いよいよ非常事態も解除。

今のうちにと、かねてから行きたかった平泉に行ってきました。

東京から新幹線で一ノ関まで。

そこで、荷物を預け、電車で平泉まで行く予定でしたが、

バスの乗り継ぎに間に合ったので、バスで行くことにしました。

バスだと中尊寺まで直行。

1時間に1本のバス。乗り継ぎは15分。運よく間に合いました。

 

中尊寺のバス停に降りました。

弁慶のお墓がありました。

ここから山道を登るようです。

森林浴です。人も少ない。

 

弁慶堂です。

武蔵坊弁慶

義経の郎党のこの人物は、ここにお墓があるので、ここの出身かと思ったら、

日本の国のあちらこちらに由来の地があり、

詳細は分かっていないよう。

でも最後まで、義経に仕えたとされています。

 

ここまで登ると、ナイスビューです。

でも、まだまだ上ります。

薬師堂

観音堂

 

を経て、やっと中尊寺に着きました。本堂です。

 

菊祭りの最中でした。

 

ここから金色堂へ続く小径は、素晴らしい紅葉が広がっていました。

そして、やっと金色堂に着きました。

この階段を上った建物の中、ガラスケースの中にありました。

思っていたよりも小さなものでしたが、細かい螺鈿細工は素晴らしかったです。

でも期待が大きすぎて、ちょっと失望でした。

ガラスのケースですから。

 

中尊寺は藤原清衡が、前九年、後三年の戦いで亡くなった人々を祀るために

建てたお寺ですが、金色堂は、極楽浄土を夢見た清衡が建立したもの。

清衡、基衡、秀衡、の3遺体と、泰衡の首が収められています。

2代目基衡は、たくさんの兄弟争いから跡継ぎになった人で、この人の時代に、

このあたりにたくさんのお堂。寺が作られた様です。

あとで行く毛越寺もその一つ。それらのほとんどが残っていず、金色堂だけは、

奇跡的に残ったそうです。

 

秀衡は、義経の育ての親でもあります。義経は頼朝が兵を上げた時に、頼朝に加担するために

都に行ったのに、頼朝は出来すぎの弟をけん制したのですね。

のちに仲が悪くなり、義経は平泉に逃亡したのです。

 

泰衡が首だけなのは、源頼朝に追われた源義経を、父、秀衡はかくまったのですが、

秀衡の死後、息子の泰衡は頼朝を恐れて自害させた罪で首を切られたからです。

 

これで奥州100年続いた黄金の歴史は幕を閉じます。

頼朝は、泰衡を殺しただけでなく、ほとんどの建物を焼き払ったようです。

 

源頼朝は嫌な人ですね。この人の時代も長くは続かず実朝で終わるのも、

因果応報でしょう。

 

隣の博物館に、金箔を貼った木の棺と、泰衡の首の入った、皮の箱がありました。

中には、収められていた玉やお数珠などもありましたが、エジプトの

ツタンカーメンの墓も同じようなもので、人は生きている間しか物は使えないのに、

冥途までもっていきたいという気持ちは全世界共通なのだわと感じました。

写真がNGなのが残念でした。

 

経堂 重要文化財

中に平安時代の彩色文様が確認できると書いてありましたが、

分からなかったです。

 

松尾芭蕉

 

白山神社能楽堂

藁ぶき屋根のお堂です。

 

茅の輪くぐり

罪、汚れを、くぐって、清浄な心に生まれ変われる輪っか。

くぐりましたよ。

 

この日の天気の予想は雨。でも運良く晴れて、夕方近くなったら、

晴天になってきました。

この美しさ。伝わるかしら?

筆舌に尽くし難し。

 

この中尊寺のバス停から、平泉の駅までバスに乗り、毛越寺に行きます。