『LE CINÉMA DE JEAN-PIERRE LÉAUD』 | CAHIER DE CHOCOLAT

『LE CINÉMA DE JEAN-PIERRE LÉAUD』

ヴェネチア国際映画祭のヴェネチアクラシック部門でジャン=ピエール・レオのドキュメンタリー映画『LE CINÉMA DE JEAN-PIERRE LÉAUD』が上映されたようです。

ヴェネチア国際映画祭の作品紹介ページ
https://www.labiennale.org/en/cinema/2024/venice-classics/le-cinéma-de-jean-pierre-léaud


映画祭の作品ページに掲載されている画像が『出発』のワンシーンだというのはかなり意外な感じ。イエジー・スコリモフスキ監督のかっこいいレオ。『Dialogue 20-40-60』のレオもかっこいいんです。

ARTE Distributionの作品紹介
(英語タイトルなのか、作品名は『JEAN-PIERRE LEAUD - THE CHILD OF CINEMA』となっています)
https://medias-distribution.lab.arte.tv/files/Dossier_ENG_short_Jean-Pierre_Leaud_23.11.23.pdf


こちらの画像は『夜霧の恋人たち』のアントワーヌ。可愛い。私は見たことなかった画像が1枚掲載されています。


映画祭の紹介とARTEの紹介には、同じ部分もあれば、片方にしかない部分もあるので、このふたつの情報+IMDbの情報をまとめました。

◾️作品概要ヴェネチア国際映画祭の作品紹介ページより)

“『大人は判ってくれない』での記憶に残る主人公役で、ジャン=ピエール・レオは14歳にして映画界への鮮烈なデビューを飾った。そして今日まで、彼はそこから離れたことはない。トリュフォー、ゴダール、ユスターシュ、パゾリーニ、より近年では、アサイヤス、ルヴォウスキー、カウリスマキ、ベルトルッチ、ツァイ・ミンリャン、ボネロ、セラ……その印象的なフィルモグラフィーの中で、彼はカメラの前に立つ新しい方法を生み出してきた。そこではすべてが真実であり、すべてが虚構なのだ。そのため、人々は疑いを持ってしまうこともある。「ジャン=ピエール・レオはカメラに映っていないところにも存在しているのだろうか? それとも、映画の中にしかいないのだろうか?」”

◾️上映時間:64分

ちょっと短かめ。監督は、ゴダールのドキュメンタリー映画『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)』(この作品は1時間44分)を手がけたシリル・ルティ監督。

◾️出演者

・アントニオ・ランシアーノ
・ジャン=バティスト・ル・ヴァイヨン
・エンゾ・ティネブラ
・ミシェル・フォー

この4名がレオを演じる俳優さんだと思われます。どんな映像になっているのか……若干の不安もありますが、とても気になります。

◾️「Self(本人)」としての出演者(インタビュー)

<監督:( )内は手がけたレオ出演作品>

・オリヴィエ・アサイヤス(『パリ・セヴェイユ』1991年、『イルマ・ヴェップ』1996年)

・アキ・カウリスマキ(『ラヴィ・ド・ボエーム』1992年、『コントラクト・キラー』1989年、『ル・アーヴルの靴みがき』2011年)

・リュカ・ベルヴォー(『男と女と男』1996年)

・ベルトラン・ボネロ(『ポルノグラフ』2001年)

・ツァイ・ミンリャン(『ヴィザージュ』2009年)

・ノエミ・ルヴォウスキー(『カミーユ、恋はふたたび』2012年)

・諏訪敦彦(『ライオンは今夜死ぬ』2017年)


<俳優:( )内はレオとの共演作品や関連など>

・マーシャ・メリル(1964年のジャン=リュック・ゴダール監督『恋人のいる時間』でレオは助監督をつとめた)

・シャンタル・ゴヤ(『男性・女性』1966年)

・フランソワーズ・ルブラン(『ママと娼婦』1973年、『男と女と男』1996年)

・ナタリー・バイ(『映画に愛をこめて アメリカの夜』1973年、『ゴダールの探偵 』1985年、『ヴィザージュ』2009年)

・ジョジアーヌ・バラスコ(『Les keufs』1987年)

・メルヴィル・プポー(『Le journal du séducteur』1996年)

・ルイ・ガレル(『ドリーマーズ』2003年)

・ニコラス・モーリー(2006年のオムニバス映画『パリ、ジュテーム』で、オリヴィエ・アサイヤス監督“デ・ザンファン・ルージュ地区”に出演)

◾️アーカイヴ映像

・主に60年代〜70年代のインタビュー映像
・ラジオや写真撮影の裏側を映した映像
・出演作品からの映像

「あまり知られていない映像や未公開映像」が含まれる可能性もあるとのこと。


◾️補足:作品紹介に名前があがっていた監督

・ピエル・パオロ・パゾリーニ(『豚小屋』1969年)

・ベルナルド・ベルトルッチ(『ラストタンゴ・イン・パリ』1972年)

・アルベルト・セラ(『ルイ14世の死』2016年)


◾️監督のコメントヴェネチア国際映画祭の作品紹介ページより)
“この映画は「To be or not to be Jean-Pierre Léaud」(ジャン=ピエール・レオであるか否か)というタイトルになっていた可能性もありました。すべてがその問いにあるのです。この映画の中心には、彼のアイデンティティの謎があります。ジャン=ピエール・レオは単に俳優であるというだけでなく、彼は「役」なのです。「役」としての彼だけを見ている人もいるかもしれません。彼の演技の謎を解き明かそうとすることは、彼のアイデンティティの謎を解き明かすことにも通じるでしょう。これがこの映画の出発点です。しかし、「ジャン=ピエール・レオ」を役だと考えれば、彼を体現することも可能になります。そこで、この映画では、彼を演じる4人の俳優に登場してもらい、彼の演技の謎と彼という存在の謎の両方をデリケートな方法で描くことを試みました。出演する4人の俳優たちには、それぞれ異なる年齢のレオになり、その役を理解し、ジャン=ピエール・レオという俳優のほんとうのアイデンティティとはどういったものなのかを導き出すことに挑んでもらいました。この映画の挑戦は、映画だけを使うというやり方で、レオを描くことです。彼は映画に人生を捧げる選択をしたからです。そうすることによって見えてくる、ひらめきもありました。俳優は「役」を作り上げます。レオはそれ以上のことをやってきています。彼は「作品自体」を作り上げているといえるでしょう。そこには大きな違いがありますが、俳優の仕事というのはどのように定義することができるでしょう? それがこの映画のやろうとしていることなのです。”


これ、私がしつこく「レオはいつもレオ」と言っているのと同じようなことなのかもしれない。カメレオンのように別人になる演技をする俳優も、その人ありきの演技をする俳優も、その演技と作品が良ければ、私はどちらも好きです。ばかっぽい意見かもしれませんが、ほんとにそう思う。

個人的には、アキ・カウリスマキ監督が出て、レオについて語ってくれているというのが非常に楽しみです! ARTEのページに「RIGHTS: TV, NON-THEATRICAL, INTERNET, VOD」となっているけど、まさか劇場公開なかったりしないよね? っていうか、そもそも日本で劇場公開あるのか……(不安) どうかどうかなんらかの方法で視聴できますように……!!



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