CAHIER DE CHOCOLAT -3ページ目

マイケル・ペイリン:“This Cultural Life”のインタビューからわかる9つのこと

[ORIGINAL]
Michael Palin: Nine things we learned from his This Cultural Life interview
https://www.bbc.co.uk/programmes/articles/3jLpjFyn2cpnw5PFZW6YQV0/michael-palin-nine-things-we-learned-from-his-this-cultural-life-interview


マイケル・ペイリン:“This Cultural Life”のインタビューからわかる9つのこと


Listen to the full interview here.

マイケル・ペイリン(80)は、ショウビジネスの世界で「一番いいひと」と言われることが多い。実際には、彼はそう言われるのがあまり好きではないという。いいひとであろうと、そうでなかろうと、彼は最も影響力のある人物のひとりであることは間違いない。モンティ・パイソンのメンバーのひとりとして、数えきれないほどのコメディアンに影響を与えてきており、彼がいなければ、現在の英国のコメディは違うものになっていただろう。

英国アカデミー賞受賞俳優であり、ベストセラー作家であり、人気旅行番組シリーズの案内人でもあるペイリンは、長く、多岐にわたるキャリアの持ち主だ。“This Cultural Life”のインタビューで、彼はそれらについて、プレゼンターのジョン・ウィルソンに語っている。シェイクスピアやドラマ『GBH』から、“Fish Slapping Dance(フィッシュ・スラッピング・ダンス)”まで。これらは、このインタビューでわかった9つのことである。

1. ペイリンの演技のキャリアは、お母さんにシェイクスピアを読み聞かせるところから始まった
1943年、英シェフィールドに生まれたマイケル・ペイリンは、演劇一家の出身というわけではない。父親はエンジニアで、母親は主婦だった。最初に演技というものを知ったのは、母親にシェイクスピア作品を読み聞かせることからだった、とペイリンは言う。「すべてのキャラクターをやった」と彼は言っている。「最初から最後まで全部やった……彼女が『ストップ!』と言ったことは一度もなかった。僕に、家での自己表現をさせてくれたんだね。父親には耐えられなかったであろう方法で」


パイソンにとってのトレーニングの場となったのは、デヴィッド・フロストが司会をつとめた1960年代の風刺テレビ番組『The Frost Report』。

2. 大学の入学初日が彼の人生を変えた
ペイリンのパイソンへの道は、オックスフォード大学の入学式の日、ロバート・ヒューイソンという学生に出会ったことから始まった。「僕らはふたりとも『The Goon Show』とピーター・セラーズが大好きだった」とペイリンは言う。「彼が、『僕らは一緒にコメディアクトをやらないと』と言ってね」 ペイリンはそんなことは思いもしなかったが、彼の意見に同意した。「キャバレー(*ダンス、コメディショーなど、パフォーマンスを行なうステージのあるレストランやナイトクラブ。日本のキャバレーとは異なるもの)に出たら、一晩で30ポンドもらえる」というのも理由のひとつだった。「父親が僕に進ませようと思っていたキャリア、医者か何かになるとか、いい仕事に就くとかっていう道から僕を逸らせたのはロバートだ。ロバートが僕を連れていったのは……ほかの俳優や脚本家たちに出会う世界だった。一番重要な出会いはテリー・ジョーンズだ」と彼は言う。ペイリンはジョーンズとともに脚本を書き、演じるようになる。「僕らは最初からうまくいっていたよ」

3. パイソンズは常にチームとして執筆していたわけではない
パイソンズのほとんどのメンバーは1960年代のテレビの風刺番組『The Frost Report』の脚本家として出会った。彼らはそれぞれ異なることをやっていたが、1969年、クリーズが一緒に何かを作ろうと提案した。「(僕たちは)テレビやコメディを進化させ続けたいと思っていた、あまり大げさに受け取ってほしくはないのだけど……全体に揺さぶりをかけて、ちょっと混乱させる、みたいな」とペイリンは言う。「僕らはそれぞれグループに分かれて書いてた。テリーと僕、グレアム(・チャップマン)とジョンといった具合に。エリック(・アイドル)とテリー(・ギリアム)はひとりでやってた……そのやり方から脱してみようとしたこともあるけれど、僕はテリーのことをとてもよく知っていたしね……ジョンと執筆するのはちょっと難しいと思った。やってはみたけど、ジョンは僕らとは違うやり方をしていたから」


(上左から時計回りに)ドキュメンタリー『Michael Palin: Travels of a Lifetime』BBC:2005年英国アカデミー賞特別賞受賞:Green Man(ドラマ『Worzel Gummidge』):Tom Parfitt(ドラマ『Remember Me』)、General Mitford(映画『The Wypers Times』)、ドキュメンタリー『Brazil with Michael Palin』

4. イメージとは違って、はらを立てることもある
ジョン・ウィルソンがペイリンのことを「英国で一番いいひと」と呼ぶと、彼はうなって見せた。「たぶん、今がそれを変えるときなんじゃないかな」とペイリンはジョークを言う。「はらを立てることはたくさんあるけど、誰でも小さなことに怒りを感じるもので、例えば、高速道路でうしろの運転手の車間距離がすごく近いとか、窓からごみをポイ捨てする人がいるとか。そういうことにはいらいらさせられるよ」

5. 『ワンダとダイヤと優しい奴ら』で演じた役のヒントになったのはお父さんだった
1989年、ペイリンは『ワンダとダイヤと優しい奴ら』での演技で英国アカデミー賞助演男優賞を受賞した。彼が演じたのは吃音症を持つ悪役だったが、その役のヒントとなったのは彼のお父さんだったという。「彼は生涯ずっと吃音症だった」とペイリンは言う。「ユーモアのセンスがある人だったけど、おそらく、どもりのせいでジョークを言うことができなくて、それで、ちょっとフラストレーションがたまってたと思う」

吃音症の人々を思いやる気持ちから、「どもりはふざけてやっているわけではないということをはっきりさせたかった……あの役をやりながら、かなり共感できたと思う」とペイリンは言っている。この映画に出演後、ペイリンは吃音症の人々を支援するセンター「The Michael Palin Centre For Stammering」を設立している。

6. モンティ・パイソンのスケッチの中でお気に入りは“Fish Slapping Dance(フィッシュ・スラッピング・ダンス)”
モンティ・パイソンのスケッチの中で気に入っているものをたずねられると、ペイリンはすぐに「“Fish Slapping Dance(フィッシュ・スラッピング・ダンス)”」と答える。2匹の小さな魚を持ったペイリンがジョン・クリーズのほおを何度もくり返しはたく。その後、クリーズが取り出した巨大な魚でペイリンは叩かれ、用水路に転落する。「あれは世界中のどこででも通用する」とペイリンは言う。「北朝鮮でも」

パイソン後のキャリアでは、かなりの時間を旅行ドキュメンタリー番組の制作に費やしているペイリンだが、「(北朝鮮で)僕たちの素晴らしいガイドの人にあれを見せたら、彼女は爆笑してたよ。それから、彼女は僕に言った。『これがあなたのやってることなんだ?』って」


「モンティ・パイソンの作品で気に入ってるシーンはありますか?」
「あるよ。“Fish Slapping Dance(フィッシュ・スラッピング・ダンス)”……」


7. 『GBH』のあとは、演技をする必要があると感じることはあまりなかった
ペイリンはシリアスな役を演じることもある。最もよく知られているのはアラン・ブリースデイル(*脚本)の『GBH』での校長役だろう。この役でペイリンは英国アカデミー賞にノミネートされた。なぜ演じることをもっとやらないのかとたずねられると、ペイリンはこう答えている。「あんな役はほかにはなかったから。ああいう脚本はそんなにしょちゅうあるものじゃない」 また、映画制作の現場で待つことも好きになれないのだそうだ。「時間をむだにしてるように感じることがあまり得意じゃなかった」と彼は言う。「(待っている間に)本が書けたのになと思ったし、実際に何冊か書いた」


モンティ・パイソン:(*『空飛ぶモンティ・パイソン』での)オリジナルのガンビーたち

8. 妻が亡くなってから、「現実ではないような世界」に生きている
ペイリンの妻、ヘレンは2023年に他界した。ふたりはティーンエイジャーの頃から、ずっと一緒だった。「現実ではないような世界に足をふみ入れてる」と彼は言う。「人生のどの時点もあの人につながってるんだ。それがとつぜんなくなった。だまされてるみたいな感じだよ」 一番たいへんなのは、「それがずっと続くということに対処すること。だって、これからずっとなのだから」

9. モンティ・パイソンは昔のままのように感じる
モンティ・パイソンのメンバーのうち、グレアム・チャップマンとテリー・ジョーンズのふたりはもうこの世にいない。そのほかのメンバーはそれほどしょっちゅう会ってはいない。地理的なことが主な理由だが、それでもつながりがなくなってしまうことはない、とペイリンは言う。「僕らはもうそんなに近くにはいないけど、集まれば近い関係になる。話せば……何年も前、昔とかわらずそのままみたいで、集まると思わず涙が出そうにもなるよ」





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*(* )の部分は加えています。
*リンク先は英文です。




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今年4月、BBC Radio4の新番組“This Cultural Life”の第1回のゲストと出演したマイケルのインタビュー、45分ほどの内容をまとめた記事です。パイソンズとマイケルを知っている人にとっては、特に目新しい情報はないかな、という感じではありますが、ヘレンについて語っているところが印象的だったので。マイケルとヘレンは私にとっては理想のカップルです。精神的に独立したふたりの距離感がほんとうに素敵。マイケルの日記からもそれはよくわかります。2022年のインタビューでは、世界中を旅行していたときも「毎日電話をするとか言わなかった。もしそう決めていたら、何かの理由で1日電話できない日があったら、すごく心配することになってしまうから」とマイケルは言っていました。この話には非常に納得。ただ、これが可能なのはお互いをしっかりと信頼している場合だけでしょう。そういう意味でも、ふたりの関係性がいかに健全で良いものだったかがわかる。しかも、ティーンの頃に出会ってからずっと一緒というのはもはやミラクルというかほとんどファンタジーというか。「現実ではないような世界」というマイケルのことばがしみます…… マイケル、秘訣を教えてほしいくらいにいつも元気そうだけど、2019年には心臓の手術をしてペースメイカーが入っているし、ヘレンがいなくなったあとも変わらず活躍しているのはほんとうにすごいと思う。身体的にも精神的にも強い人だ。もう尊敬しかない。

ワンダとダイヤと優しい奴ら』で演じたケンについては、元のインタビューではもう少しくわしく話しています。吃音症を持つ人々のコミュティの半分は「吃音症の人が映画のヒーローのひとりだというのは素晴らしい」、「悪役グループのひとりだったというのがいい」といった反応だったけれども、残りの半分の人々は「こういったものはやるべきでない」、「どもりのある人を笑いの対象にすべきではない」という意見だったそうです。それに関してマイケルは、「どもりを笑っているわけではなく、そのキャラクターを笑っているのであって、単にどもりだけを笑いの対象にしているのではない。笑っているのはキャラクターの行動や結末」と言っています。これは、ジョンが舞台版『フォルティ・タワー』のインタビューで言っていたことと基本的に同じだと思います。

ところで、たくさんある旅人マイケルのドキュメンタリーの中で、日本で視聴できるのは、このインタビューでもちらっと話に出ている『発見! 北朝鮮の歩き方』だけだったのですが、Disney+での配信がいつのまにか終了していました。なんで〜。



みんな大好き“Fish Slapping Dance”。



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