゆえんが記されています。

慈覚大師が東北巡遊の折、深い霧に覆われ、一歩も進めなくなったところ、

白鹿の毛が点々と落ちていました。

その毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっていて,大師が近づくと

白鹿は消えて白髪の老人が現れ、この地にお堂を建てなさい。と

告げました。

大師はこの老人こそ、薬師如来の化身と感じ、この寺を建てたそうです。

 

何とも綺麗で、優しい気持ちになるお話です。

 

毛越寺も、広大な敷地にゆったりとしたしつらえのお堂や遣水。

心が洗われるようなお寺でした。

是非行ってみてください。

 

開基慈覚大師

藤原3代画像。上が清衡公。

秀衡公、基衡公。

 

この毛越寺の造園を始めた人物。

たくさんいた、基衡の子供の中から、骨肉の争いで跡継ぎになった人物。

相当の,やり手だったようです。

この3代の100年間が奥州黄金の時代。

 

現代でも、新幹線やバスなどを乗り継ぎ、やっとたどり着ける平泉。

中尊寺はそこから、また山を相当登らないといけない場所に。

こんなすごいお寺を、しかも黄金の国ジパングとマルコポーロに言わしめた

国を作った人たちは、なんてすごいのでしょう!

実際足と目で確認して、驚きました。

 

でも、マルコポーロは実際には日本に来ていないみたいですよ。

 

翌日は、松島に行きました。